----- 甘い復讐


   >>> 4


 

 幸は花垣と肩を並べて署から駅までの間に続く商店街を歩きながら、ぼんやりとした顔でタバコの煙を吐いた。学校から解放された学生や、夕飯の買い物に忙しい主婦で賑わいを見せる通りは、平穏そのものといった風情を醸し出していた。
「なんというか、アレだよなぁ」
「“アレ”?」
「こうも穏やかでいいのだろうか」
「そりゃ、今まで追ってた事件の規模に比べたら、でしょう?」
 そう言うと花垣はちらりと幸を見上げたが、幸から醸し出されるまったりとした空気を振り払うように、すっと前方に顔を戻した。
 再び吐き出された煙が、幸の前方でふらふらと彷徨って消えていく。
「……そうなんだけどさ」
 分かってはいるものの、捜査一課にいた頃のような緊張感はない。事件が無いわけではないが、さほど手を煩わせるようなこともなく片付いてしまう内容のものが続いていて、幸はすっかり気が抜けている。もともと、本庁の人間が出てくる場合はそれなりの事件ばかりだから、幸が何となく物足りなく思うのも無理はなかった。
 ちょうどゲームセンターの前まで来ると、幸は足を止めた。
「お、小猿発見」
「は? コザル?」
 怪訝な顔をする花垣に、幸は顎をしゃくってみせた。
 幸が示したのは、入り口のすぐ傍にあるUFOキャッチャーだ。そこには眉間にしわを寄せ、筐体の前や横からケースの中を覗きつつボタンを操作する佳寿がいた。
 にやりと幸が笑う。
 その笑みに訝しげな顔をした花垣に向かって、シーッと人差し指を口元に当てると、幸は佳寿の元へそろそろと近付いた。
 そんな幸にも気付かず、佳寿は真剣な面持ちでボタンから手を離すタイミングを見計らっている。佳寿の背後に立った幸は息を吸い込むと、勢い良く佳寿の両肩に手をぽんと置きながら「よっ」と声を掛けた。
「うわっ」
 佳寿は体をびくつかせた。あらぬところでボタンから手が離れ、ショベルカーのようなアームはぬいぐるみのお尻の部分を甘噛みするように噛みついただけだった。アームは空気を掴んだまま、穴の前までやって来るとぱくりと口を開いて定位置に戻っていく。
「何すんだよっ」
 意気込んで佳寿は振り返ったが、目の前に嬉しそうな顔をして立っている幸の姿を認めると、途端に目をむいた。
「うわ、ホソノ……」
「久しぶり。なんか背中に哀愁漂ってたねぇ。先生にお小言でも食らったか」
「うるせぇな。邪魔すんなよ」
「なに一人で遊んでんのよ? 相方はどうした」
「相方?」
「土師」
 ああ、と佳寿は店内の方に顔を向けた。
「アイツは今レース中」
「は?」
 間の抜けた声を上げた花垣に、佳寿はカーレースとひと言付け加えた。
「フーン、ちょっとアイツにもちょっかいだすか」
「やめとけよ、キレるぞ」
 佳寿は咎めるように言ったが、幸は気にせず中へ入っていった。肩をすくめて花垣が、続いて佳寿が後を追う。
 コックピット型の筐体に座った駿二の姿が見えた。筐体は四つあり、それぞれが競い合うようになっていて、前方にあるに大きなモニター画面にはレースの様子が映されていた。設定が近未来なのだろうか、走らせている車は宙に浮いていて、幸達が覗いたときには砂漠地帯の赤茶けて乾いた岩場をすり抜けている最中だった。筐体の回りにその様子を眺めるギャラリーもちらほらといる。
「へえ、彼は一位なんだ。スゴイね」
 花垣が感心したように言った。
「だから、邪魔するとマジギレする」
 佳寿はぼそりと呟いた。なるほど、と幸も苦笑する。
「あ、保苑さんアレやりましょうよー」
 花垣が幸の袖を引いて向かったのは、シューティングゲームだった。画面の前に銃の形をしたコントローラーが二つ置いてあり、二人同時プレイも可能なタイプだ。SWATが犯人から人質を救出するような内容がデモ映像で流されているのを見て、幸は面倒くさそうに目を細めた。
「射撃訓練なら、ちゃんとしたところでやれよ」
「ゲームですよ、ゲーム」
「俺も見たい」
 佳寿がにやりと笑って百円玉を投入すると、しぶしぶ幸はコントローラーを取り上げた。
「こういうの、俺あんまりやったこと無いのよねぇ」
「弾は銃口を画面から外せば補充されるみたいですよ」
「便利な銃」
 関心もなさそうに幸は返すと、手にしていたタバコを消した。
「どうせなら、人質撃つごとに百円賭けようぜ。あ、ていうか俺に払ってよ」
「絶対払わない」
「ほら、保苑さん始まりますって」
 オープニングのムービー映像が終わると、精巧な3D画面はいきなり銃撃戦の場に変わった。
「なんだコレ。微妙にずれるな」
 狙ったところに上手くヒットしないのか、幸が顔をしかめた。
「ごちゃごちゃ言ってんなよな。あー、臨時収入楽しみー」
 佳寿がちゃかす。レースを終えたのか、駿二が何やってんのと覗き込んできた。
「おっしゃ、掴んだ。もう咲野が手にする金はない」
 唐突に幸が呟く。何を、と佳寿は反論したが、言いかけた言葉が途切れるほど、幸は的確に犯人を仕留め始めた。
「うっそ、マジ?」
 駿二も驚きながらふっと吹き出した。だが、その命中率の高さに次第に駿二も画面に釘付けになる。幸はほぼ一撃必殺で敵を倒していっていた。ムダに弾を消費せず、次々と任務をこなしている。
「花垣、お前さっきから何人人質殺してんの」
 幸がちらりと花垣を見た。しかし花垣はあっという間にゲームオーバーとなって、前線から退いてしまった。幸は黙々と敵を倒し続ける。
「えーと、これいつまで続くのかな?」
 幸は佳寿に問いかけた。佳寿はさあ、と首を傾げる。
 不意に犯人からの攻撃を受け、幸は舌打ちをする。花垣は感心しきっていて、画面を見つめながらぽつりと言った。
「僕初めてこのゲームのエンディングが見られるかも」
「何だよ、誘っておいてクリアしたこと無いのか?」
「こういうのって普通は単なる遊興止まりですよ。ゲーマーならいざ知らず、真剣にやるヤツなんていませんってば」
「ごめんなさいねぇ、真剣になっちゃって」
「ていうか、ホソノがマジなのは金賭けてるからだろ」
「そ、ご名答」
 幸は口元を緩めた。
 画面はやがてラストステージへと変わる。
「うおー、なんか俺ゾクゾクしてきた」
 佳寿は頬を赤らめた。ギャラリーが固唾を呑んで見守る中、幸は最後の敵も討ち取った。画面はスコアが表示されている。
「あれっ、何だよ、俺いつの間に三人も救出しそびれてんの?」
「初めてやって三人で済んでりゃ上等だろ」
「ていうか、保苑さんおかしいって」
 憤慨したような口調の花垣に、幸はパンツのポケットを探りながら、何がと答えた。
「なんで一回でラストまでいっちゃうんですか」
「そういうお前こそ、訓練サボってんじゃねぇの? よくもまあ、あれだけ犯人と人質チャンポンにして撃てるもんだな」
「や、コレはゲームでしょっ。遊びじゃなかったらあんなヘマなんて……」
「それはどうかな。本番に弱いタイプってけっこういるって聞くし」
「何が言いたいんですかっ」
「別に」
 幸はポケットから小銭を出すと、五百円玉を佳寿に放った。佳寿は慌てて受け取る。
「なんかコツでもあるの?」
 駿二が口を挟む。一瞬、幸は口を閉ざしてちらりと駿二を見て、また花垣に向かった。
「お前は的ばっか見てるから当たんねぇんだよ」
「じゃあ、どこ見るんですか!」
「銃」
「何言ってんの」
「嘘だ!」
「ケチー!」
「やかましい」
 三人に口々に非難されて、幸はうっとおしそうに目を細めると出入り口に向かった。
「つーか、ホソノってば技を盗まれたくないから適当なこと言ってんだろ」
「嘘は言ってない」
 なおも食ってかかる佳寿をあしらうように、幸はそんじゃと手を挙げた。
 店を出ると花垣はぶつぶつと弁明を始める。
「射撃訓練ならも少し当たるんですよ」
「当たり前だろ、あんな有様、もう一回学校に戻ってやり直しだ」
「そんなぁ。あーあ、誘わなきゃ良かった」
「やぶへびってこういうこと言うんだろナァ」
 ちくりと戒められて花垣は決まり悪そうな顔をする。しばらく無言で駅までの道を歩いていたが、ひとつ咳をすると沈黙を打ち破った。
「僕、前から気になってたんですけど。保苑さんってどこから転属してきたんですか?」
「いきなりなんだよ?」
「みんな、首傾げてますよ。保苑さんの過去に」
「過去? 俺こないだの件よりもたいそうな賞罰食らってたっけか?」
「いえ、そうじゃなくて、刑事部より以前の話ですよ」
「警備部で地味に働いてたけど」
「それ、ホントですか?」
「ホントとはどういうこと」
 幸はタバコに火を付けた。探られるのを拒むようなオーラに花垣は怯みかけたが、尚も言葉を続けた。
「データは刑事部の部分からしか存在してません」
「みんな詮索するの好きね」
「だってそれが職業ですよ?」
 そりゃ言えてる、と幸は笑った。
「まあ、人の過去なんてどうでもいいじゃないの。俺のデータがないって事でお前らになんか支障がある?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「どうせたいした理由じゃないさ。そういう分かんない事に人は惹き付けられるってのを考えりゃ、お前らが嗅ぎ回りたくなるのも仕方ないことなんだろうけど、それに付随して世の女性陣はいかにも怪しげな男ってのにときめくらしいからな。そんなおいしい習性を利用しない手はないでしょ。で、ますますおネエちゃんは寄りつき、俺はモテモテ街道を爆進すると」
「保苑さん、そんな適当なことばっかり言ってるから、真に受けた人が誤解しちゃうんですよ」
「その方が都合良いときもある。はなっから気にしちゃいないさ」
 幸はニッと笑って見せた。確かに『謎の男』としてそれが魅力の一部になっているのは事実だが、花垣には幸が本気でそう仕向けているは思えなかった。またはぐらかされ、花垣は困惑した顔を浮かべてため息をついた。


back    index    next


Copyright (C) 2005-2006 Mutsu Kisaka All Rights Reserved.