----- ファム・ファタールと羊の夢 >>> 9 そこは、まるでゲシュタポから逃れるための隠し部屋のように、ひっそりとして窓ひとつなかった。灯りは白熱灯のデスクライトのみで、暗く鬱蒼としている。 壁は全て得体の知れない機材で埋め尽くされ、小柄な男が机に向かって額に汗を浮かべていた。機材から放出される熱で部屋はむっとしていて、時折、無線機からなにやら無線が傍受される以外は、機材のファンの音がぶぅんと響くのみだった。 男は三十代後半と言ったところだろうか、既に頭のてっぺんが寂しくなっている。時計用ルーペを付けて、ピンセットを片手に何かを組み立てていた。 何かに気がついたように、彼はふっと顔を上げる。と同時に入り口のドアが蹴破られた。辺りに積み重ねられていた段ボールの箱がばらばらと崩れ落ち、男は情けない悲鳴を上げた。 「な、なんやねんな……」 男はぽかんとしていたが、すぐに部屋の外に向かって叫ぶ。 「おい! マツモト! われ何してんねや、ちゃんと隠しとけ言うとるやないか! せやからお前はいつまでたっても見習いなんじゃボケ!」 「すいません、だけど、その人ナカバさんの知り合いだって言いながら、勝手に入っていっちゃうんですもん」 「なんやとコラ、誰に向かってごちゃごちゃぬかしとんねん」 入り口の外からひょこっと顔だけ覗かせて、ひょろりとした坊主頭の青年が困惑している。その間に立つようにして、ドアを蹴破った人物はニヤリと笑いかけた。 「おまえも何さらすんじゃボケ」 笑いかけられて逆上した男はぎろりと睨み上げたが、相手は怯むことなく悠長に口を開いた。 「よう、ナカバ。久しぶり」 「ああん…?」 ナカバが怪訝な顔で自分を見下ろす相手を見上げると、目の前に手帳が差し出される。 「俺だ」 ナカバはルーペを外して手帳を覗き込むと体をのけ反らせた。 「REA……、うわっ、にいさんかいな」 男、つまりリュウザキは手帳を仕舞いながら部屋をぐるりと見渡した。 「今度は何を企んでる」 「いやいやいや、何言うてますのん。ここ最近はにいさんの手間掛けるようなことは何もしてまへんで」 途端に態度を一変させて、ナカバは慌てて机の上の物を片づけながら愛想笑いをした。 「相変わらず、手帳見して貰わな誰かさっぱり分からしまへんわ。せめて名前くらい教えてくれたってもええですやん」 「それじゃ俺の仕事にならない」 リュウザキは部屋へ踏み込むと、まだ机の回りをばたばたと片づけているナカバに、背後から顔を近づけた。 「ところで、日頃目をつぶってやってるというご愛顧に感謝して、少しばかり俺に協力する気はないか」 耳元で囁かれてまた情けない悲鳴を上げたナカバは恐る恐るリュウザキを振り返った。 「そういうたかて、普段から情報の横流しさせてんのは誰ですか」 「だから今まで穏便に商売続けて来れたんだろうが」 「……協力て何ですのん」 ナカバは降参とばかりに、かしこまって膝をぴったり揃えると、両手を置いて椅子に座ったままリュウザキを見上げた。 「大したことじゃない。新型のヒューマノイドタイプをいじったことはあるか」 「新型……? そら、ちょろっとならありますけど。どないしはったんですか」 「野暮用でな。ちょっと診て欲しい」 ナカバは狐につままれたような顔をした。 「俺がですか? そらまた何で?」 「だから野暮用だと言ったろう」 それ以上は言わず、リュウザキはナカバを促すと部屋を出た。 「あーあ、このドアめっちゃ壊れてますやん。あとで修理代請求させてもろてもええですか」 ナカバはドアを見やりながらぶつぶつと呟く。そう言ってはいるが、リュウザキは、請求しようにもどこに請求すればいいのか皆目見当も付かないような機関に所属する男だ。これは数年来のつき合いになる、ナカバとリュウザキとのおきまりのジョークみたいなものだった。 部屋の外は、狭苦しいが一見、自動車修理工場のような様相を呈している。ナカバのいた部屋は、窓の大きな薄い壁で隔てられた事務所の奥にあり、普段は荷物で隠されていて目に触れないようになっていた。その荷物がそこかしこに散らばっているのを見て、ナカバは頭を掻きながらまたぼやき始める。 自動車修理工場と表向きでは銘打っているが、実際には、ナカバは不法所持ロボットの改造をヤミで行うエンジニアである。 「で、その新型さんはどこいてはるんです」 「あそこだ」 リュウザキが顎で示した先は、事務所の入り口近くだった。先ほどマツモトと呼ばれた坊主頭の青年が、来客用ソファに座ったネリネにお茶を勧めている。 「は?」 ナカバは首を前に突き出して、ネリネとリュウザキを交互に見つめる。 「そんな、にいさん。ほんまかいな」 しかしリュウザキはひやりとした視線でナカバを見ただけで、ソファの方へ向かった。 リュウザキに気付いたネリネは、マツモトから熱い視線を送られていることも知らず、表情をぱっと明るくしながら立ち上がった。後に続いてきたナカバはネリネを間近で見るとほうっと感嘆の息をついた。 「ねえちゃんえらいべっぴんさんやな。びっくりするわ、ほんま。なんや、にいさん、新型言うてもごっつ最新ですやん」 それを聞いて、鼻の下の伸びきっていたマツモトがえっと小さく叫んで固まった。 「俺達のランク付けだとAAA+だ。殆ど人間と変わらない」 「へぇー、で俺に何せえ言うんですか?」 「こいつの不具合を調べて欲しい」 「何でまた。お宅らラボがありますやん」 毛穴を見つけるような勢いで覗き込むナカバに、ネリネは体を引いてリュウザキの傍へ寄った。 「これは俺が単独で調査している対象物だ」 それを聞いてナカバの目の奥が微かに光った。 「にいさんが出てくること自体大物やいうのに、単独ですか。そんなん言われてしもたら張り切るしかないな」 「視神経がおかしいらしい」 ナカバはマツモトに目配せをした。マツモトは慌てて立ち上がると、ナカバが出てきたドアとは別のドアを開けて、違う部屋に駆け込んだ。とん、とリュウザキに背中を押されたネリネは不安げに彼を見上げた。 「病院ではないが、メンテナンスが出来る」 リュウザキは微かに口の端を上げた。 「ついでになんか調べとくことありますか」 「有機物の含有率を。恐らく7割は越えてるだろう。体組織の詳細も分かればありがたいな」 「7割でっか」 マツモトが駆け込んだ方へ歩きかけて、ナカバがギョッとしたように振り返った。 「8割かもしれない」 「はぁ、そりゃえらいこっちゃ」 「一時間したら戻る。それまでに済ませてくれ」 そう言うとさっさと事務所を後にするリュウザキを見送り、ナカバはかりかりと頭を掻きつつ部屋に入った。ネリネもそろりとその後に続く。ネリネの背後でドアが重そうな音を立てて閉まった。小さな蛍光灯一本が照らす薄暗くて短い廊下があり、突き当たりのドアを開けると、急に別世界のように眩しい光が射し込んでネリネは思わず目をつぶって後ずさった。 「なんも心配することないで」 ナカバが部屋の中心部に置かれた手術用のベッドの脇に立っている。真上には、手術室によく見られる丸いライトが幾つか集まった照明が煌々と照っていた。 「じゃあ、こっちで籠の中にある服に着替えて貰えるかな」 マツモトが部屋の隅にある仕切りのところでネリネに声を掛けた。二人とも、黄色い薄手の不繊布のような素材で出来た、シャワーキャップのような帽子と割烹着のような服を着込んでいる。それだけ見ると、病院の救急病棟で見かける医師のようだ。 籠の中には、やはり病院で毎回身に付けている検査服が入っていた。ネリネは小さく溜息をつく。 着替えてベッドに横になると、マツモトがキャスターをがらがらといわせながら、大きなハンドスキャナーのようなものが据え付けられた機具を引っぱってきて、ネリネの頭上にあてがった。このような機具は病院では見たことがない。ネリネが不審そうに見上げていると、ナカバがにやりと笑った。 「コレ、すごいやろ。俺が作った最新やで。頭っから足んとこまでな、コレをひゅーっと通すと、データがばーっと弾き出されるんや」 「何のデータですか?」 「そりゃ、ねえちゃんには教えられへんな。企業秘密や」 ナカバは誤魔化すように、マツモト向かって準備はしたのかと問いかけた。マツモトはパソコンのディスプレイに向かってマウスを動かしていた。 「出力数は大丈夫です。いつでもいけますよ」 「ほな、ねえちゃん、ちょっと目瞑っててな」 ナカバはマツモトの傍に駆け寄る。 ネリネは目を閉じた。ブゥンと音を立てて、スキャナー部分から青白い光が板状に伸びてネリネの体を通過していく。二人が興味津々で、別のモニターに映し出されるネリネの断面図を見つめていたのは、頭を通り過ぎるまでだった。 「ナカバさん、これって…」 「黙っとき」 険しい表情を浮かべてナカバはネリネの方を向いた。 「アンタ、元は誰やったんや?」 ピクリとネリネの体が動く。ナカバは腕組みをして静かに呟いた。 「べっぴんさん、アンタはこの世にまだ出てきたらあかんかったんやねんな」 「どういうことですか? 彼女は…」 「本来なら、ねえちゃんはとっくににいさんに処分されとったはずや。それやのに機関に隠れてねえちゃんのデータ調べてくれっちゅうことは、あれや」 ナカバはネリネの首の部分に端子を差し込み、先ほどとは別のモニターの前に座った。ネリネを動かしているOSにアクセスしながら、ナカバはふっと息をついた。 「こんなOS見たこと無いな。『dolls』がベースなんやろうけど、全く別もんになっとるわ」 「誰がこんなの作ったんでしょう?」 「さあなぁ……、とにかく、にいさんが迷うんも無理ない」 パチパチとキーボードを叩きながら、ナカバは再び溜息をついた。 目を開けようとして、眩しさにネリネは顔をしかめ、手を頭上にかざした。ゆっくりと起きあがるが、目の前に立っているナカバとマツモトに気付き、ネリネははっとした。 「大丈夫や、なんもいじってないで。いじれんかった、ちゅうのがほんまのとこやけどな」 「いじ……? あの、あの人はどこへ行ったんですか?」 「にいさんならもうそろそろ戻るはずや」 腕時計を見ながらナカバが答えた。不安げな表情をするネリネに、マツモトが不思議そうな顔した。 「ねえ、つかぬ事を訊くけどさ、君は人混みの中からでもあの人を見つけられるの?」 「見つけられます。どうしてそんなことを訊くのですか」 「よっぽど観察力のある人間でも、にいさんをにいさんやと認識するんは難しいんや。REAの人間はみんなそうやけどな。なかでもにいさんはずば抜けとる」 「REA……?」 ネリネが着替え終わると、一同は事務所のソファに腰掛けた。 「俺らの天敵、ロボット取締局。かっこよう言うとRobot Enforcement Administrationちゅうとこやな、通称『REA』や。麻薬取締官と一緒で、司法警察官の一種でな、存在してることは分かるねんけど、実際にそういうヤツらがどう動いてるんかは世間一般のやつらは殆ど知らん」 そこまで言うと、ナカバはタバコに火を付けた。深く吸い込むと、ネリネを見据えた。 「普通は不法所持ロボットやって分かった時点で、問答無用でOS止めて即回収や。改造してあるいうても、人間の数倍ある感覚機能はそのままやから、ヘタすると逃げられるからな。それが、ねえちゃんの場合は、どうもそうやないらしい」 ナカバは目を細めた。 「なんでやろな」 ネリネは膝に置いた手をきゅっと握りしめた。 「……私にも、分かりません。一度、銃を向けられましたけど、殺されませんでした」 ふいにその後の展開が脳裏を過ぎって、ネリネの頬がぽっと染まった。 「私、あの人がいないとおかしくなってしまうんです。姿が見えないと、胸が苦しくて息が出来なくなるのです。あの、それは直していただけたんでしょうか」 真剣な面持ちで言うネリネに、ナカバとマツモトは顔を見合わせた。 「残念やけど、それは持ち主にも治せん思うで」 「どうしてですか」 「どうしてって、それは故障やない。感情の一部や」 「感情……?」 「ねえちゃんは、にいさんに惚れとるっちゅうことや」 言葉を失ったネリネをよそに、マツモトが口を挟んだ。 「ナカバさん、ロボットにそんな感情をプログラムする事って出来るんですか」 「さあ、出来るんやないんか。現にプログラムされたのが目の前におるわけやし」 「だけど、当の本人はその自覚ないみたいですよ」 「そんなん知らんがな」 ナカバは面倒くさそうにソファに凭れた。 「なんや、にいさんの考えてることはようわからんけど」 煙を吐きながら、ナカバはもじもじとするネリネを見る。 「そらにいさんもほだされるわな」 そう言うとふっと寂しげに笑ったナカバを、マツモトが不思議そうに見た。 Copyright (C) 2003 Mutsu Kisaka All Rights Reserved. |