----- 汝の罪人を愛せよ >>> 15 「お嬢さんはご在宅ですか」 ◇ ◇ ◇ 「僕に何かご用ですか」 シンプルだが一目見て質が良いと分かる高そうな服に身を包み、外車の脇に立って彼、井伏史信(いぶせ ふみのぶ)は涼やかにそう言った。 異世界にやって来たかのように丸山が辺りをぐるっと見渡す。そこには同じように外車や国産の高級車がずらりと並んでいたが、さっき潜った門には確かに大学名が刻まれていたはずだった。 「不況だなんだって言っても、あるとこにはあるもんなんだなぁ」 幸の背後で丸山がそう呟く。それを胡散臭そうに見つめている史信を惹きつけるように幸は咳払いを一つした。 「時間はとらせませんよ。これに見覚えはありませんか?」 幸は例の時計を取り出した。史信は目を細めてそれを見ると、特に顔色も変えずにああと一言声にした。 「それ、僕のですね。無くしてしまって諦めていたのに。どなたか届けて下さったんですか?」 そう言いながら時計に伸ばそうとする史信の手を幸はひょいとかわした。 「二年前にあなたのご自宅の近辺で男子高校生が集団暴行で殺された事件をご存知ですか」 「二年前ですか。ちょっと記憶に疎いなぁ」 史信はそう言いながら曖昧に笑う。幸はポケットに時計をしまうと淡々と続けた。 「その殺された子は妹を庇って犠牲になったんですけどね」 「その事件と僕の時計が何か?」 「時計はその妹が持っていました」 「それで?」 尚も顔色一つ変えない史信に幸は静かに微笑む。 「その時計をいつ頃、どのように無くされたか、詳しくお聞きしたいんで署までご同行願いたいんですが」 「別に構わないよ」 「すみませんね、わざわざ。お手数かけます」 お互いひんやりとした空気を醸しだしたまま、三人は覆面パトカーに乗り込んだ。 車が動き出してしばらくすると史信が口を開いた。 「その手の事件は別に珍しいことではないんでしょう?」 「その手と言うと?」 「集団暴行ですよ。よく公園やなんかでサラリーマンがやられちゃうのを聞きますけど」 「…ええ。その通りです。最近多いですね」 ハンドルを握りながら幸は答える。署に戻れば加東が妃奈子を連れてきているはずだ。彼女を見たときの反応はどうなのだろうと、幸は史信の冷徹そうな目元をバックミラー越しに見た。 「僕にはそんなコトする連中の心理が分からないな」 史信はそう言うとふふっと笑った。 「ええホント。仕事とは言え、分かりたくもないですね」 そう答えた幸の顔は史信よりも一層冷ややかだった。史信の横で丸山が鼻で笑った。 「どう? 彼に見覚えはあるかしら?」 妃奈子の脇で加東が問いかける。妃奈子は監視カメラが映し出した取調室での史信の姿を凝視していた。加東の問いに答えもせず、妃奈子はひたすらやりとりを見守る。 先ほどから史信は実に巧妙にするりするりと幸と丸山の質問をかわしていた。 「保苑刑事じゃないと答えてくれないのかしら」 苛立ったように呟く加東にようやく妃奈子は振り向いた。 「悪いけど、保苑刑事は一人しかいないの。少しはあたしにも協力してくれないと困るのよ」 「そんなつもりは…」 「彼、かっこいいものね。警視庁捜査一課の期待のホープらしいし、狙ってる子はたくさんいるわ。妃奈子ちゃんが気を引きたいって思うのも無理はないけど」 「加東さんも狙ってるうちの一人なの?」 妃奈子は眉をひそめて加東を見つめた。加東は誤魔化すように笑ったが、図星と言っているようなものだった。 「加東さんの言う通り、あたしは保苑さんが好き」 再びモニターを見つめながら妃奈子は言った。 「本気であたしのことを心配してくれた人は保苑さんが初めてだもん」 加東は眉間にしわを寄せて妃奈子を凝視する。モニターから派手な音とともに激しく立ち回る様子が映し出されて加東は慌ててそちらに注意を向けた。その様子をつぶさに見つめながら妃奈子は言った。 「だけどね、今はそんなことどうでもいいの」 妃奈子は声のトーンを落とした。 「あたしに思い出して欲しいんでしょう?」 「いい加減にしてくれないかな。二年前のことなんて覚えてるわけないだろう?」 がたんと椅子から派手に立ち上がると史信は幸を睨みつけた。 「そうかなぁ。見たところ記憶力は良さそうだけど」 「訴えても良いんだよ」 「それなら早いとこ思い出す方が金もかかんないし、いいんじゃないの」 幸がへらっと笑う。 「ま、キミが思い出せなくっても、当時のキミを必死に思い出そうとしてる子がいるんで、我々にとってはこの時間は無駄には過ごしていないよ」 「なんで今頃?」 「いろいろと諸事情がありまして」 史信は鼻で笑った。 「頭を蹴られたショックでおかしくなったんじゃないのか?」 「そういうことも含めましてね、いろいろあるんです」 入り口の辺りに立っていた丸山がにやりと笑って幸に目配せする。幸もタバコに火を付けながら口元を緩めた。 「僕の父が誰かは知っているだろうね」 「ええ。存じてますよ」 「いい加減なことを言うとただじゃ済まされないよ」 「それはどういう意味でしょう?」 史信が苛立ったように再び幸を睨み付けた。 「君を免職にすることなんて簡単なんだよ?」 幸はへえと答えると、鼻で笑いながら目を細めて史信を見据えた。 「よく言うよ。七光りが眩しくって顔が見えねーわ」 「なっ…」 史信は机越しに幸の胸ぐらを掴んだ。それでもなお、幸は挑発するように笑みを浮かべる。 「ただでさえスネかじりまくってんだろうになぁ?」 咄嗟に振り上げた拳に丸山がおっと、と口を挟んだ。 「そいつに手を出せば、公務執行妨害で帰れるもんも帰れなくなるけどいいのかい」 史信は舌打ちをすると乱暴に手を離す。 「令状もないし、ただの任意同行なんだろう? 僕はこれで失礼するよ」 そのまま帰ろうとする史信に丸山が待った、と声をかけた。 「つかぬ事を聞くが、なんで被害者の娘さんが頭蹴られたってご存知なんです?」 「え?」 史信はきょとんとしたように丸山を見つめた。 「その事はマスコミには発表してないんですがね。どこでお知りになったんでしょう?」 「父親の職業柄、マスコミからじゃなくても情報は入ってくるよ」 「二年前のことなんて覚えちゃいないって言ったじゃないですか」 苦虫を噛み潰したような顔を見せて、史信は荒々しくドアを開けた。 妃奈子は慌てて立ち上がった。 「あ、ちょっと、妃奈子ちゃんだめよ。部屋から出ちゃ…」 加東が言い終わらないうちに妃奈子は部屋を飛び出していた。壁を挟んだもう一方の部屋から出てきた史信は廊下を歩き始めていたが、何事かと振り返った。 二人はしばらくその場に立ちつくしてお互いを凝視していた。 切れかけた蛍光灯が二人の頭上でちりちりと不穏な光を放って、ただの廊下は一層不気味さを増す。 先に口を開いたのは史信の方だった。 「まさか、君が?」 固唾を呑んで幸達が見守る中、妃奈子はごくりと息を飲んだだけだった。 「…そう。今頃どういうつもりか知らないけれど、分かってるの?」 史信はゆっくりと妃奈子に近付く。 「君は隠蔽罪に問われるってことなんだよ?」 腕を取ろうとした史信に妃奈子は小さく叫び声をあげた。幸がその手をひねり挙げる。史信は苦痛で顔を歪めた。 「それはお前が認めたと受け取っていいんだよな?」 今度は幸が史信の胸ぐらを掴んで壁に押しつける。 その時、幸は腕を引かれて振り返った。 「及川…?」 訝しむ幸に、我に返った妃奈子が手を離す。それを見て史信はせせら笑った。 「あの時と同じだな。君は全然変わってないよ」 幸と妃奈子はお互いに相手を驚愕の眼差しで見つめ合った。時が止まったのではないかと思えるような沈黙が続く。だが幸は史信を床に引き倒してそれを断った。 「ダメ、やめて…」 「何を…」 言いかけた幸が首根っこを掴まれて床に引き倒された。見上げるといつの間にいたのか蓼倉が立っていた。 「あ」 「心得その1」 腕組みをして幸を見下ろす蓼倉に、幸は気まずそうに答えた。 「…キレてもキレるな」 よろしい、と蓼倉はにっと笑うと幸に手を差し出して引き起こした。一同はぽかんとそのやりとりを見ていた。 「なんで、ここに?」 「アンタをこの件から外させるために来たんだよ」 そこへダークスーツに身を固めた中年の男がもったぶった様子で現れた。丸山はその姿を見て即座に舌打ちをする。 「井伏氏の顧問弁護士です」 そう言いながら男は床に転がされたままの史信を眉をひそめて見下ろした。 「これがどういうことかよくお分かりでしょうな」 「…ええ、ウチの若造も血のっ気多くて」 蓼倉がうっすらと笑みを浮かべながら答えた。男は鼻を鳴らすと史信を引き起こす。 途端にホッとしたような表情を浮かべて、史信はざまみろと言わんばかりに幸を見やる。 男に連れられて署を後にする史信を幸は渋い顔で見送る。 「幸、ゲーム・オーバーだよ」 背後で蓼倉が呟いた。 Copyright (C) 2002 Mutsu Kisaka All Rights Reserved. |