年 号
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西 暦
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干 支
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天 皇
| 将軍 | 事 項 | 当 主
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延享4 | 1747 | 丁卯 | 櫻町
桃園 | 家重 | 赤穂 |
☆2.6 忠洪、政房の遺領を継ぐ[大系図、寛政]。
☆2.12 忠洪、はじめて将軍家重に拝謁す[寛政]。
☆12.19 忠洪、従五位下和泉守に叙任す[寛政]。 |
忠洪(17) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
☆是歳 福岡藩士森正右衛門一秀(福岡家)の女子(のち福岡藩士中根惣助妻)誕生す[可政]。 |
延享5
寛延元
★7.12
改元 |
1748 |
戊辰 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆2.7 忠洪、当春下向の仙洞使八條中納言の御馳走役を命ぜられる[大系図]。
☆4.15 忠洪、はじめて城地に行く暇を賜る[大系図、寛政]。
☆5.15 忠洪、赤穂に初入部[大系図]。 |
忠洪(18) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
|
寛延2 |
1749 |
己巳 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆2.14 忠洪、赤穂城内に浅野家三代(長直・長友・長矩)を祀る祠を建立。「豊亮神」と号す[大系図]。
☆4.5 忠洪、参府[大系図]。 |
忠洪(19) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
☆是歳 旗本森源六郎長囿(左兵衛家)、西丸御小姓組を勤むという[可政]。 |
寛延3 |
1750 |
庚午 |
桃園 | 家重 | 赤穂 |
☆2.12 忠洪、井上河内守利容妹と婚姻す[大系図]。
☆6.5 忠洪、赤穂帰城[大系図]。 |
忠洪(20)
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三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
|
寛延4
宝暦元
★10.27
改元 |
1751 |
辛未 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆3.28 忠洪、参府。常盤橋御門番を勤む[大系図]。
☆6.16 森主馬正恭(縫殿家)の嫡男主禮(正賀)、赤穂に於いて誕生す母は於鶴(森兵部忠冨女)[可政]。 |
忠洪(21) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
☆2.14 久留里藩主黒田直純、大坂城加番を命ぜられる。家臣森光嶢(久留里家)供奉す[黒稿下]。
☆6.11 福岡藩士森正右衛門一秀(福岡家)、赤穂藩士森主馬正恭(縫殿家)へ先祖の事を報ず[可政]。 |
宝暦2 |
1752 |
壬申 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆正.3 忠洪長男豊之助(のちの山城守忠興)、江戸に於いて誕生す。母は井上利容妹(正之女)[寛政、大系図]。
☆6.朔 忠洪、赤穂帰城[大系図]。 |
忠洪(22) |
三日月 |
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俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
☆3.20 旗本森源六郎長囿(左兵衛家)妻長山弥三郎直利(御小納戸)女、死去す。法名「春光院殿澄月命皓大姉」[可政]。
☆8.23 旗本森銕之進政満(才兵衛家)致仕し、嫡男新太郎政俵が家督を継ぐ[寛政]。
☆10.8 旗本隠居森源六郎長囿(左兵衛家)死す(77歳)。法名「法雲院殿泰翁淨閑居士」、牛込松源寺に葬られる[可政、寛政]。
☆10.13 旗本森新太郎政俵(才兵衛家)、御書院番に列す[寛政]。 |
宝暦3 |
1753 |
癸酉 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆4.2 忠洪、参府[大系図]。
☆7.24 森主馬正恭(縫殿家、実弘前藩士門馬八郎右衛門本親二男・正典養子)、死去す(27歳)。法名「節操院殿南巌維石居士」、墓所赤穂隨鴎寺。正恭妻於鶴(森兵部忠冨女)は剪髪して「誠生院」と号す[可政]。
☆9.15 森衛守正賀(縫殿家)、亡父正恭の遺跡を継ぎ、50人扶持を賜る[可政]。 |
忠洪(23) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
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宝暦4 |
1754 |
甲戌 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆4 忠洪、病気のため滞府を願い出る[大系図]。
☆5.13 忠洪女栄、江戸に於いて誕生す。母は井上利容妹[大系図]。 |
忠洪(24) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
☆12.10 旗本森半右衛門正親(次郎家)致仕し、剃髪して功山と号す。家督は政張が継ぐ[可政、寛政]。 |
宝暦5 |
1755 |
乙亥 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆4.16 忠洪、呉服橋勤番[大系図]。 |
忠洪(25) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
☆正.11 久留里藩士森光敏(久留里家分家)、物頭兼元占役となり、20石加増せらる[黒稿下]。
☆3.15 旗本森半右衛門政張(次郎家)、はじめて将軍家重に拝謁す[寛政]。
☆5.11 旗本森半右衛門政張(次郎家)、西丸御小姓組に列す[可政、寛政]。 |
宝暦6 |
1756 |
丙子 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆正.14 忠洪、常盤橋繰上勤番を命ぜられる〔大系図〕。
☆3.16 長孝後室智光院、熱海へ当時のため江戸を発す〔続家譜1〕。
☆4.20 長孝後室智光院、熱海より帰府〔続家譜1〕。
☆6.6 忠洪、赤穂帰城〔大系図〕。
☆7.27 忠洪子赤穂に於いて死産。花岳寺に葬る。母は西宮氏半〔大系図〕。
☆11.22 忠洪子長二郎、江戸に於いて誕生す。母は家女類〔大系図〕。 |
忠洪(26) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
☆9.19 旗本森源六郎長囿(左兵衛家)妻戸田八郎兵衛忠古(御小姓組本多日向守組)女、死去す。法名「賢秀院殿貞窓明節大姉」[可政]。 |
宝暦7 |
1757 |
丁丑 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆4.3 忠洪、参府。呉服橋勤番〔大系図〕。
☆9.2 長孝後室智光院、熱海へ迎湯のため江戸を発す〔続家譜1〕。
☆9.29 長孝後室智光院、熱海より帰府〔続家譜1〕。
☆10.26 忠洪女亀(のち政・周・千代・政・秀、六郷政展室)、江戸に於いて誕生す。母は西宮氏半〔大系図〕。 |
忠洪(27) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
☆是歳 政富次男小十郎(後の関政辰)、誕生す。母は松平市正親純女〔寛政〕。 |
政富 |
旗本他 |
☆3 久留里藩家臣清太夫光仲等、武蔵飯能多峯主山萬松院殿(沼田城主黒田直邦)墓前に石燈籠1基を奉献す〔能仁寺黒田家家臣奉献石燈籠銘〕。
☆8.5 久留里藩士森平太兵衛光敏(久留里家分家)、留守居役となり、20石加増せらる〔黒稿下〕。 |
宝暦8 |
1758 |
戊寅 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆4.23 忠洪、家中に倹約令を発す〔森続家譜1〕。
☆6.4 忠洪、赤穂帰城〔大系図〕。
☆是歳 忠洪に三男髑(後の右兵衛佐忠賛)誕生す。母は井上正之女(大系図などは宝暦10年)〔寛政〕。 |
忠洪(28) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政富 |
旗本他 |
|
宝暦9 |
1759 |
己卯 |
桃園 |
家重 |
赤穂 |
☆4.5 忠洪、参府[大系図]。
☆5.9 忠洪、堀大和守代として駿府加番を命ぜられるも病につき御免を願う[大系図]。
☆5.25 清泰院殿(忠政側室於竹山内氏)100年忌法要、津山宗永寺に於いて執行される。赤穂藩より使者が遣わされ、白銀1枚・香典200疋を供える[実録6]。
☆F.5 忠洪、病により駿府加番御免[大系図]。
☆8.5 森主馬正恭(縫殿家)女於五百、早世す(7歳)。法名「蕣齢禅童女」、墓所赤穂隨鴎寺[可政]。
☆11.20 長孝後室智光院(長直女幾)、卒す(60歳)。法名「智光院殿圓室貞明大姉」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆12.12 忠洪、常盤橋勤番を命ぜられる〔大系図〕。 |
忠洪(29) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
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政富 |
旗本他 |
☆2.18 旗本森半右衛門政張(次郎家)、将軍より松平周防守領地石見濱田城を本多中務大輔忠敞へ引渡の御使を命ぜられ、金5枚を拝領するる[可政]。
☆5.朔 旗本森半右衛門政張(次郎家)、丹羽五左衛門長利とともに石見国濱田城を本多中務大輔忠敞へ引渡の御使を勤む[寛政]。
☆10.27 旗本森源六郎和吉(左兵衛家)の長男亀十郎(長延)、誕生す[可政]。 |
宝暦10 |
1760 |
庚辰 |
桃園 |
家重
家治 |
赤穂 |
☆4.13 忠洪子髑(のちの右兵衛佐忠贊)、江戸に於いて誕生す母は西宮氏半(寛政は宝暦8年)[大系図]。
☆4 忠洪、帰国のところ病につき滞府を願い出る[大系図]。
☆9.16 忠洪、将軍宣下につき名代を以て太刀・馬代を献上す[大系図]。 |
忠洪(30) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
☆6.4 政富、死去す(43歳)。法名「建徳院鳳山元輝」、備中西来寺に葬られる[寛政]。
☆7.27 政富嫡男小十郎政辰、父の遺跡を継ぐ[寛政]。 |
政富
政辰 |
旗本他 |
☆4.朔 旗本森半右衛門政張(次郎家)、惇信院殿(将軍家重)廟附を命ぜられる[可政]。
☆4.11 久留里藩主黒田直純女美喜子、家臣森光嶢(久留里家)に嫁す[黒稿下]。
☆8.2 久留里藩留守居役森光敏(久留里家分家)、参政となり留守居役を兼任す[黒稿下]。
☆8.3 旗本森半右衛門政張(次郎家)、本丸に勤仕す[可政、寛政]。
☆是秋 久留里藩士森二郎左衛門光厚(久留里家)、江戸に来たりて勤仕す[黒稿下]。 |
宝暦11 |
1761 |
辛巳 |
桃園 |
家治 |
赤穂 |
☆6.12 忠洪、増上寺惇信院霊廟に石燈籠を奉献す〔茅ヶ崎龍前院森忠洪寄進石燈籠銘文〕。
☆12 忠洪、御代替誓詞を提出す〔大系図〕。 |
忠洪(31) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
☆6.12 政辰、増上寺惇信院霊廟に石燈籠を奉献す〔東久留米浄牧院関政辰寄進石燈籠銘文〕。 |
政辰 |
旗本他 |
☆12.26 旗本森新太郎政俵(才兵衛家)、御書院番を辞す[寛政]。
☆是歳 福岡藩士森正右衛門一秀(福岡家)、隠居し悠山と号す[可政]。 |
宝暦12 |
1762 |
壬午 |
桃園
後桜町 |
家治 |
赤穂 |
☆2.2 長直室道(鯰江氏)、卒す。法名「寶樹院殿凉室心清大姉」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆4.26 忠洪、江戸発駕。途中、伊勢に参宮し、出口信濃宅に止宿す〔大系図〕。
☆11.30 忠洪、朝鮮通信使来朝・帰国につき鞍皆具を江戸より遠江舞坂まで4疋分差出す〔大系図〕。
☆是歳 忠政子青松院殿(虎松)150回忌。赤穂藩、田中善左衛門を以て江戸広徳寺へ香典1枚を供える。また赤穂藩用人奉行、美作本源寺へ足軽飛脚を以て香典銀1枚を供える〔実録6〕。 |
忠洪(32) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政辰 |
旗本他 |
☆4.10 旗本隠居森功山(半右衛門正親・次郎家)室岡部藤十郎女、死去す。法名「妙觸院殿宣室慧明大姉」、墓所金龍寺[可政]。
☆7.4 旗本隠居森功山(半右衛門正親・次郎家)、死す(67歳)。法名「不宰院殿功山祖勲居士」、浅草金龍寺に葬られる[可政、寛政]。
☆10 久留里藩主黒田直純、重臣森光嶢(久留里家)邸に初めて御成。以後安永4年10月まで主君御成25度[黒稿下]。
☆12.15 旗本森半右衛門政張(次郎家)、西丸(家基)勤仕となる[可政、寛政]。 |
宝暦13 |
1763 |
癸未 |
後桜町 |
家治 |
赤穂 |
☆是歳 忠洪、病につき早参府を願い出る[大系図]。
☆2.18 忠洪、江戸着[大系図]。
☆5.14 忠洪、本所御蔵火番を命ぜられる[大系図]。 |
忠洪(33) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政辰 |
旗本他 |
☆11.13 旗本旗本森半右衛門政張(次郎家)嫡男新三郎(のちの次郎兵衛政宣)誕生す。母家女[可政]。 |
宝暦14
明和元
★6.2
改元 |
1764 |
甲申 |
後桜町 |
家治 |
赤穂 |
☆正.24 忠洪女栄、早世す(11歳)。法名「洞裡院殿春霄常仙童女」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆8.14 忠洪子長二郎、早世す(9歳)。法名「観月院殿五輪俊光禅童子」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆9.11 忠洪、江戸発駕。路次支障有りて赤穂帰城延引す[大系図]。 |
忠洪(34) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政辰 |
旗本他 |
☆是歳 福岡藩士森正左衛門正冨(福岡家)、父正右衛門一秀の家督を継ぐ[可政]。 |
明和2 |
1765 |
乙酉 |
後桜町 |
家治 |
赤穂 |
☆4.朔 忠洪、参府〔大系図〕。
☆6.15 忠洪、常盤橋勤番を命ぜられる〔大系図〕。
☆8.17 豊後岡城主中川修理大夫久貞女巻(牧、のちの赤穂森忠贊室)、江戸に於いて誕生す。母は侍女〔中川氏系図〕。
☆11.7 赤穂藩、在中店商いの御免の品を定める〔在中店商御免之物覚〕。 |
忠洪(35) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政辰 |
旗本他 |
☆是歳 福岡藩士森正左衛門正冨(福岡家)、足軽頭となる〔可政〕。 |
明和3 |
1766 |
丙戌 |
後桜町 |
家治 |
赤穂 |
☆正.28 忠洪、将軍家治若君(家基)御袴着の祝儀として将軍家治と嫡子家基・平川へ1種1荷宛献上す[大系図]。
☆2.8 忠洪、赤穂城内神明社を建立す[大系図]。
☆4.5 忠洪、赤穂城内に祖先(可成・長可・忠政)を祀る三霊祠を建立す[大系図]。
☆5.30 忠洪、赤穂帰城[大系図]。
☆11.19 今年赤穂領内豊作につき1茎2穂出来差出[大系図]。 |
忠洪(36) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政辰 |
旗本他 |
|
明和4 |
1767 |
丁亥 |
後桜町 |
家治 |
赤穂 |
☆3.25 忠洪、参府[大系図]。
☆11.8 赤穂藩江戸上屋敷飼葉小屋出火、但し類焼なし[大系図]。 |
忠洪(37) |
三日月 |
☆5.4 隠居長記、卒す(82歳)。法名「長運院豊山」、池上本行寺に葬られる[寛政、三日月森]。 |
俊春 |
新見 |
|
政辰 |
旗本他 |
☆3.26 久留里藩家老森五郎兵衛光嶢・森平太兵衛光敏等、武蔵飯能多峯主山萬松院殿(沼田城主黒田直邦)墓前に石燈籠1基を奉献す〔能仁寺黒田家家臣奉献石燈籠銘〕。 |
明和5 |
1768 |
戊子 |
後桜町 |
家治 |
赤穂 |
☆2.15 忠洪嫡子豊之助忠興、はじめて将軍家治に拝謁す[大系図、寛政]。
☆2.19 忠洪嫡子豊之助(忠興)、元服[大系図]。
☆3.4 忠洪、当春参向の東宮使綾小路中納言の御馳走役を命ぜられる[大系図]。
☆4 忠洪、帰国のところ病につき延引す[大系図]。
☆8.27 忠洪嫡子忠興、前髪執[大系図]。
☆12.18 忠洪嫡子忠興、従五位下山城守に叙任す[寛政、系図纂要]。 |
忠洪(38) |
三日月 |
☆是歳 松平(浅野)安藝守重晟三男杢之丞(後の快温)、安藝国広島に於いて誕生す。母は石川氏[寛政、華族]。 |
俊春 |
新見 |
|
政辰 |
旗本他 |
☆11.2 久留里藩参政森光敏(久留里家分家)、主君の命により黒田直亨の傅となり、20石加増せらる(計120石)[黒稿下]。 |
明和6 |
1769 |
己丑 |
後桜町 |
家治 |
赤穂 |
☆6.16 忠洪側室半(西宮氏・忠贊生母)、死去す。法名「自性院殿玲顔玉鮮大姉」[大系図]。
☆7.18 忠洪、隠居を願い出る[大系図]。
☆7.26 忠洪・忠興父子、久世隠岐守と同道し登城。忠洪の隠居が認められ、忠興が家督を継ぐ[大系図、寛政、系図纂要]。
☆12.17 忠興、常盤橋勤番を命ぜられる[大系図]。 |
忠洪(39)
忠興(18) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政辰 |
旗本他 |
|
明和7 |
1770 |
庚寅 |
後桜町
後桃園 |
家治 |
赤穂 |
☆4.19 忠興、はじめて領地に行く暇を賜る[大系図、寛政]。
☆5.19 忠興、赤穂帰城[大系図]。 |
忠興(19) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政辰 |
旗本他 |
☆12.6 旗本森半十郎(半十郎家)隠居し、家督200俵は子息一学が継ぎ設楽善左衛門貞根支配となる[断家譜]。
☆12.21 旗本森一学(半十郎家)、大御番米倉丹後守昌晴組に入る[断家譜]。 |
明和8 |
1771 |
辛卯 |
後桃園 |
家治 |
赤穂 |
☆4.朔 忠興、参府[大系図]。
☆6.26 忠興、呉服橋勤番を命ぜられる[大系図]。
☆12.12 忠興女菊(のち十重・久、加藤佐渡守・伊東播磨守室)、赤穂に於いて誕生す。母は家女志免(京都の人)[大系図]。 |
忠興(20) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
|
政辰 |
旗本他 |
☆10.18 旗本森半右衛門政張(次郎家)、居宅長屋より出火につき伺の上遠慮[可政、寛政]。
☆10.27 旗本森半右衛門政張(次郎家)、遠慮御免[可政、寛政]。 |
明和9
安永元
★11.16
改元 |
1772 |
壬辰 |
後桃園 |
家治 |
赤穂 |
☆2.19 忠洪女亀、六郷丹波守政展に嫁す[大系図]。
☆2.29 目黒行人坂より出火し大火となる。松平右近将監武元屋敷類焼につき、その家族赤穂藩邸に滞在す[大系図]。
☆3.18 忠興、松平武元女と婚姻が整う[大系図]。
☆4 忠興、先の大火につき帰国の暇与えられず江戸に滞府す[大系図]。 |
忠興(21) |
三日月 |
☆9.朔 俊春嫡男達五郎(俊韶)、はじめて将軍家治に拝謁す[寛政]。 |
俊春 |
新見 |
☆12.朔 政辰、はじめて将軍家治に拝謁す[寛政]。 |
政辰 |
旗本他 |
☆2 旗本岡部徳五郎に吟味あり。これによって旗本森半右衛門政張(次郎家)御目通遠慮[可政]。
☆3.18 旗本森半右衛門政張(次郎家)、死去す(45歳)。法名「梁臺院殿廓然淨徹居士」、浅草金龍寺に葬られる[可政、寛政]。
☆9.6 旗本森政張(次郎家)嫡男次郎兵衛政宣、父の遺跡を継ぎ、小普請組青山主馬支配に入る[可政、寛政]。
☆12.22 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)、遺跡相続御礼[可政]。 |
安永2 |
1773 |
癸巳 |
後桃園 |
家治 |
赤穂 |
☆3.7 兼ねて病気の忠興室晶(松平氏)産気を催すも出産無くして卒す。法名「智照院殿圓覺慈鏡大姉」、瑠璃光寺に葬る。死産の子も瑠璃光寺に葬る。法名「観相祐理童子」[大系図]。 |
忠興(22) |
三日月 |
|
俊春 |
新見 |
☆是歳 前藩主政富長男長誠の嫡子陽之助(後の備前守長輝)、備中新見に於いて誕生す。母は某氏[寛政]。 |
政辰 |
旗本他 |
☆是歳 旗本森一学(半十郎家)、小堀備中守政方組に属して二条城在番を勤む[断家譜]。 |
安永3 |
1774 |
甲午 |
後桃園 |
家治 |
赤穂 |
☆6.4 忠興、赤穂帰城[大系図]。 |
忠興(23) |
三日月 |
☆5.29 俊春致仕し、俊韶が家督を継ぐ〔寛政〕。
☆11.16 隠居俊春、對馬守を安藝守に改める[寛政]。
☆12.18 俊韶、従五位下對馬守に叙任す[寛政、三日月森]。 |
俊春
俊韶 |
新見 |
☆4.18 政辰、はじめて暇を賜り封地に行く[寛政]。
☆8 前藩主関政富長男長誠、政辰の嗣子となる[寛政]。
☆8.23 政辰、備中新見に於いて卒す(18歳)。法名「慈徳院彼山本立」、備中西来寺に葬られる[寛政]。
☆11.26 政辰養子長誠、政辰の遺領を継ぐ[寛政]。
☆12.朔 長誠、はじめて将軍家治に拝謁す[寛政]。
☆12.18 長誠、従五位下備前守に叙任す[寛政]。 |
政辰
長誠 |
旗本他 |
☆4 二条城在番の旗本森一学(半十郎家)、帰府するも、途中駿河本市場の宿に於いて乱心し、同役原田弥右衛門種増を殺害して自害す[断家譜]。
☆7.14 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)、家事一件につき評定所にて吟味される[可政]。
☆7.25 大番松下清兵衛氏興、駿河の森一学(半十郎家)闘死に際しての取り計らいよからずとして隠退せしめられ、禄を削りて子釜次郎美郷に200俵を賜る[実紀10]。
☆10.23 旗本隠居森銕之進政満(才兵衛家)死す(64歳)。法名「日妙」、深川淨心寺一乗院に葬られる[寛政]。 |
安永4 |
1775 |
乙未 |
後桃園 |
家治 |
赤穂 |
☆2.4 忠興、病気につき願い出て早参府す〔大系図〕。
☆4.19 忠興子豊之助、江戸に於いて誕生す。母は高橋氏鉄〔大系図〕。
☆9.17 忠洪女恒、江戸に於いて誕生す。母は家女倉(江戸の人)〔大系図〕。 |
忠興(24) |
三日月 |
☆4.19 俊韶、はじめて所領に行く暇を賜る〔寛政〕。
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俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
☆2.4 旗本次郎家の家事一件落着。森政張(次郎家)妾鏡臺院とその弟鈴木弥兵衛等、浅草金龍寺楚山と示し合わして不埒の所業を知らざる事不束なりととして次郎兵衛政宣は閉門を命ぜられる〔可政〕。森源六郎和吉も宗家政宣を等閑せるを不届とて、逼塞を命じられる〔寛政〕。
☆6.5 先に逼塞せし旗本森源六郎和吉(可政分家)赦免〔寛政〕。
☆7.6 兼ねて閉門中の旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)、御免。石河土佐守支配になる〔可政、寛政〕。
☆K.27 久留里藩家老森五郎兵衛光嶢等、武蔵能仁寺春晃院殿(久留里城主黒田直純)墓前に石燈籠1対を奉献す〔能仁寺黒田家家臣奉献石燈籠銘〕。 |
安永5 |
1776 |
丙申 |
後桃園 |
家治 |
赤穂 |
☆2.21 赤穂藩、浜稼方給銀につき規則等を定める〔浜稼被仰渡御請印形帳−塩屋村柴原家文書〕。
☆3.18 出羽本荘城主六郷政展死去〔大系図〕。
☆4.13 将軍家治、日光社参〔大系図〕。
☆4.21 将軍家治、未下刻日光より還御〔大系図〕。
☆4.25 忠興、将軍家治日光社参につき御樽1荷・干鯛1箱、家治嫡子家基並びに御部屋様へ干鯛1箱宛献上す〔大系図〕。
☆6.2 赤穂前藩主忠洪、卒す(46歳)。法名「大盛院殿以徳善隣大居士」、江戸土器町瑠璃光寺に葬られる〔大系図、寛政、系図纂要〕。
☆7.12 六郷政展死去により室亀(忠洪女)、和談の上実家に戻る〔大系図〕。
☆10.9 忠興、赤穂帰城(病気につき延引す)〔大系図〕。 |
忠興(25) |
三日月 |
☆10.4 前藩主長記長男可敦、乃井野に於いて卒す(61歳)。法名「盛徳院可敦棄雲」〔寛政、三日月森〕。 |
俊韶 |
新見 |
☆6.22 長誠、梶並内蔵に120石を安堵す〔梶並家文書〕。
☆7.朔 備前守長誠、はじめて封地に行く暇を賜る〔寛政〕。 |
長誠 |
旗本他 |
☆2 森五郎兵衛光嶢(久留里家)、久留里藩家老となり50石加増せらる〔黒稿下〕。 |
安永6 |
1777 |
丁酉 |
後桃園 |
家治 |
赤穂 |
☆4.2 忠興、参府[大系図]。
☆4.24 忠興、赤穂城外に講堂を建立す[大系図]。忠興女菊、江戸に移る[大系図]。
☆5.5 忠興子豊之助、早世す(3歳)。法名「夭寛院殿愿道體恭禅公児」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆8.8 赤穂城外講堂の普請成就す[大系図]。
☆8.25 赤穂城外講堂釈菜執行。これより年々春秋行う[大系図]。
☆11.14 赤穂藩江戸上屋敷南長屋出火するも早速鎮火[大系図]。
☆12.2 忠興、本所御蔵防を命ぜられる[大系図]。 |
忠興(26) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
☆6.17 長誠子 (のちの関主計頭長輝)、誕生[華族]。 |
長誠 |
旗本他 |
|
安永7 |
1778 |
戊戌 |
後桃園 |
家治 |
赤穂 |
☆正.10 夜、赤穂城内の用屋敷から出火。累代の記録多く焼失す[大系図]。
☆10.28 夜、赤穂に於いて重臣森主禮屋敷焼失す[大系図]。
☆11.26 中川久貞女巻(のちの赤穂森忠贊室)、松平摂津守義裕と婚約す[中川氏系図]。
☆12.15 忠興弟忠贊子亀太郎、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏留世(江戸の人)[大系図]。 |
忠興(27) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
☆2.6 久留里藩使番森光信(久留里家分家)、出奔し久留里分家断絶す。光信父光敏は兄光仲(久留里家)に引き取られる[黒稿下]。
☆10.10 久留里藩家老森光嶢(久留里家)叔父光敏(光仲弟)、没す(73歳)。法名「咸應院雨石日到居士」、墓所深川淨心寺[黒稿下]。 |
安永8 |
1779 |
己亥 |
後桃園
光格 |
家治 |
赤穂 |
☆7.4 忠興弟忠贊子亀太郎早世す。法名「常正院殿實相凉有禅童子」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。 |
忠興(28) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
|
安永9 |
1780 |
庚子 |
光格 |
家治 |
赤穂 |
☆4.26 森衛守正賀(縫殿家)嫡男慶太郎(賛張)、赤穂に於いて誕生す。母は池田要人信行(岡山藩士)女於仲〔可政〕。
☆4.29 忠興実弟髑忠贊、忠興養子となる〔寛政、大系図には28日〕。
☆6.朔 忠興養子忠贊、はじめて将軍家治に拝謁す〔寛政〕。
☆8.6 忠興・忠贊、毛利和泉守同道の上登城し、忠興の隠居が認められ、嗣子忠贊が家督を継ぐ〔大系図、寛政〕。忠贊、西川吉右衛門に扶助米50俵を安堵す〔柴田家文書〕。
☆11.5 忠贊、幸橋御門番を命ぜられる〔大系図〕。
☆12.7 忠贊、常盤橋御門転勤繰上を命ぜられる〔大系図〕。
☆12.18 忠贊、従五位下伊豫守に叙任す〔大系図、寛政、系図纂要〕。 |
忠興(29)
忠贊(21) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
|
安永10
天明元
★4.2
改元 |
1781 |
辛丑 |
光格 |
家治 |
赤穂 |
☆正.24 忠贊、家中並びに領内へ倹約令を発す〔町在倹約御触書并当浦格別困窮ニ付申合〕。
☆2.24 塩屋村組頭忠四郎等、ほてしろ米停止につき作らざる旨の証文を庄屋等に提出す〔塩屋村文書〕。
☆2.29 忠洪女亀(元六郷政展室)、内藤丹波守學文に嫁す〔大系図〕。
☆3.21 忠興女恵津、江戸に於いて誕生す母は大塚氏春(江戸の人)〔大系図〕。
☆5.23 忠贊女金、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏留世〔大系図〕。
☆8.3 赤穂前藩主忠興、願い出て山城守を出雲守と改める〔大系図、系図纂要〕。
☆9.5 忠贊、当冬参向の院使難波大納言の饗応役を命ぜられる〔大系図〕。 |
忠贊(22) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
|
天明2 |
1782 |
壬寅 |
光格 |
家治 |
赤穂 |
☆正.11 忠贊子、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏留世〔大系図〕。
☆正.13 忠贊子、早世す。法名「梅萼匂善公子」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆正 忠贊、家中へ倹約令を発す〔森続家譜2〕。
☆4.13 忠贊、伊豫守を大内記と改める〔大系図、寛政〕。
☆4.15 将軍家治嫡子家基元服につき忠贊登城し、将軍家治・嫡子家基へ太刀・馬代を、御部屋様へ1種・銀1枚献上す〔大系図〕。
☆4.25 忠贊、はじめて城地に行く暇を賜る〔大系図、寛政〕。
☆6.9 忠贊、初めて赤穂に入部〔大系図〕。
☆11.19 忠興女三栄(のち三喜、市橋初之丞・大嶋兵庫・松平采女正室)、江戸に於いて誕生す。母は家女紋(江戸の人)〔大系図〕。
☆12.23 忠興男子、江戸に於いて誕生す。母は家女春(江戸の人)〔大系図〕。
☆12.24 昨日誕生の忠興男子早世す。法名「却外雪現童子」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。 |
忠贊(23) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
☆是歳 福岡藩士森正左衛門正冨(福岡家)、瑶津院用聞役となり出府す[可政]。 |
天明3 |
1783 |
癸卯 |
光格 |
家治 |
赤穂 |
☆2.4 忠贊子園丸、赤穂に於いて誕生す。母は鈴木氏留世[大系図]。
☆3.22 忠贊、参府[大系図]。
☆4.22 忠贊、芝藩邸到着。福岡藩士森正左衛門正冨(福岡家)、忠贊へ博多織帯地・生鯛1折を、隠居忠興へ博多焼てあぶり・生鯛1折を差し上げる。また、正冨、赤穂藩士森織部可弘(采女家)・森衛守正賀(縫殿家)と対面す[可政]。
☆11.7 福岡藩士森正左衛門正冨(福岡家)、忠贊より紋付小袖・料理を賜る[可政]。
☆是暮 隠居忠興、発病す[大系図]。 |
忠贊(24) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
|
天明4 |
1784 |
甲辰 |
光格 |
家治 |
赤穂 |
☆正.29 隠居忠興、卒す(33歳)。法名「宗徳院殿忠巌義興大居士」、瑠璃光寺に葬る〔大系図、系図纂要〕。
☆@.26 忠贊子千恵(のちの新見関長輝室)、江戸に於いて誕生す。母は堤氏若山〔大系図、華族〕。
☆4 忠贊、帰国のところ病気につき滞府す〔大系図〕。
☆8.10 忠贊女延、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏〔大系図〕。
☆9.21 中川久貞女巻(のちの赤穂森忠贊室)、松平義裕との婚約破棄〔中川氏系図〕。 |
忠贊(25) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
☆@.17 久留里藩家老森五郎兵衛光嶢等、武蔵能仁寺松樹院殿(久留里城主黒田直亨)墓前に石燈籠1対を奉献す〔能仁寺黒田家家臣奉献石燈籠銘〕。
☆3.26 旗本森源六郎和吉(左兵衛家)、老衰により番を辞す。この時、黄金2枚を拝領す〔寛政〕。
☆4 久留里藩主黒田直英、江戸城に登城。将軍家治に拝謁す。家老森光嶢(久留里家)、主君に随行〔黒稿下〕。
☆9.12 旗本森亀十郎長延(左兵衛家)嫡男松次郎(長格)、誕生す〔可政〕。
☆11.20 福岡藩士森正左衛門正冨(福岡家)、帰国につき選別として赤穂藩主忠贊より白銀5枚を賜る〔可政〕]。 |
天明5 |
1785 |
乙巳 |
光格 |
家治 |
赤穂 |
☆2.14 内藤學文室亀(忠洪女)、不熟につき離縁[大系図]。
☆2.18 忠贊女金、早世す(5歳)。法名「函光院殿昭華霊珎大童女」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆4.22 忠贊、江戸上屋敷庭に山王権現を勧請す[大系図]。
☆5.23 忠贊、呉服橋御門番を命ぜられる[大系図]。
☆6.23 忠贊、中川修理大夫久貞女巻(牧)と婚姻[大系図、中川氏系図、華族]。
☆8.7 忠贊子園丸、早世す(3歳)。法名「心凉院殿園月常照大公兒」、花岳寺に葬る[大系図]。
☆10.朔 森縫殿正典(縫殿家)後室圓照院(於梅・後妻、森庄三郎正紹女)、死去す(91歳)。法名「圓照院殿月心安生大姉」、墓所赤穂隨鴎寺[可政]。
☆10.3 森衛守正賀(縫殿家)女子於梅(生母正賀妻於仲)、早世す(2歳)。法名「恵明禅童女」、墓所赤穂隨鴎寺[可政]。 |
忠賛(26) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
|
天明6 |
1786 |
丙午 |
光格 |
家治 |
赤穂 |
☆正.28 忠贊女美智(新庄駿河守嫡子亀丸婚約)、江戸に於いて誕生す。母は堤氏〔大系図〕。
☆4.15 忠洪女恒、旗本森新三郎と婚約す〔大系図〕。
☆7.30 忠洪女秀(六郷政展・内藤學文室)、卒す(30歳)。法名「貞竜院殿順應承天大姉」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆是夏 忠贊、痔疾となる〔大系図〕。
☆9.17 忠贊、家中へ倹約令を発す〔森続家譜2〕。
☆10.9 忠贊、赤穂帰城〔大系図〕。
☆11.2 忠贊、家齊将軍宣下につき使者を以て太刀・馬代を献上す〔大系図〕。
☆12.19 忠贊室巻(中川氏)、女子死産す。法名「自得幻智童女」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。 |
忠贊(27) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
☆7.18 久留里藩家老森五郎兵衛光嶢等、武蔵能仁寺泰崇院殿(久留里城主黒田直英)墓前に石燈籠1対を奉献す〔能仁寺黒田家家臣奉献石燈籠銘〕。
☆是夏 福岡藩士森庄左衛門正冨(福岡家)、病により退役す〔可政〕。 |
天明7 |
1787 |
丁未 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆正.6 忠贊室牧(中川氏)、産後の肥立ち悪く卒去す。法名「陽臺院殿梅溪自芳大姉」、渋谷祥雲寺に葬る〔中川氏系図、大系図、華族〕。
☆3.5 忠贊、赤穂発駕。川々満水〔大系図〕。
☆4.7 忠贊、江戸着。常盤橋御門番を命ぜられる〔大系図〕。
☆4.26 忠興女菊、加藤佐渡守に嫁す〔大系図〕。
☆7.14 森衛守正賀(縫殿家)女子於真(のち千賀・信・佐衛)、誕生す母は池田要人信行(岡山藩士)女於仲〔可政〕。
☆11.4 忠贊子髑、江戸に於いて誕生す。母は堤氏〔大系図〕。 |
忠贊(28) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
☆是歳 関長誠に男子 (のちの三日月森伊豫守長義)が誕生す〔華族〕。 |
長誠 |
旗本他 |
☆12.6 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)、年頭の登城御礼を願出る〔可政〕。
☆12.29 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)、願の通りに年頭御礼を許可される〔可政〕。 |
天明8 |
1788 |
戊申 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆正.4 忠贊子五郎作(のちの和泉守忠哲)、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏〔大系図、華族〕。
☆2.2 忠贊、当春公家衆参向につき饗応役を命ぜられるところ、正月30日京都大火御所炎上につき扣御免〔大系図〕。
☆2 赤穂藩、積銀札納方につき村々へ申渡あり〔楢原村文書〕。
☆3.5 忠贊、将軍家齊より領知御朱印を頂戴す〔大系図〕。
☆4 忠贊、帰国のところ病気につき滞府を願い出る〔大系図〕。
☆6.6 幕府巡見使、赤穂へ来たる〔大系図〕。
☆6.7 幕府巡見使、赤穂発足〔大系図〕。
☆6.16 忠贊子髑、早世す。法名「契禅院殿悟相性空大童子」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。 |
忠贊(29) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
☆正.3 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)、登城。初めて将軍家齊に御目見す〔可政〕。
☆4.7 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)女子於千代(のち於貞)、誕生す(山中金之丞室)〔可政〕。
☆12.24 旗本森源六郎和吉(左兵衛家)死す(75歳・「寛政」では25日)。法名「廣寒院殿月窓静圓居士」、牛込松源寺に葬られる〔可政、寛政〕。 |
天明9
寛政元
★正.25 改元 |
1789 |
己酉 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆正.18 赤穂藩、座商いを差し止める〔天明八年諸事御触書写覚帳−楢原村文書〕。
☆2.22 忠贊、大内記を右兵衛佐に改める〔大系図、寛政〕。
☆3.13 忠贊、諸役人へ倹約令を発す〔森続家譜2〕。
☆4.8 赤穂藩、塩問屋・木問屋へ対し、塩船商売の儀につき布告す〔塩屋村文書〕。
☆4.28 忠贊、本所御蔵防を命ぜられる〔大系図〕。
☆6.7 忠贊子都理作、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏〔大系図〕。
☆E.7 加藤佐渡守室菊(忠興女)、不熟につき離縁〔大系図〕。
☆E.17 忠贊子千代作、江戸に於いて誕生す。母は堤氏[大系図]。
☆是歳 この年より赤穂藩、100石以下御用人格御政事掛へ小者1人につき2両1人扶持を渡す〔東西諸士分限帳〕。 |
忠贊(30) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
☆正 久留里藩黒田家家老森光嶢(久留里家)、実弟二郎左衛門光厚を養子とす。また光嶢、家老を辞すも慰留せられ、主君黒田直温より「肥前国伊勢大掾藤原吉廣」刀を賜る〔「黒稿」下〕。
☆3.4 旗本森源六郎和吉(左兵衛家)嫡子亀十郎長延、父の遺跡を継ぎ小普請組に入る〔可政、寛政〕。
☆6.16 旗本森亀十郎長延(左兵衛家)次男直橘(長綽)、誕生す〔可政〕。
☆9.2 福岡藩士森庄左衛門正冨(福岡家)、隠居し松翁と号し、嫡男正右衛門可貞が家督を継ぐ〔可政〕。
☆9.3 旗本森新太郎政俵(才兵衛家)死す(56歳)。法名「日明」、深川淨心寺一乗院に葬られる〔寛政〕。
☆12.6 旗本森政俵(才兵衛家)嫡男太郎助政之、父の遺跡を継ぐ〔寛政〕。 |
寛政2 |
1790 |
庚戌 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆正.16 忠贊子伊豫作、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏[大系図]。
☆4 忠贊、帰国の暇を賜る。路次、美濃可成寺に参詣し、木曽路を旅行[大系図]。
☆5.25 忠贊、赤穂帰城[大系図]。
☆6.25 忠贊子千代作、早世す。法名「修善院殿圓應智覚大童子」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆7.13 忠贊子都理作、早世す。法名「浄蓮院殿禅法自観大童子」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。 |
忠贊(31) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
☆正.12 福岡藩士森正右衛門可貞(福岡家)、福岡藩納戸役格頭取内海甚六郎女八重と婚姻す[可政]。
☆5.7 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)の妾腹の男子熊次郎(正良)誕生す[可政]。
☆9.7 福岡藩士森正右衛門可貞(福岡家)、足軽頭となる[可政]。 |
寛政3 |
1791 |
辛亥 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆3.24 忠贊、参府[大系図]。
☆5.9 忠贊女志那、江戸に於いて誕生す。母は堤氏[大系図、華族]。 |
忠贊(32) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
☆3下旬 福岡藩足軽頭森正右衛門可貞(福岡家)、長崎番に赴く[可政]。 |
寛政4 |
1792 |
壬子 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆正 忠贊の願い出により、子五郎作(忠哲)嫡子となる〔大系図〕。
☆2.7 忠贊、院使梅小路前宰相の饗応役を命ぜられる〔大系図〕。
☆4.22 忠贊女延、早世す(9歳)。法名「明珠院殿南江宗源禅童女」、渋谷祥雲寺に葬る〔大系図〕。
☆8.19 辰刻、忠贊、江戸発足。保土ヶ谷泊〔たひすゝり〕。
☆8.20 忠贊、小田原泊〔たひすゝり〕。
☆8.21 忠贊、三嶋泊〔たひすゝり〕。
☆8.22 忠贊、蒲原泊〔たひすゝり〕。
☆8.23 忠贊、鞠子泊〔たひすゝり〕。
☆8.24 忠贊、日坂泊〔たひすゝり〕。
☆8.25 忠贊、浜松泊〔たひすゝり〕。
☆8.26 忠贊、赤坂泊〔たひすゝり〕。
☆8.27 忠贊、宮泊〔たひすゝり〕。
☆8.28 忠贊、四日市泊〔たひすゝり〕。
☆8.29 忠贊、土山泊〔たひすゝり〕。
☆8.30 忠贊、大津泊〔たひすゝり〕。
☆9.朔 忠贊、伏見泊〔たひすゝり〕。
☆9.2 忠贊、西宮泊〔たひすゝり〕。
☆9.3 忠贊、大久保泊〔たひすゝり〕。
☆9.4 忠贊、明石泊〔たひすゝり〕。
☆9.5 忠贊、赤穂帰城〔大系図〕。
☆9.27 忠興女恵津、青木源五郎と婚約す〔大系図〕。
☆是歳 忠興女三栄、市橋初之丞と婚約す〔大系図〕。 |
忠贊(33) |
三日月 |
|
俊韶 |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
☆是春 福岡藩士森正右衛門可貞(福岡家)、妻八重(福岡藩士内海甚六郎女)と離縁す[可政]。
☆2 正雅堂森貞風(森光厚・久留里家)、淨心寺内妙見境内に妙典経石を建立す[黒稿下]。 ☆9.25 旗本森太郎助政之(才兵衛家)、はじめて将軍家齊に拝謁す[寛政]。
☆11.25 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)に妾腹の男子馬五郎和通誕生す[可政]。
☆是歳 福岡藩士森正右衛門可貞(福岡家)、福岡藩士根来惣平女と再縁す[可政]。 |
寛政5 |
1793 |
癸丑 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆3.7 忠贊、参勤のため赤穂出立。午着泊〔たひすゝり〕。
☆3.8 忠贊、兵庫泊〔たひすゝり〕。
☆3.9 忠贊、郡山泊〔たひすゝり〕。
☆3.10 忠贊、伏見泊〔たひすゝり〕。
☆3.11 忠贊、守山泊〔たひすゝり〕。
☆3.12 忠贊、番場泊〔たひすゝり〕。
☆3.13 忠贊、墨俣泊〔たひすゝり〕。
☆3.14 忠贊、宮泊〔たひすゝり〕。
☆3.15 忠贊、御油泊〔たひすゝり〕。
☆3.16 忠贊、浜松泊〔たひすゝり〕。
☆3.17 忠贊、嶋田泊〔たひすゝり〕。
☆3.18 忠贊、江尻泊〔たひすゝり〕。
☆3.19 忠贊、沼津泊〔たひすゝり〕。
☆3.20 忠贊、小田原泊〔たひすゝり〕。
☆3.21 忠贊、保土ヶ谷泊〔たひすゝり〕。
☆3.22 忠贊、参府〔大系図〕。
☆8.16 忠贊子桂介、江戸に於いて誕生す。母は堤氏〔大系図〕。
☆11.27 青木源五郎より忠興女恵津と婚姻のため結納到来〔大系図〕。
☆是歳 市橋初之丞と忠興女三栄結納〔大系図〕。 |
忠贊(34) |
三日月 |
☆2.7 隠居俊春、安藝守を佐渡守に改める[寛政]。
☆5.22 松平(浅野)安藝守重晟三男浅野杢之丞長従(快温)、俊韶の養子となり、その女(実は俊春女)を室とす[寛政]。
☆8.11 俊韶嫡子杢之丞(快温)、はじめて将軍家齊に拝謁す[寛政]。
☆8.26 俊韶、對馬守を河内守に改む[寛政]。
☆11.10 俊韶致仕し、快温が家督を継ぎ、播磨国のうちに於いて15000石を領す〔寛政、三日月森、華族〕。
☆12.16 杢之丞快温、従五位下下野守に叙任す〔寛政、三日月森〕。 |
俊韶
快温(26) |
新見 |
|
長誠 |
旗本他 |
|
寛政6 |
1794 |
甲寅 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆5.1 忠贊子伊豫作、早世す(5歳)。瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆6.20 忠贊子膽之進(のちの越中守忠敬)、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏菊ノ井[大系図、華族]。
☆7.18 忠贊、小堀周防政方を預けられる[大系図、寛政]。
☆10.9 忠贊、赤穂帰城[大系図]。 |
忠贊(35) |
三日月 |
|
快温(27) |
新見 |
☆4.朔 長誠嫡子陽之助(長輝)、はじめて将軍家齊に拝謁す[寛政]。 |
長誠 |
旗本他 |
☆正.17 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)に妾腹の女子於千賀誕生す[可政]。
☆6.20 旗本森半右衛門政張(次郎家)前妻阿部百助正矩女、死去。法名「貞松院殿妙義日心大姉」[可政]。
☆9.5 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)、御書院番に列す[寛政]。 |
寛政7 |
1795 |
乙卯 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆11.27 忠贊女崇(のち輝)、江戸に於いて誕生す。母は堤氏[大系図、華族]。
☆是歳 忠贊、参府[大系図]。 |
忠贊(36) |
三日月 |
☆4.15 快温、はじめて領地に行く暇を賜る[寛政]。 |
快温(28) |
新見 |
☆11.24 長誠致仕し、嫡男陽之助長輝家督を継ぐ〔寛政、華族〕。長誠はこののち「東鶴翁」と称す〔諸家譜〕。
長輝、梶並忠太左衛門に120石を安堵す〔梶並家文書〕。
☆12.17 長輝、従五位下備前守に叙任す〔寛政〕。 |
長誠
長輝(19) |
旗本他 |
☆5.3 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)に妾腹の女子於啓(のち稲冨千葉之助室)誕生す[可政]。
☆11 福岡藩士隠居森松翁(福岡家・正右衛門正冨)の男子友吉誕生す[可政]。 |
寛政8 |
1796 |
丙辰 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆3.13 忠興女恵津、未だ嫁がずして早世す(16歳)。法名「玉柳院殿紅顔珠英大姉」、瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆11.3 森衛守正賀(縫殿家)嫡男慶太郎正朝(賛張)、忠贊御前に於いて元服し、15人扶持を賜る。また、家老職見習となり、忠贊の一字を賜り諱を「賛張」と改める[可政]。
☆12.3 忠洪女恒、旗本森新三郎政宣(次郎家)に嫁す[大系図、可政]。
☆是歳 忠贊、参府[大系図]。 |
忠贊(37) |
三日月 |
|
快温(29) |
新見 |
☆4.18 長輝、はじめて封地に行く暇を賜る[寛政]。 |
長輝(20) |
旗本他 |
☆7.26 旗本森半右衛門政張(次郎家)子で政宣弟傳吉卿明、死去(26歳)。法名「真了院殿本覚元性居士」、南泉寺墓所[可政]。
☆11.18 福岡藩士隠居森松翁(福岡家・庄左衛門正冨)、死去す[可政]。
☆12.3 忠洪女恒、旗本森新三郎(次郎兵衛)政宣(次郎家)に嫁す[大系図、可政]。
☆12.10 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)、若君(家慶)に附属せられ西丸に勤仕す[寛政]。 |
寛政9 |
1797 |
丁巳 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆3.22 忠贊、参府[大系図]。
☆6.28 忠贊子猪松(のちの三日月森對馬守長篤)、江戸に於いて誕生す。母は堤氏[大系図、華族]。
☆7.21 忠贊女鏈、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏[大系図、華族]。
☆12.28 忠興女久(加藤佐渡守離縁)、伊東播磨守に嫁す[大系図]。
☆是歳 忠興女三栄、市橋初之丞に嫁す[大系図]。 |
忠贊(38) |
三日月 |
☆2.4 前藩主俊韶、卒す(52歳)。法名「俊韶院殿河州刺史勇道日義大居士」、池上本行寺に葬られる[寛政、三日月森]。 |
快温(30) |
新見 |
|
長輝(21) |
旗本他 |
☆4.11 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)に妾腹の女子於里(山本又次郎養女)誕生す[可政]。 |
寛政10 |
1798 |
戊午 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆5.25 忠贊女律、江戸に於いて誕生す。母は家女政(生母は出産後帰京)[大系図、華族]。
☆是歳 忠贊、帰国[大系図]。 |
忠贊(39) |
三日月 |
|
快温(31) |
新見 |
☆10.18 長輝子長基(のちの備前守成煥)、誕生[華族]。 |
長輝(22) |
旗本他 |
☆4.8 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)の男子徳次郎(政恭)誕生す。母は森忠洪(赤穂家)女恒[大系図、可政]。 |
寛政11 |
1799 |
己未 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆正.16 忠贊女咸(絹)、赤穂に於いて誕生す。母は堤氏〔大系図、華族〕。
☆3 忠贊、参府〔大系図〕。
☆3 赤穂藩、百姓・日雇の働き方取締につき申し渡す〔柴原家文書〕。
☆4.19 忠贊、常盤橋御門番を命ぜられる〔大系図〕。
☆5.10 忠贊子麗吉、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏〔大系図〕。
☆7.2 忠贊子麗吉、早世す。法名「自等院殿無観一相禅童子」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆12.15 姫路城主酒井忠實の女東(のちの赤穂森忠敬室)、誕生す〔華族〕。 |
忠贊(40) |
三日月 |
|
快温(32) |
新見 |
|
長輝(23) |
旗本他 |
☆7.19 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)に女子於益誕生。母は政宣室恒〔可政〕。
☆12 久留里藩家老森光嶢(久留里家)、主君黒田直温より幕府拝領の雁肉を賜り、また利剣を賜る〔黒稿下〕。 |
寛政12 |
1800 |
庚申 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆10.6 忠贊、日光諸堂社普請手伝を命ぜられ、常盤橋御門番御免〔大系図〕。
☆是歳 忠贊嫡子五郎作(忠哲)、はじめて将軍家齊に拝謁す〔大系図〕。忠贊嫡子五郎作(忠哲)、御袖留〔大系図〕。
☆12 赤穂藩、町人・百姓・浜人等の稼方につき申し渡す〔柴原家文書〕。
☆是歳 忠贊女律、落合左橘嫡子鉄吉と婚約〔大系図〕。 |
忠贊(41) |
三日月 |
|
快温(33) |
新見 |
|
長輝(24) |
旗本他 |
☆正 久留里藩家老森光嶢(久留里家)、10人口を加増せらる〔黒稿下〕。
☆11.4 旗本森次郎兵衛政宣(次郎家)に女子於留誕生す。母は室恒〔可政〕。 |
寛政13
享和元
★2.5
改元 |
1801 |
辛酉 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆正.24 森衛守正賀(縫殿家)女於真、作州津山藩士山田主膳栄?に嫁す〔可政〕。
☆2.17 忠贊子鍵五郎、江戸に於いて誕生す。母は堤氏若山〔大系図〕。
☆2.28 忠贊、日光修復御用済み、拝領物あり〔大系図〕。
☆4.10 忠贊子朋、江戸に於いて誕生す。母は鈴木氏菊ノ井〔大系図〕。
☆5.23 忠贊、願いにより隠居し、家督は嫡子右近(忠哲)が継ぐ〔大系図、華族〕。
☆9 忠贊、領民に対して倹約令を発す〔御直書被仰出写〕。
☆12.16 忠哲、従五位下和泉守に叙任す〔大系図、諸家譜〕。 |
忠贊(42)
忠哲(13) |
三日月 |
☆9.27 快温、在所にて没す(34歳)。法名「快温院殿野州刺史鷲峰宗雲大居士」〔三日月森、華族〕。
☆12.4 長義、養父快温の遺領を相続す〔華族〕。
☆12.28 長義、従五位下河内守に叙任〔三日月森〕。 |
快温(34)
長義(15) |
新見 |
☆7.11 備前守長輝、但馬守に改める〔諸家譜〕。 |
長輝(25) |
旗本他 |
☆5 久留里藩家老森五郎兵衛光嶢(久留里家)、老衰につき再び職を辞すも慰留せられ、主君黒田直温より「河内守助定」刀を賜る〔黒稿下〕。
☆7.24 久留里藩家老森五郎兵衛光嶢・森清太夫光厚等、武蔵能仁寺賢良院殿(久留里城主黒田直温)墓前に石燈籠1対を奉献す〔能仁寺黒田家家臣奉献石燈籠銘〕。 |
享和2 |
1802 |
壬戌 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆2.22 忠哲、元服〔大系図〕。
☆3.2 忠贊子鍵五郎、早世す。法名「桃源院殿玉岩紹仙禅童子」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆4.11 忠哲、はじめて在所への暇を賜る〔大系図〕。
☆5.12 忠哲、江戸発駕〔大系図〕。
☆6.朔 忠哲、はじめて赤穂に入部す〔大系図〕。
☆10.28 忠贊女多賀、江戸に於いて誕生す。母は家女九重〔大系図〕。
☆11.24 忠贊子懿之丞、江戸に於いて誕生す。母は九鬼氏錦野〔大系図〕。
☆12.16 赤穂藩、大工諸職人取締につき定書を発す〔楢原村文書〕。 |
忠哲(14) |
三日月 |
|
長義(16) |
新見 |
|
長輝(26) |
旗本他 |
☆2 久留里藩家老光嶢(久留里家)、家老を辞し「快翁」と号す。主君黒田直方より隠居料10人口並びに羽織を賜る〔黒稿下〕。 |
享和3 |
1803 |
癸亥 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆3.17 赤穂藩、領内の醤油・豆腐の値段を定める〔楢原村文書〕。
☆3.26 忠哲、参府〔大系図〕。
☆4.11 忠贊子懿之丞、早世す。法名「玉璋院殿浄光祖眼禅童子」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆7.26 先に赤穂藩に預けられていた小堀周防御免。周防帰府す〔大系図〕。
☆10.6 忠贊子多賀、早世す。法名「霊性院殿鶴山栄俊禅童女」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆11.朔 忠贊子雅楽之助、江戸に於いて誕生す。母は家女スミ(のち哥江)〔大系図〕。 |
忠哲(15) |
三日月 |
☆6.18 前藩主快温室曽代(森俊春女・俊韶養女)、没す〔華族〕。 |
長義(17) |
新見 |
|
長輝(27) |
旗本他 |
☆10.21 旗本森亀十郎長延(左兵衛家)妻で森新三郎政宣(次郎家)妹於照、死去す。法名「普光院殿?臺智鑑大姉」、墓所松源寺〔可政〕。 |
享和4
文化元
★2.11 改元 |
1804 |
甲子 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆正.26 赤穂藩、領内の諸職人作料を定める〔楢原村文書〕。
☆5.14 忠哲、赤穂帰城〔大系図〕。忠贊女志那・忠贊子桂介、赤穂着。志那は家臣森縫殿と縁組す〔大系図〕。
☆6.14 忠贊子膽之進(忠敬)、赤穂に来たり家臣森主税の養子となる〔大系図〕。
☆是歳 忠贊女咸、家臣森宗兵衛と縁組するも、未だ嫁がずして引き戻され、家臣森衛守正賀養女として龍野脇坂家家臣脇坂刑部に嫁す(のち離縁、のち森家重臣各務兵庫正愛へ嫁すも故有りて引戻)〔大系図〕。 |
忠哲(17) |
三日月 |
|
長義(18) |
新見 |
|
長輝(28) |
旗本他 |
☆8.25 久留里藩森光嶢(久留里家)、病死す(77歳)。法名「快翁院光嶢日感居士」、江戸深川淨心寺に葬られる。即日主君黒田直方、使者をして香奠銀1枚を遣わす〔黒稿下〕。
☆10.13 作州津山藩士山田主膳栄?の子栄松、誕生す。母は森衛守正賀(縫殿家)女於真〔可政〕。 |
文化2 |
1805 |
乙丑 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆3.21 忠哲、参府〔大系図〕。
☆4.8 赤穂藩、他領大工諸職人雇入差留の儀につき申し渡す〔楢原村文書〕。
☆4.19 忠哲、呉服橋御門番を命ぜられる〔大系図〕。
☆6.28 新庄亀丸許嫁の忠贊女美智、早世す。法名「蓮紅院殿華萼貞薫大姉」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆10.7 赤穂藩、領内の酒・醤油・豆腐を定める〔楢原村文書〕。
☆11.晦 忠贊子雅楽之助早世す。法名「等観院殿梅巌自芳禅童子」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆12.24 忠贊子八八、江戸に於いて誕生す。母は家女スミ〔大系図〕。
☆12 新見関長輝室千恵(忠贊女)、不熟につき離縁、のち三浦志摩守毘次に嫁す〔大系図、華族〕。 |
忠哲(18) |
三日月 |
|
長義(19) |
新見 |
☆12.26 長輝、赤穂森忠贊女千恵と婚姻す〔大系図〕。
☆12 長輝室千恵(赤穂森忠贊女)、不熟につき離縁、のち三浦志摩守毘次に嫁す〔大系図、華族〕。 |
長輝(29) |
旗本他 |
☆4 久留里藩家老森光厚(久留里家)、病により致仕し、嫡子五郎兵衛光長家督を継ぐ〔黒稿下〕。
☆10.4 久留里藩森五郎兵衛光長(久留里家)嫡子兵吉(光福)、江戸下谷久留里藩邸にて誕生す。母は木下氏〔黒稿下〕。 |
文化3 |
1806 |
丙寅 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆3.4 赤穂藩の忠哲居屋敷類焼[大系図]。
☆4.14 忠哲、赤穂帰城[大系図]。 |
忠哲(19) |
三日月 |
☆6.4 前藩主俊春、江戸に於いて死去す(80歳)。法名「俊晴院殿前佐州刺史智道日覚大居士」、墓所池上本行寺[三日月森]。 |
長義(20) |
新見 |
|
長輝(30) |
旗本他 |
☆9 久留里藩森光長(久留里家)、没す。これにより父光厚久留里藩家老に再任す[黒稿下]。 |
文化4 |
1807 |
丁卯 |
光格 |
家齊 |
赤穂 |
☆正.22 忠贊女志那、家臣森縫殿に嫁す〔大系図〕。
☆2 忠哲、「森家先代実録」編纂を発起し、その凡例を作成す〔実録1〕。
☆3.23 忠哲、参府〔大系図〕。
☆4.22 忠贊子欽、江戸に於いて誕生す。母は九鬼氏〔大系図〕。
☆5.14 赤穂藩、領内へ麦囲を申し渡す〔楢原村文書〕。
☆5.25 忠哲、卒す(20歳)。法名「乾徳院殿雲外義龍大居士」、瑠璃光寺に葬る〔大系図、系図纂要、華族〕。
☆6.14 忠贊子桂介、出府の砌伊勢四日市駅にて没す。法名「永昌院殿本岸智空大禅定門」、花岳寺に葬る〔大系図〕。
☆6.21 忠贊子膽之進(忠敬)、忠哲内存有る由にて帰府す〔大系図〕。
☆7.13 忠哲の願により舎弟膽之進可睦(忠敬)、養子となることを認められる〔大系図〕。
☆7.14 忠哲、発喪〔大系図〕。
☆7.15 可睦(忠敬)、忠哲死去により定式の忌服を命ぜられる〔大系図〕。
☆7.18 忠贊子龍也、江戸に於いて誕生す。母は家女哥江〔大系図〕。
☆7.22 忠贊子八八、早世す(3歳)。法名「青雲院殿幻嶺露泡禅童子」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆8.10 家臣森縫殿妻志那(忠贊女)、卒す。法名「桂光院殿月窓妙圓大姉」、赤穂随鴎寺に葬る〔大系図、華族〕。
☆是秋 可睦(忠敬)、家臣村瀬林左衛門盈守に小林寺の森家祖可秀墳墓調査を命じる〔実録1〕。
☆8.27 赤穂藩士村瀬盈守、近江野洲郡矢島村万松山少林寺(禅宗)に至り、住僧宗謙へ森家の祖可秀の墓所の有無を尋ねる〔実録1〕。
☆9.5 可睦(忠敬)、兄忠哲の遺領を継ぐ〔系図纂要、華族〕。
☆11.17 可睦(忠敬)、袖留〔大系図〕。
☆11.20 赤穂藩、領内の諸職人作料を定める〔楢原村文書〕。 |
忠哲(20)
忠敬(14) |
三日月 |
|
長義(21) |
新見 |
|
長義(21) |
旗本他 |
|