----- パーフェクト


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 椿の家は、住宅街の同じ通りに面していて、あたしの家から歩いて3分もかからないところにある。コンクリートの打ちっ放しの四角い建物は、なんだか城塞みたいな気がして、1人でここへ来るのは小さな頃からあまり好きじゃない。重くて軋む門戸を押して中に入る。玄関のドアは金属で出来ていて、ひんやりとして近寄りがたい感じがする。
 首筋に冷たい風が吹き抜けた。ゆっくりチャイムを押す。家の奥の方から微かにチャイムが鳴る音が聞こえるけど、反応はない。
「出掛けちゃったのかな」
 人の気配を感じさせない静けさ。この建物を見ると、椿があんなクールな人間になってしまうのも分かる気がする。
 帰ろうと思ったけど、リビングからキッチンまで突き抜けている部屋が庭から見えることを思い出して、ほんとにいないのか覗いてから帰ることにした。
 冬空の太陽に照らされた芝生が歩く度に乾いた音を立てる。こんなに天気がいいのに、なぜかこの家だけは冷たく冷え切ったままの様な感じがした。


 中を覗くと、椿がソファに横になって寝ていた。お腹の上に辞書を乗っけたまま、右手をぶらんと床に垂らしていた。外観とは打って変わって、部屋はまるで繭みたいにふんわりとしていた。
 ガラス越しの光が椿の周りを明るく照らしていて、テーブルの上にはノートや参考書が乱雑に置かれている。中はよっぽど暖かいのか、Tシャツにハーフパンツという夏みたいな格好だ。普段の仏頂面が嘘のように、子供みたいに無防備に寝ている椿を見ていたら、なんだか気まずい気持ちを引きずっているのがバカらしくなってきた。
 窓ガラスを叩いてみる。久しぶりに寝顔を見て少し顔が緩んだけど、物音に敏感なはずの椿が、さっきから何度も窓を叩いてるのに全く反応がない。椿の締まったちょっと白い腕と、綺麗な長いまつげとが交互に目に飛び込んでくる。心臓の音が激しくお腹で響き始めた。
 もう一度玄関まで戻って、ドアを開けてみる。鍵は掛かってなくて、難なく開いた。
 中は暖かいのを通り越して、めまいがするほど暑い。異常な暑さに一段と胸の鼓動が高まった。靴を脱ぎ捨てるようにしてリビングまで急ぐ。たったそれだけのことで息が苦しかった。あたしは片っ端から窓を開けていった。冷たい風が吹き込んでくる。テーブルの上のノートやなんかのページが激しく捲り上げられた。
 数分も経たないうちに部屋はすっかり冷え切った。
 まだ椿は目を覚まさない。
「椿、椿」
 青白い頬を叩きながら呼ぶけど、目を開ける気配はない。やばい、シャレになんないよ。まさかと思って半泣きになった時、椿がようやく顔をしかめて目を覚ました。
 なんでいるんだ? と言いたげにあたしの顔を訝しげに見ながら、しょぼしょぼ瞬きをしている。ふと部屋の状況に気付いたのか、突然、
「寒っ、なんだよ美哉。寒いぞ」
と叫んで上半身を起こした。
 あたしはそれまでの緊張の糸が切れて、その場にぺたりと座り込んだ。体をすり合わせていた椿は、ようやく事の異常さに気付いたようだ。ゆっくり起きあがって頭を押さえがら、窓を閉め始めた。
「あー、頭いてぇ」
 椿は窓を閉め終えると、あたしの座っている脇のソファに腰を下ろした。細い足首が目に入った。
「おい、どうしたんだよ、大丈夫か?」
 あたしの顔を覗き込みながら、のんきな声でそう言ったので思わず椿を睨み付けた。
「大丈夫か、じゃないよ。呼んでも、ほっぺた叩いても起きないし…死んじゃったのかと思ったんだから」
「あー、悪かったよ。勉強してるうちにうたた寝してたみたいだな」
 椿は戸惑いながら、ソファに寝転がる。片方の腕で頭を支えて、涙目になっているあたしを心配そうに見ている。
「ストーブもエアコンもつけっぱなしで、中に入ったら気持ち悪くなるほど暑かったんだからね」
「そういえば換気ロクにしてなかったかも」
「…頭まだ痛いの?」
「いや、別に。立ったとき少しズキンときただけ。それよりお前何しに来たの? わざわざ俺を助ける為じゃないだろ」
「そうだ。暇そうにしてたら、ママにお菓子持って行けって言いつけられて…」
「いい暇つぶしになったろ、スリル満点。で、そのお菓子どこだよ?」
 椿はにやっと笑うと起きあがった。
「あ、玄関に放り投げたままだ…」
 やれやれという顔をして椿は立ち上がる。あたしにお茶係を言いつけると、玄関の方へ歩いていった。よかった。椿はいつも通りに接してくれてる。
「なんだ、玄関も開けっ放しかよ。うー寒い」
 椿の声が響いた。そのまま2階へ上がっていく足音が聞こえる。あたしはのろのろと立ち上がるとキッチンへ行った。お湯を沸かして戸棚からインスタントコーヒーを出していると、椿が着替えて戻ってきた。
「ねえ、親父知らない?」
「あたしんちにいる。11時頃に来たかな。出掛けるの、気付かなかったの?」
「うん、1時過ぎに起きたから。これ、かなり派手に放り投げたな。下の方粉々だぞ」
 お菓子をつまみながら椿はテーブルに座って、大きなあくびをする。
「まだ眠いの?」
「んー、今度、英検受けるから、忙しい」
 つまりあまり寝てないんだ、と言いたいんだろう。言ってるそばからまたあくびをして、涙目をぱちぱちさせている。
「あの、あのさぁ」
 コーヒーを手渡しながら、あたしは胸に引っかかっていることを一呼吸置くと切りだした。
「さっき、ほんとは死のうとしてたのかと思った」
「まさか…、さっきのはマジで事故だよ」
 ふふっと笑う声がして思わず顔を上げた。椿と目があった。
「なら、いいんだけど」
 とりあえず、椅子に座ってコーヒーを一口飲む。大きく深呼吸をして、椿を見る。椿はもう笑ってなかった。あたしは再びうつむいた。
「昔さ、1人になるのすごく怖がってたでしょ? なんか…それ思い出したもんだから」
「昔は、だろ。今は1人で住んでたりしてんだぞ?」
 椿の声が少し強張っている。
「そうじゃなくて、あたしが言いたいのは、誰もいない家に1人でいるとかじゃなくて」
 カップを両手で包むようにしたまま、顔を上げられない。椿は頬杖をついて、外の方に顔を背けているようだった。
「叔母さんが死んじゃった時みたいな、そういう残される怖さだよ」
 椿はじっと黙ったままだ。
「考えすぎかもしれないけど、お姉ちゃんに対しても、どこかそういう気持ちを持ってるんじゃないのかなって」
「考えすぎだよ」
 椿はそう言い放った。それから付け加えるように言った。
「人がいつまでも自分の側にいてくれるとは限らないだろ。ましてや束縛しておけるもんじゃない。相手が離れていくときもあるし、自分から離れていくときもある。たまたま、俺は死って形の別れ方が多いだけで…第一、美千代姉ちゃんの結婚くらいでそんなショック受けてたら、美哉の時はどうなるんだよ」
「え?」
「もし美哉に男が出来たら、寝込んでやろうか?」
 椿はいたずらっぽく笑いながらお菓子を口に放り込んだ。
「じょーだんっ、そんなのキモいっ」
「だろ?」
「あ、そういえば…」
「へぇ、いるんだ?」
 話の腰を折られてムッとすると、椿はハイ続けてと手を振る。
「この間の、なんで教えてくれなかったのよ」
「この間? ああ、あれか」
 椿は腕組みをして、考え込む素振りを見せたかと思うとあたしを睨んだ。
「待てって言ったのになんで待たなかったんだよ」
「なによ、隠してた彼女見られたからって逆ギレ?」
「はあ? あれは麻生の彼女」
「その割にはいい雰囲気だったじゃん」
 椿はあのなぁ、と呆れている。
「麻生が最近、自分を避けてるのはなんでだって詰め寄られてた最中だったんだよ。まさか愛想が尽きたらしいとは言えないだろ?」
「そんな、へたな嘘付かなくてもいいよ」
「嘘言ってどうするよ。おかげで保って3ヶ月だって賭けに勝っちゃったんだけどさ」
 口元を緩めつつ椿は溜息をつく。
 ったく、思い出し笑いするなんて一体いくら賭けてたんだ? あたしは思わずその辺にあったティッシュの箱を掴んで椿の頭をぱこっとぶった。
「いてっ、なんだよ」
「そんな人ごとみたいなこと言って、なんで仲直りさせないのよ」
「だって人ごとだろ。俺が取り持ったくらいで復活するならとっくにしてるって」
「だからって」
「それにもう別れたって言ってたし、無駄無駄」
 椿はしれっとした顔でコーヒーを飲む。あたしは力強く溜息をついた。
「どうして椿ってそう人のことに無関心なのよ。そんなだからいろんな噂が立っちゃうんだよ?」
「例えば?」
「例えばっ…、実は人間じゃないとか、IQが200越えてんじゃないかとか、先生を陰で操ってるとか、椿の彼女が、あたしだとか…」
「ああ、先生操ってるのはほんと」
 椿はなんでもないことのようにあっさりと言う。…って、それも冗談であって欲しかったんだけど。
「美哉が彼女説ってのはちらっと聞いたけどな。でも壇上で違うって言うわけにもいかないし、俺は特に困ってはいないんだけど。困ってんの?」
 急に見据えられて、あたしは口ごもった。
「いや、困るって言うか、別に困ってはいないけど…」
「ならいいじゃん、ほっとけば。どうせ噂だろ」
「うん…、そうだねぇ…」
 あっけらかんとしている椿を見ていると、急にいろんな事がどうでもよくなってきた。
 なんだ、そんなに落ち込んでいるわけでもなかったんだ。やっぱり割り切っていたのかな。器用なヤツめ。椿の家からの帰り際、そんなことを思った。


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 それからしばらく経った日。
 駅前の近くの焼き肉屋に来いと椿から電話があった。そんな呼び出しは滅多にないので、なんだろうと出向いてみたら、店の奥のお座敷で、椿を含む生徒会のメンバー御一行が既にほろ酔いになっていた。
 イヤな予感がしてそのままきびすを返した途端、美哉と叫ぶ声がした。振り返ると、椿が顔をほんのりピンクにして手を振っている。
 渋い顔をして、その御一行の方へ行くと椿が手を引っ張って、強引に隣に座らせようとする。戸惑って目をぱちぱちさせてたら、副会長が笑いながらビールを注いだ。
「西田さんお酒飲めるよね?」
 その答えに椿が手でオッケーとサインを送っている。
「あ、あのー」
「大丈夫っ。ここ俺んちの店だから」
 いやぁ、そういう事じゃないんだけどな、と思っていると早くもジョッキを渡されてかんぱーいと声が上がる。
「今日は学期納めの打ち上げなんだ。女の子が少ない、会長の懐が寂しいっつうことで、西田さんよろしくね。まあ、とりあえず飲んで」
「ちょっと待った、椿の懐が寂しいって事は…」
 立ち上がろうとするあたしの腕を掴んで、椿がまあまあと押しとどめようとする。何がまあまあだ。
「大丈夫、俺がおごるって」
 不意に椿のお酒臭い温かい息が耳元を掠めて、あたしは体が縮こまった。椿は副会長に向かって、お前んとこの店ならなんとかしろよとかなんとか言っている。
「西田さん、飲んで飲んで」
「は、はあ…」
 神妙な顔でビールを一口飲むと、なにビビってんのとみんなが笑った。
「みんなタメか、ひとつ下だぞ」
 椿が焼きたてのカルビとタン塩を取りながら笑って言った。
「…会長が笑った」
「うあ、俺、二年間同じクラスで初めて見たかも。貴重な経験」
 椿はキョトンとしてみんなを見渡す。
「そりゃ俺だって笑うさ。なんだよ人を鬼畜みたいに」
「知らないの? みんな椿のことアンドロイドとか宇宙人とか言ってるよ?」
 椿が無言であたしの頭にこつんとグーパンチをお見舞いする。
「だって北野の迫力ってすごいもんな。生徒会の運営費とかの交渉になると、先生いつも逃げてるもんな。同い年とは思えないって」
 それを聞いて何となく気まずくなったのか、椿はあたしの頭に当てたままだった手を引っ込めて肉を焼き始める。
 副会長の横に座っていた女の子がしげしげとあたしを見て言った。
「西田さんが実は会長の幼なじみだって知らなかったなあ。彼女だって思ってる人の方がきっと多いんじゃないかな」
「さぁ、どうかな?」
 あたしは曖昧に笑った。
 みんなが口々に椿のことを話す間、椿本人は何も言わずにビールを空けていた。


 めいめいが話に盛り上がっている頃、あたしの隣で椿が突然ぽつりと言った。
「美千代姉ちゃん、いつ結婚すんの」
 最初は声が低くて小さすぎるもんだから、何を言ったのか良く聞き取れなかった。
「六月」
「ふーん、ジューンブライドなんだ」
「二次会からだけど、椿も招待されると思う」
 これってものすごく酷なことだっていうのは分かってる。姉弟みたいなものだから、親戚の手前、式や披露宴は無理でも二次会にはゼヒっていうのがママの意見だった。お姉ちゃんもあたしも何も言えなかった。
 椿はテーブルの上の空になったジョッキをじっと見つめていたかと思うと、ふっとあぐらをかいた自分の足下へと視線を移した。
「キッツいな」
「椿?」
 声が思わずうわずった。椿は俯いたままだ。周りのざわめきがきーんと耳鳴りのように遠のいて聞こえた。
「大丈夫? 気分悪いの?」
 椿の膝を軽く揺すった。また何か言い始めるけど聞こえなくて、椿の口元に耳を寄せた。
「ほんとに結婚しちゃうのか?」
 今にもぱたっとつぶれてしまいそうなか細い声は、酔いのせいだけじゃない。あたしは息を飲んだ。
「うん」
「遠くに行っちゃったりすんのかな?」
「転勤するから決めたって言ってたから、多分」
 椿は大きく息を吐く。目の前のあたしの肩におでこを押しあてると、さらに声を弱めて言った。
「俺、美千代姉ちゃんのこと好きだった」
「うん」
 あたしは椿のシャツの縫い目を、なんとなく見つめたまま言った。
「知ってたのか」
「うん、中学の頃、気付いた」
 椿はおでこであたしの肩を少し押した。
「なんだよ、ばれてたのか」
 そのままの体勢で一呼吸置くと、また「なんだよ」とつぶやいて小さく鼻をすする。
「お前だけはいつも俺の思い通りにいかないんだよな。大抵の奴はごまかせるのに」
 どう答えていいか分からなかった。
 ともすれば、口説き文句になるんじゃないかというセリフを、椿があたしに言うなんて思いも寄らなくて、顔がほてる。
 椿の大きいはずの背中が急に小さく見えたそのとき、なんであたしをこんなとこに呼び出したのかが分かった。
 なんだ全然平気じゃなかったんじゃん。そう思ったら、あんなに小憎たらしい椿がなんだかかわいく思えた。背中にそっと手を回して、あやすようにぽんぽんと背中を叩くと、椿はまた鼻をすすった。
「この借りは返すからな」
 消え入りそうな声で、椿は小さくうなるとそう言った。


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 それから、椿が実は泣き上戸で甘えん坊だという話が、あっという間に学校中に広まったのは言うまでもない。
 女の子達の間では、カワイイと椿の株が急上昇している。この展開に椿はうろたえているけど、あたしはなんだか面白くない。


                                - 終 -



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