----- ラブリー >>> 12 また、溜息をついた。 簡単なことだ。こんなに悩むくらいなら、確かめてみればいい。 分かっているけど。 「ああ…、うぜぇ」 しゃがみ込んだまま、思わず本棚の前から上半身をのけ反らせたら、すぐ後ろに積んでた本がコントのように雪崩を起こしていった。ったく、なんなんだよ。見事に足の踏み場をなくした背後を見据えて、俺は溜息をついた。 しょせん床に置いてある分しか追い越せていない。 壁一面の本棚に詰まった本のほとんどには、見返しの部分に丁寧な字で“蝦沢龍司”と書かれている。変な人で持ち物にはたいてい名前を書いていたらしい。俺がこの家で暮らすことになったとき、親父はまずその本の多さに辟易したらしいけど、俺の唯一の財産になるんだろうと判断したらしくて、処分せずにごっそり俺の部屋に置いた。どうせ名前入りだ。売り払っても大した額になるとは思えない。 高校を卒業する頃にはあらかた読み尽くしてしまったけど、もし今も父親が生きていたら、追い越せないままなんだろう。 床に座り込んで、本棚を見上げる。ある意味、この本が蝦沢龍司という人となりを表しているようにも見える。ということは、俺自身も表しているってことか。 目の前のアルバムに再び目を向ける。 これも俺自身なんだろうか? 「ねーえ、椿クン」 ソファに寝転がっている脇で、マグカップをことんと置く音がした。文章を目で追いながらありがとうと言うと、親父が甘ったるく俺を呼んだ。こういう呼び方をするときは、決まってやんごとない事情だったりする。 「なに」 「リアリストも度が過ぎるとつまらんと俺は思うんだけど」 また俺を試そうとするつもりか? 読んでいた本から顔を上げると、珍しく親父は神妙な顔をしていた。 「と言うと?」 「お姫様はねぇ、キスで目覚めさせただけじゃダメなんだよ」 何を言い出すんだとしかめ面をすると、親父は尚も続けた。 「魔法の言葉が必要なときだってあるんだから」 「何の話?」 さあ、なんでしょう? と親父は肩をすくめた。 「ここぞって時には言わなきゃ。君みたいなタイプなら尚更だね」 俺は本を閉じた。 どこが『相談なんかしてない』だって? そのつもりがなくてもつまりはそういうことじゃないかよ。へへっと照れ笑いをする美哉の顔が浮かぶ。 言わなきゃって何を? 有馬由宇香とはなんでもないとかそういう類? それは美哉も分かってると思ってたけど、違うのか? 「魔法の言葉ってなに」 「それは教えない」 使いすぎると効果はないけどねぇと親父はくすくす笑いながら、お風呂入ってこようっとと言って腰を上げた。最近のあの人はお題だけ振って逃げていくからな。タチが悪い。しかも恋愛ネタになると妙に楽しそうだし。 再び読書に興じる気にはなれずに、マグカップを手に取った。中身は甘いココア。もう肌寒い季節でもないのに。 なんとなくこの間のことを思い出す。 『出来たことは偶然でも、生まれてきたんだから必然でしょ』 あれはクリティカルヒットだった。バカじゃないのと言われて、珍しく素直にその通りだって思ったくらい。 俺にとっては、ここぞって時の美哉の言葉がそういう『魔法の言葉』に当てはまるかもしれない。分かっていても、誰かに後押しして欲しくなるようなとき、美哉なら頼まなくてもちゃんと欲しい言葉を言ってくれる。だけど、そういう俺の気持ちを汲み取った上での発言かは分からない。ある意味、天然なんだと思う。 美哉なら、必要以上にぐちゃぐちゃ考えなくてもいい。俺が美哉を選んだ理由はきっとそういうところなんだと思う。 有馬由宇香の、どういうところが好き? なんて問いもバカらしく思うほどに。 俺を殴るというのは語弊があるけど、でも、実際にそれが好きなところだろう。いたずらを仕掛けて親父に怒られることもなくなった今では、俺を本気で罵倒するようなヤツなんて美哉くらいだ。美哉はいつも俺を怒ってくれる。怒る理由を見つけられずにいる連中たちとは違って、美哉だけが、まっすぐ見上げて俺を怒る唯一の“他人”でいてくれる。だから安心する。 自分でもイヤになるほど人に対して無関心だからよく分かる。人から関心を持たれない存在というのはどんなに寂しいか。加えて怒るってことが、どれだけ怒っている人間にとって無駄なエネルギーか。怒りの感情は、それ自体がその人に何の利益ももたらさない感情だ。それでも何かに対して怒るってことは、その対象物になんらかの関心があって、何かしらの変化を望むからそうするわけで。 本気で関心がなければ、怖いくらいにそういう感情も起こらない。自分に危害が加えられていなければ尚更だ。対象物がどう転ぼうと、堕ちていこうと、知ったこっちゃない。そうやって、距離を置くことで今までの俺は安堵感を得ていた。 だから美哉は俺の無関心さを怒る。そういう無関心さは、人との繋がりをいっそう希薄にさせるだけにしかならないからだ。そして、だからこそ俺もわざと美哉に怒られるように仕向けていた。 それは俺にとって最後の命綱だったのかもしれない。気がつけば、怒られることでちゃんと歯車の一部でいることを確認していた。だからあの日、いつものように罵倒せずに冷たく「サイテーだ」と言い放たれたことがどうしようもないほど怖かった。 ほかの奴らならなんとも思わないその一言は、美哉の場合はまさにロープを切られるのと同じことを意味していた。 そういう態度をとられたから、初めて俺も必死になれた。 そんな風に、人として生きてることを実感させてくれる、俺の彼女。 俺にとってはそれだけで充分なのに、それでもまだ何か足りないものがあるっていうのか? 美哉には何が『魔法の言葉』に該当するんだろう? 親父に言われて、美哉が俺に何を求めているのかを全然知らないことに気付いた。 欲しい言葉はなんなんだ? やばい、俺は美哉の彼氏失格だ。 Copyright (C) 2003 Mutsu Kisaka All Rights Reserved. |