-----  ラブリー


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「北野さーん、椿君借りていい?」
 全ての発端は神崎(カンザキ)さんのこの一言だった。
「いいよー。お好きにどうぞ」
 親父はファインダーを覗きながらそう言うと、顔を上げる。よしこれでいこうか、と言う声に助手達が待ってましたとばかりに次の段取りに移る。果たして照明を足すのかどうか、助手達と一緒に様子をうかがっていた俺に、親父は手をぷらぷらと振って追いやる。はめていた軍手をジーンズの尻ポケットに突っ込むと神崎さんの方へと向かう。
 家では鼻歌混じりで家事をこなしているか、ぼさっとテレビを見ているかの人が、ここでは厳しい表情を見せる。小さい頃から何度か遊びに来て感じたことだけれど、あの人は本当に今の仕事が好きなんだと思う。初めて来たときは美哉と共に、知らない顔したあの人がいると思ったもんだけれど。
 親父の仕事は、時に自分のやることがそのまま数千万単位の金に結びつく。直接的にじゃなくても、どこかで大きな金が動いている。趣味の延長線のような事をやっていても、それで食っていくことは難しい。自分一人が食っていくだけならなんとかなっても、家族を養うとなるとそうもいかない。華があるように見えても、実際はすごく地味だ。そして、地味なのに舞台に立つ役者と一緒で、一度表に出てしまえば自分の腕だけが頼り。逃げ出したくなることがあっても逃げることは出来ない。逃げ出してしまえばそれは報酬を受ける人間として、その責任を放棄したことになる。
 そして馴れ合いでする仕事にはどこかで必ずしわ寄せが来る。結果オーライという考え方がまかり通ってしまうこともある虚飾の世界だからこそ、自分を見失ってしまうことは恐ろしい。つまり、例え好きな仕事なのだとしても、必ずしも楽しいことばかりじゃないってことだ。
 こういう世界に限らず、そんなことを理解して働いているやつは少ないらしい。親父の別の姿を垣間見たおかげで、俺のやりたいことははっきりした。少なくともここに身を置きたいとは思えなかった。
「こっちの方、手伝ってくれる?」
 言われるままについていく。スタジオの中では一番格下の存在だ。使いっ走りは当たり前。最近は脚立いらずとかいう理由で使われることが多い。いざ足を踏み込むと金が貰えるだけマシという感じ。なんたって全ての権限は親父にあるのだから容赦がない。春休みや夏休みに好きなときに好きなだけ働けるよ、という甘い言葉が間違いだった。
 でも、金を得るっていうのはどういうことか、こうして身を持って知ることが出来ているからありがたいんだろうけれど。学校が始まるまでどうせ暇だし、一石二鳥だ。
 当然、四六時中、親父と一緒にいれば掛けられる、似てないねという言葉にもだいぶ慣れた。事情を知らない人の方が増えてきたせいもあって、親父も母親似なんだよねと笑って誤魔化している。両親を知っている人に言わせれば、俺の顔は母親似らしいから親父も嘘を言ってるわけじゃないらしい。
 それでも高校三年のあの夏までは、分かっていても応えるセリフだった。
「ああ、いい感じじゃないですか」
 スタジオに入るなり、クライアントと思しき、やり手のキャリアウーマンって感じの人が俺を見て口元を緩めた。いったい何のことだろうと思って訝しんでいると、神崎さんがココに立って、とライトの当たる場所で手招きする。
「…は? あの…」
「いーから、立って」
 しぶしぶと向かう。普段はその脇に立っているから、いざライトが当てられているど真ん中に立つとどうにも落ち着かなかった。じりっと焼け付くように光が熱い。後ろ向いてという言葉に従って背を向ける。視線が背中に刺さるのが何となく分かる。
「髪型どうにかすればいけると思うんですよ」
「そうですね、よし、この子でいっちゃいましよう」
 いくって何が? と思わず振り向くと、神崎さんがにやりと笑った。イヤな予感。親父を含め、ここの人たちがにやりと笑うとろくな事がない。
「椿君、モデルがさっき下の駐車場のとこで倒れたらしいのね」
 イヤな予感。
「代わりを呼ぶ時間の余裕がないからさ」
 すげーイヤな予感。
「後ろ姿だけなんだわ」
 思い切り顔が歪んでたんだろう。神崎さんは俺を見ながらさらに不敵な笑みを浮かべた。
「代役やって」
「はあっ?!」
 いや、モデルが来るまでのポラの試し撮りならともかく、それはちょっと。そういう思いをライトの下から退く一歩に込めると、神崎さんはさらに付け加えた。
「父上が好きにしていいって言ったし」
 確かに言った。
 言ったが俺と親父の間で取り交わされた労働基準法はこういうのも含まれているのか。
 パシリとはいえここでは俺の肖像権は認められないのか。
 そもそも今回の報酬は別口で貰えるのか。
 全ては闇に葬り去られて、たった今、俺は某ジュエリーブランドの広告に載る羽目になってしまった。
「椿君、だっけ? ちょっとだけなら髪切っちゃってもいいよね?」 
 という形だけのお伺いで俺の返事も待たずに、ヘアメイクの人はざくざくハサミを入れている。最近切ってなかったからちょっと長めではあるけれど。でも落ちていく髪の残骸を見ていると、残っている毛よりも多いような気がする。
 廊下から甲高い笑い声が聞こえてくる。そこだけ違う空気が塊となってこっちに向かって来るようなかんじ。さっき神崎さんから受けた説明によると、俺でもテレビで見たことあるはずだという女の子が来るそうだから、きっとその子なんだろう。
「おはようございます」
 俺の脇にどさっと大きな荷物を置く音がした。 
「…おはようございます」
 前髪を切られている最中だったから、目を閉じたまま俺はそう答えた。
「ユカさん、…こちら、どなたですか?」
 訝しげな声でヘアメイクのユカさんに尋ねている。そりゃそうだ。ホントならここに座っているのは俺じゃないんだから。
「椿君。このスタジオで働いてるところを15分前にスカウトされたの。トシ君はさっき下で倒れて病院送りなんだって」
 ええっ? という驚きと不安の混じった声。こんなモンかな、というユカさんの言葉でようやく俺は目を開けた。鏡越しに声の主を見る。
 ああ、確かに見たことあるような気がする。名前は知らないけど、美哉なら知ってるはず。多分、まだ高校生じゃなかったっけか。のわりには大人っぽい雰囲気がウリらしいだけあって、スッピンでも大学生くらいに見える。
「椿君ってお肌つるつるだし、まつ毛もふさふさだねー。後ろ姿だけじゃもったいないなぁ」
「いえ、カンベンして下さい」
 ユカさんに笑われながら俺は立ち上がる。鏡の中の俺はどう見ても今まで生徒会長やってた姿とは思えない。なんていうか、渋谷のセンター街とかうろうろしてそうなかんじだよなぁ。即席だからチャイロにされなくて良かった。
「うわっ、でかっ」
 すれ違いざまにその子が呟く。そういうけども、その子だってかなりでかい方だ。
「何言ってんの、ヒトミちゃんに合わせてんだからね」
「そうなの?」
 彼女はキョトンとした顔でユカさんの方へ向かっていった。
 仕事が一段落ついたらしい親父が、いつまでたっても戻ってこない俺の様子を見にやって来たのはそれから一時間後。ナリを見て目が点になっている。
「神崎君…?」
 これは一体どういうコト? と親父は神崎さんを呼びつけた。俺を見つめたまま、説明を聞いている親父の顔が次第に緩んできている。あの脳内では絶対こんな状況の俺を見て楽しんでるよ。睨んでいるとすぐ横にいた、ブレイク寸前なんだという長谷川ヒトミがどうしたの? と問いかけた。別に、と答えると彼女は笑った。
「知ってる? 眉間にしわ寄せ続けてると、そのうち寄せなくても縦にしわが入っちゃうのよ」
「らしいね。ちょっとごめん」
 俺は親父の元へ行く。親父はにやにやしながら、美哉ちゃんに写真送りつけてもイイ? と近付く俺に携帯を向ける。ふざけんな、と今にもシャッターを押しかねないその携帯を奪うと親父は冗談だよと笑う。
「いやぁ、お前借りるって、まさかこういう事だとは思わなかった。いいんじゃないの、散髪代も浮いて」
「そういう問題じゃないだろ」
「とにかく、受けたのは椿クン、君だからね」
 ふふふ、といやらしい笑みを浮かべて親父が言う。じゃあ任せたよと神崎さんに言って親父は再び自分の仕事に戻っていった。
「北野さんと仲良いんだー」
 戻ると長谷川ヒトミは目を丸くしていた。
「私、あの人とお仕事するの好きなんだー。楽しいし」
「ああ、なにげにエロいから気を付けた方がいいよ」
 ひどーいそんなことないのにー、と憤慨する長谷川ヒトミに冗談でしょ、と返す。
「外面がいいだけだよ。中身はほんとおっさんだからあの人」
「ウソー。男の人から見るとそうなのかなぁ」
 ちょっとショックかも、と呟いている。
「イヤ、男の人から見るって言うより…」
「椿君、分かった。父上と交渉の末、ちゃんとこの報酬は出して貰うよう図るから」
 神崎さんに遮るように肩を叩かれる。振り向くと苦虫を噛み潰したような顔をしている。君ら親子はホント侮れないわと頭をばりばり掻きながら、神崎さんはクライアントの方へ向かう。その会話を聞いていた長谷川ヒトミは、ぽかんとしたように俺を見つめる。
「親子なの?」
「そうだよ」
「似てないね」
 今日、何度目かのその言葉に俺は曖昧に笑った。


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