年 号
|
西 暦
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干 支
| 天皇 | 太政大臣(内閣総理大臣) |
事 項
| 当 主 |
明治2 | 1869 | 己巳 | 明治 | - | 赤穂 |
☆6.17 忠儀、華族となる。
☆6.23 忠儀、赤穂藩知事に任ぜられる〔諸家譜、森家系〕。
☆12 忠儀、柴田谷右衛門に「周」と名乗ることを命ず〔柴田家文書〕。 |
忠儀(20) |
三日月 |
☆6.17 俊滋、華族となる。
☆6.23 俊滋、乃井野藩知事に任ぜらる〔諸家譜〕。 |
俊滋 |
新見 |
☆6.17 長克、華族となる。
☆6.22 長克、版籍返上。新見藩知事に任ぜらる〔諸家譜〕。 |
長克 |
他 |
|
明治3 |
1870 |
庚午 |
明治 |
- |
赤穂 |
|
忠儀(21) |
三日月 |
|
俊滋 |
新見 |
☆2.16 沖佐太郎次女留(のちの関博直子爵後妻)、誕生す〔華族〕。 |
長克 |
他 |
|
明治4 |
1871 |
辛未 |
明治 |
三条実美(太政大臣) |
赤穂 |
☆7.15 忠儀、赤穂藩知事を免ぜられる〔森家系〕。
☆6.13 忠儀子忠恕、誕生す〔華族〕。 |
忠儀(22) |
三日月 |
☆7.14 俊滋、三日月藩知事を免ぜらる〔諸家譜〕。 |
俊滋 |
新見 |
☆7.14 長克、新見藩知事を免ぜらる〔諸家譜〕。 |
長克 |
他 |
|
明治5 |
1872 |
壬申 |
明治 |
三条 |
☆3 忠儀、東京に移住す〔森家系〕。
☆9.10 忠儀子英太郎(池田亀入夫)、誕生す〔華族〕。
☆11.12 新見関長克子長愛(伊勢不染養子)誕生〔華族〕。 |
赤穂 |
忠儀(23) |
三日月 |
俊滋 |
新見 |
長克 |
明治6 |
1873 |
癸酉 |
明治 |
三条 |
☆1.12 華族田村邦栄(旧奥州一関藩主)の次女琴(のちの三日月森長祥夫人)、誕生す〔華族〕。 |
赤穂 |
忠儀(24) |
三日月 |
俊滋 |
新見 |
長克 |
明治7 |
1874 |
甲戌 |
明治 |
三条 |
☆4.9 赤穂森忠儀、大講義に補す〔諸家譜〕。
☆10.9 赤穂森忠儀、大講義を免ぜらる〔諸家譜〕。
☆是歳 赤穂森忠儀、「播磨赤穂 森家譜」を明治政府に提出す。三日月森俊滋、「播磨三日月 森家譜」を明治政府に提出す。 |
赤穂 |
忠儀(26) |
三日月 |
俊滋 |
新見 |
長克 |
明治8 |
1875 |
乙亥 |
明治 |
三条 |
|
赤穂 |
忠儀(26) |
三日月 |
俊滋 |
新見 |
長克 |
明治9 |
1876 |
丙子 |
明治 |
三条 |
|
赤穂 |
忠儀(27) |
三日月 |
俊滋 |
新見 |
長克 |
明治10 |
1877 |
丁丑 |
明治 |
三条 |
☆3.19 新見関長克、没す〔華族〕。
☆5.8 新見関家、長克夫人亭以(長道長女)が相続する〔華族〕。
☆11.27 新見関家、亭以養子博直が相続する〔華族〕。 |
赤穂 |
忠儀(28) |
三日月 |
俊滋 |
新見 |
長克
亭以
博直 |
明治11 |
1878 |
戊寅 |
明治 |
三条 |
☆1.19 赤穂城取り壊しの上、入札払となる。落札人は浅野家縁故の人にて瓦・金具等は東京高輪泉岳寺へ寄付す〔東京日日・新聞集成明治編年史〕。
☆是歳 赤穂城藩庁(本丸御殿)、解体される〔赤穂城本丸御殿玄関板書〕。 |
赤穂 |
忠儀(29) |
三日月 |
俊滋 |
新見 |
博直 |
明治12 |
1879 |
己卯 |
明治 |
三条 |
☆6.9 三日月森俊滋、没す〔華族〕。
☆7.30 三日月家、俊滋子の長祥が相続する〔華族〕。
☆12 旧赤穂藩庁殿舎、もとの舟入跡(栄町)に開校した赤穂尋常小学校校舎として再築される〔赤穂城本丸御殿玄関板書〕。 |
赤穂 |
忠儀(30) |
三日月 |
俊滋
長祥 |
新見 |
博直 |
明治13 |
1880 |
庚辰 |
明治 |
三条 |
☆6 新見関博直子爵の子長剛誕生〔華族〕。
☆7.22 一柳末徳次女喜久子(後の赤穂森忠恕夫人)、誕生〔華族〕。 |
赤穂 |
忠儀(31) |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治14 |
1881 |
辛巳 |
明治 | 三条 | ☆6 新見関博直の子毅乎(はたお、大伴義正養子)、誕生す〔華族〕。
☆12.27 赤穂前藩主忠徳、病卒(64歳)。麻布瑠璃光寺に葬る〔森家系、華族〕。
☆是歳 赤穂花岳寺仙珪和尚の主唱により有志等、桜魂社を組織して大石邸址ほか用地を買収す〔創建記録〕。 | 赤穂 |
忠儀(32) |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治15 |
1882 |
壬午 |
明治 |
三条 |
☆8.8 赤穂前藩主忠典、没す(36歳)〔華族〕。 |
赤穂 |
忠儀(33) |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治16 |
1883 |
癸未 |
明治 |
三条 |
|
赤穂 |
忠儀(34) |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治17 |
1884 |
甲申 |
明治 |
三条 |
☆7.8 赤穂森忠儀(赤穂)、子爵に叙爵す。三日月森長祥、子爵に叙爵す。新見関博直、子爵に叙爵す〔華族、華族制度資料〕。 |
赤穂 |
忠儀(35) |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治18 |
1885 |
乙酉 |
明治 |
三条
伊藤博文(内閣総理大臣) |
☆10.15 赤穂森忠儀子爵、没す(36歳)〔華族〕。
☆是歳 赤穂前藩主忠贊子可悌(可象)、没す〔華族〕。 |
赤穂 |
忠儀(36)
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治19 |
1886 |
丙戌 |
明治 |
伊藤 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治20 |
1887 |
丁亥 |
明治 |
伊藤 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治21 |
1888 |
戊子 |
明治 |
伊藤
黒田清隆 |
☆11.17 三日月森長祥の長女千代子(のちの三日月俊成夫人)誕生す〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治22 |
1889 |
己丑 |
明治 |
黒田
三条実美 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治23 |
1890 |
庚寅 |
明治 |
三条
山県有朋 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治24 |
1891 |
辛卯 |
明治 |
山県
松方正義 |
☆5.22 高野の仇討の討手赤木俊蔵、死去す(50歳)〔高野の復讐〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治25 |
1892 |
壬辰 |
明治 |
松方
伊藤博文 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治26 |
1893 |
癸巳 |
明治 |
伊藤 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治27 |
1894 |
甲午 |
明治 |
伊藤 |
☆1.31 五辻長仲三男久行(のちの赤穂森可久子爵)、誕生〔華族〕。
☆9.6 三日月森長祥の次女鑑子誕生す〔華族〕。
☆12 新見関博直子爵夫人天留、没す〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治28 |
1895 |
乙未 |
明治 |
伊藤 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治29 |
1896 |
丙申 |
明治 |
伊藤
黒田清隆
松方正義 |
☆10.8 池田英太郎(赤穂前藩主忠儀子)、没す〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治30 |
1897 |
丁酉 |
明治 |
松方 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治31 |
1898 |
戊戌 |
明治 |
松方
伊藤博文
大隈重信
山県有朋 |
☆12 新見関博直子爵の六男長博、誕生す〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治32 |
1899 |
己亥 |
明治 |
山県 |
☆1 新見関長克夫人亭以、没す〔華族〕。
☆11.8 高野の仇討の討手村上行蔵、死去す(56歳)〔高野の復讐〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥 |
新見 |
博直 |
明治33 |
1900 |
庚子 |
明治 |
山県
伊藤博文 |
☆7.13 三日月森長祥子爵、没す〔華族〕。
☆7.25 三日月家、新見関博直子の俊成が相続する〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
長祥
俊成 |
新見 |
博直 |
明治34 |
1901 |
辛丑 |
明治 |
伊藤
西園寺公望
桂太郎 |
☆2 新見関博直子爵、夫人留と離婚〔華族〕。
☆4.6 旧赤穂藩森家家臣士飯尾定雄俊昌、大石神社の社掌に補される〔創建記録・歴史〕。
☆11.10 高野の仇討の討手池田農夫也、死去す(64歳)〔高野の復讐〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治35 |
1902 |
壬寅 |
明治 |
桂 |
☆2.1 赤穂森忠恕子爵女子鶴音(成田きやう養女)誕生〔華族〕。
☆8.7 赤穂森忠恕子爵の長女嘉音子氏(のちの可久子爵夫人)誕生〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治36 |
1903 |
癸卯 |
明治 |
桂 |
☆3.21 赤穂前藩主森忠儀夫人米子(松平氏)、没す〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治37 |
1904 |
甲辰 |
明治 |
桂 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治38 |
1905 |
乙巳 |
明治 |
桂 |
☆5.24 高野の仇討の津田勉、死去す(74歳)〔高野の復讐〕。
☆8.3 赤穂森忠恕子爵、夫人喜久子と離婚〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治39 |
1906 |
丙午 |
明治 |
桂
西園寺公望 |
☆5 姫路混成旅団長渡辺陸軍少将、大石邸長屋門の破損等を見て赤穂町長を非難す〔創建記録・歴史〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治40 |
1907 |
丁未 |
明治 |
西園寺 |
☆夏 大石旧邸保存会が設立される〔創建記録・歴史〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治41 |
1908 |
戊申 |
明治 |
西園寺
桂太郎 |
☆1 大石旧邸保存会の会長に旧赤穂藩主森忠恕子爵を推戴、併せて副会長・評議員などを選出し、事務所を赤穂花岳寺に置く〔創建記録・歴史〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治42 |
1909 |
己酉 |
明治 |
桂 |
☆7 久留里家森信家、亡母ヨ(光新妻・光福女)の墓誌を建立す〔黒稿下〕。
☆10 新見関博直子爵の女子秋子(のち分家)、誕生す〔華族〕。
☆11.8 三日月森俊成子爵の長男俊守誕生〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治43 |
1910 |
庚戌 |
明治 |
桂 |
☆11.24 三日月森俊成子爵の子俊次誕生〔華族〕。
☆是歳か 大石神社社掌飯尾定雄、大石邸長屋門北門長屋に移住す〔新義6・歴史〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治44 |
1911 |
辛亥 |
明治 |
桂
西園寺公望 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
明治45・大正元 |
1912 |
壬子 |
明治
大正 |
西園寺
桂太郎 |
☆1.13 三日月森俊成子爵の女子喜代子(のちの安田卯之助夫人)誕生〔華族〕。
☆7 大石旧邸保存会会長森忠恕子爵、病気のため会長を辞任。同時に保存会事務所を赤穂花岳寺より大石旧邸長屋門内に移す〔創建記録・歴史〕。
★7.30 改元。明治天皇崩御につき大石神社で奉告祭を行う〔創建記録〕。
☆10.14 かねて療養中の赤穂花岳寺住職釈種仙珪和尚遷化す(75歳)。大石旧邸保存会より花輪を贈り香典を供え祭文を奏して弔す〔創建記録・歴史〕。
☆11.4 赤穂大石神社本殿落成につき遷座祭並びに仮竣工式を挙行す〔創建記録・歴史〕。大阪朝日新聞神戸附録『大石神社建立記念号』発行〔歴史〕。
☆11.6 高野の仇討の討手村上六郎、死去(72歳)〔高野の復讐〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正2 |
1913 |
癸丑 |
大正 |
桂
山本権兵衛 |
☆4 赤穂前藩主忠徳の遺骨を赤穂花岳寺へ再改葬〔森家系〕。
☆8.20 三日月森俊成子爵女子美代子(のちの石川健逸夫人)誕生〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正3 |
1914 |
甲寅 |
大正 |
山本
大隈重信 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正4 |
1915 |
乙卯 |
大正 |
大隈 |
☆11.17 三日月森俊成夫人千代子、没す〔華族〕。三日月森俊成子爵女子嘉代子(のちの風野輝雄夫人)誕生〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正5 |
1916 |
丙辰 |
大正 |
大隈
寺内正毅 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正6 |
1917 |
丁巳 |
大正 |
寺内 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正7 |
1918 |
戊午 |
大正 |
寺内
原 敬 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正8 |
1919 |
己未 |
大正 |
原 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正9 |
1920 |
庚申 |
大正 |
原 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正10 |
1921 |
辛酉 |
大正 |
原
内田康哉
高橋是清 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正11 |
1922 |
壬戌 |
大正 |
高橋
加藤友三郎 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直 |
大正12 |
1923 |
癸亥 |
大正 |
加藤
内田康哉
山本権兵衛 |
☆3.7 内務大臣より史蹟保存法に基づく史蹟として「大石良雄宅阯」が国史跡の指定を受ける〔新義6・歴史〕。☆4.26 新見関博直子爵、没す〔華族〕。
☆6 関子爵家、博直子長剛が相続する〔華族〕。
☆是歳 赤穂大石神社に宮司職舎建つ〔新義60〕。赤穂大石神社社掌飯尾定雄死去〔新義6〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
博直
長剛 |
大正13 |
1924 |
甲子 |
大正 |
山本
清浦奎吾
加藤高明 |
☆8.1 筏安太郎(水處)著『明治秘史高野の復讐』、日本魂社より発行される。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長剛 |
大正14 |
1925 |
乙丑 |
大正 |
加藤 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長剛 |
大正15
昭和元 |
1926 |
丙寅 |
大正
昭和 |
岩槻禮次郎 |
☆1 赤穂大石神社飯尾巌夫社掌一家、大石邸長屋門より神社社務所職舎へ移る。このとき長屋門西側に増設されていた便所・台所等は取り払われる〔新義6・歴史〕。
☆8.5 太田由喜馬(雪中)編述による『明治維新赤穂志士高野の殉難』、十五志士事績顕彰会より発行される。
★12.25 改元。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長剛 |