----- ファム・ファタールと羊の夢 >>> 8 どのくらい経ったのだろうか、ネリネは体が浮き上がる感覚に我に返った。顔を上げると、端正な身のこなしの男が自分を抱き起こしている。それが自分の求めている相手だと即座に見分けると、ネリネはほっと息を付いた。 「見分ける決め手はなんだ?」 ネリネはその問いかけにキョトンとしたが、すぐに笑った。 「決め手なんてありません。だけど、あなたならどんな姿をしていようと、私には分かります」 ネリネの答えに男は微かに目を見張った。だがすぐに、抱き起こした拍子にずり落ちた毛布を引き上げてやりながら、眉間にしわを寄せた。 「服くらい着ろ」 ネリネはそれには構わず、男にしがみついた。 「あなたはいつもどこへ出かけているのですか」 「答えられない」 ネリネは顔を強張らせた。 「……私がロボットだから?」 「人でも答えない」 男はネリネの手を体から引き剥がすと立ち上がった。質のいいジャケットを脱ぐと椅子に掛け、腕時計を外す。昨日とは打って変わって、上流階級の人間の雰囲気を漂わせている。 「私は、病院に行かなければなりません」 唐突にネリネは大きな声を上げた。男がハッとしたようにネリネの方を向いた。なんとなく視点が定まっていない目つきで男を見つめているが、自分の意志でそう言っているというよりも言わせられているような口振りは、まさにロボットを思わせた。 「ゴトウ先生に会いに行かなければならないのです」 「なぜだ」 「私は病院で検査をして貰わなければなりません」 ネリネは体をふらつかせながら立ち上がる。毛布が足元に落ちた。ネリネの裸体が目に飛び込む。 「……そういうことか」 ゴトウがネリネに手を出していなかったのは、ネリネがまだ完成品ではないからなのではないか。ネリネを間近で観察していくうちに、男はそう仮定したのだが、どうやらそれは正しいようだと男は結論づけた。ゴトウは試運転を行いながら、検査と称して微調整のためにネリネを病院に通わせていたのだ。男は舌打ちをした。 「私の体はどこかが壊れています、だから……」 「壊れている?」 男は怪訝な顔をした。近付くと、毛布を拾ってネリネをくるむ。途端に我に返ったようにネリネは顔を上げ、すがるように男を見た。 「あなたのせいです」 男は不意を付かれて息を飲んだ。昨夜の行為が脳裏を掠めた。あれがネリネの体に不具合を起こしたのか。 「どういう風に壊れているんだ」 「……考え事をすると、息が出来なくて苦しくなります」 それを聞くと拍子抜けして、男は飲んだ息を吐いた。 「今までそういうことは無かったのか? 何を考えたらそうなるんだ」 途端にネリネの顔が赤くなる。 「あなたのことを」 言いながらネリネは男からぱっと離れた。ぐるぐると部屋を歩き出す。 「あなたのせいです。今までこんなことはありません。あなたが私を狂わせたから、私の体は壊れてしまっているんです。あなたのせいです」 咎めるようにネリネは男を睨み付けた。 「そんなのはお互い様だ」 ネリネは目を見開いた。男は肩をすくめる。 「俺だって狂わされた」 「私が……?」 「人を惑わす特殊な電波でも出すよう設計されているのか?」 男はからかうような口振りでネリネを見た。放心したネリネの体から、毛布がまた落ちる。ネリネはそのまま男へ近寄った。 「私があなたを狂わせた?」 ネリネは男を見上げる。 「だから、服を着ろと言ってるだろうが」 なぜ、と問い続ける瞳に、男は目を逸らせた。ネリネから離れると、紙の手提げ袋をネリネに放り投げる。 ネリネが慌てて受け取ったその中には、服が入っていた。 「気に入らないなら捨てて構わない。いつまでも同じ服だと気持ち悪いだろう」 ネリネは戸惑いながら袖を通す。紺色のワンピースは白い肌に映えて、体につかず離れずのラインがネリネのスタイルの良さを強調する。まるであつらえたかのようにネリネに良く似合った。ネリネは具合を確かめるように体を捻って、ほんのり笑みを浮かべた。 男はそんなネリネの様子を、テーブルの端に腰掛けてじっと見つめた。 「ありがとうございます」 「別に大したことじゃない」 ネリネは男の側に行くと、そっとキスをした。男もそれに答える。唇が離れると、ネリネは男の胸元に顔を押しつけて抱きついた。 「私は、病院に行かなければなりません」 抱きしめ返そうとした男の手が止まった。 「私にはメンテナンスが必要です」 抑揚のない声でネリネが再び呟くように言った。 男は何も答えず、ネリネを抱きしめただけだった。 * * * 「私は、病院に行かなければなりません」 男がネリネの体から離れたとき、ベッドの中でネリネはまた呟いた。先ほどのワンピースはベッドの下に脱ぎ捨てられている。 男は微かに苦々しげな表情を浮かべた。 「行けばどうなるか分かっているのか」 ネリネは我に返ったように男を見た。 「ゴトウはすぐにお前の変化に気付く。二度とお前を外には出さないぞ」 「……二度と?」 「ああ」 ネリネは放心したように天井を見上げた。 「それは、嫌です」 男はネリネの頬を撫でた。 「でも、私にはメンテナンスが必要です」 うわごとのようにネリネは繰り返す。 男は撫でていた手を止めてネリネを引き寄せた。 「お前に欠けているものをもう一つ教えてやろう。それは『葛藤』だ」 「……『葛藤』?」 ネリネはキョトンとして言葉を繰り返した。 男は動向を探りに病院へ訪れたときのことを思い出した。ゴトウには取り立ててなにかしでかすようなオーラはなかった。人の良さそうな、大人しい地味な姿。その表情の裏にこんなものを隠し持っていたのか。 大抵、高額な人型ロボットを所有するような連中は金持ちと決まっている。その殆どはゴトウのように穏やかで、とても罪を犯しているようには見えない。 ネリネが男の腕に触れる。 「私が眠ったら、あなたはまたどこかへ行くの?」 「多分な」 「きっと、私はまた苦しくなります」 「それは俺のせいか?」 「そう、あなたのせい」 ネリネは額を男の胸に押しつけた。 「あなたは苦しくなる?」 「……なる」 「じゃあ、どうしていなくなるの?」 「仕事だからだ」 仕事という言葉にネリネが敏感に反応した。 「こうしていることも仕事?」 「さあ、もう分からなくなってきた」 男は起き上がると襟足の辺りをぽりぽりと掻いた。何も映さない瞳でぼんやりと乱れたシーツを眺める。 「捕まえる手段としてならあるが、捕まえた後は初めてだな」 男は独り言のように呟いた。 スイッチが入ったように、さっきからしきりにメンテナンスを口にすると言うことは、やはりどこか不具合が起きているのだろう。それがこの行為のせいなのかどうかは分からない。 ふと男はネリネの方に目を向けた。真っ直ぐ自分を見返すネリネの瞳に、男はぞくりと背筋が粟立った。 狂おしいのに、彼女は『生きて』はいない。 肝心なところでネリネはロボットだった。 明け方、男はネリネが起きあがる気配で目が覚めた。立ち上がろうとするネリネの腕を掴んでどこへ行くと尋ねると、ネリネはトイレへ行きますと答えた。妙な恥ずかしさを覚えて男は慌てて手を離す。ネリネがふらふらとトイレへ向かうのを見ながら、ロボットが排泄感を催すのも変な話だと男はベッドの中でくすりと笑った。 いくらもしないうちにがたんと大きな音がして、男は飛び起きた。 「おい、どうした」 男がドアの外で問いかけるが返事はなかった。もしや逃げ出したかと顔が強張りかけたが、すぐにトイレについている窓は、ネリネが抜け出せるほど大きくはないことを思い出した。 「開けるぞ」 ドアに鍵は掛けられていない。目の前には、床にしゃがみ込んだネリネが壁に凭れていた。うつろな目で空を見つめ、男に気付いてもいない様子だった。男がネリネに触れると、ネリネは初めて男に気付いた。男は眉をひそめた。 「気分でも悪いのか」 「いえ、私は……」 ネリネは重そうに頭を振った。 「目が、突然見えなくなって。そう、停電が起きたみたいにみたいに、ぷつんと……。それで、つまずいてしまって……」 「お前が壊れたというのは視力のことか」 「……え?」 ネリネは驚いたように男を見つめる。 「ああ……、私は病院に行かなければなりません」 無表情でネリネが呟くのを聞きながら、男はネリネを抱え上げた。 「私には、メンテナンスが必要です」 「それはよく分かった」 男はネリネをベッドに寝かせた。 「だが、そうすればお前は俺と……」 言いかけて男は口を閉ざした。 そうすればお前は俺と、再会することはない。 そう口にしかけたことに、男は頭の中で自嘲した。 一体、自分はこのロボットをどうしたいのだろう。このまま放置しておけば間違いなくネリネは動きが止まる。かといってゴトウに突き返す気にはなれない。機関に回収物として提出することはとっくに念頭になかった。 恐らく人生でこんなにも決断に迷ったことはない。それなのに、その原因は迷うことすら知らずに機械のように繰り返し同じ言葉を発し続ける。 ……ああ、こいつは機械だったっけか。 すうっと眠りに落ちるネリネを見つめ、男は今さらのように気が付いた。もうロボットであることすら、忘れかけている。 俺は何がしたいんだ。 男は苛立ちながら立ち上がった。 Copyright (C) 2003 Mutsu Kisaka All Rights Reserved. |