年 号
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西 暦
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干 支
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天 皇
| 将軍 |
事 項
| 当 主 |
延宝3 | 1675 | 乙卯 | 霊元 | 家綱 | 津山 |
☆C.5 長武、はじめて領地に行く暇を賜る[寛政]。
☆7.18 正寿院紹向(津山妙願寺住職)、京都に於いて寂[実録6]。
☆12.26 長継四男長俊、従五位下對馬守に叙任す[寛政、三日月森]。 |
長武(31) |
宮川 |
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長政(64) |
旗本他 |
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延宝4 |
1676 |
丙辰 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆正.20 大雲院殿(忠政女・池田長幸室)13回忌。長武母(長継室・池田長幸女)より焼香の使者として原次郎兵衛上京す。江戸芝仏日山東禅寺にても法事あり〔実録6〕。
☆3 森武兵衛(武兵衛家)、仕置役を辞任[可政]。
☆4.15 長武、増上寺火番を勤む。相役松平土佐守[大系図]。
☆10.14 長継女亀、江戸発輿[大系図]。
☆10.28 長継女亀、京都着[大系図]。
☆11.4 長継女亀、右大臣一條冬経(のち兼輝)と婚姻[大系図]。
☆是歳 長継女冨、誕生す。母は家女[大系図]。 |
長武(32) |
津山新田 |
☆4.25 津山森長武、父長継の願により美作国勝田郡のうちに新田1万5000石を弟對馬守長俊に分知す。幕府、これを許しす。長俊は宗家の居城津山のうちにに住し、代々柳間に候す〔史料稿本、大系図、寛政〕。
☆5.13 對馬守長俊、はじめて所領に行く暇を賜る[寛政]。 |
森 長俊(28) |
宮川 |
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長政(65) |
旗本他 |
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延宝5 |
1677 |
丁巳 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆4.11 長武養子萬右衛門(長成)、はじめて将軍家綱に拝謁す[大系図、寛政]。
☆4.15 長武、京極飛騨守高直女と婚姻す[大系図]。
☆K.13 長継と子長俊・長治、江戸芝屋敷伴八郎兵衛兼通屋敷へ光臨。兼通、長継より白銀を賜る。兼通、祝儀として平長盛刀(2尺3寸直刃)を長継へ献ず[実録5]。 |
長武(33) |
津山新田 |
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長俊(29) |
宮川 |
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長政(66) |
旗本他 |
☆9.18 旗本森半兵衛重正(次郎家)寄寓の森半左衛門(半十郎家)、没す。法名「大雲院勇翁玄機」、墓所浅草金竜寺[断家譜]。
☆10.29 旗本森六兵衛長重(左兵衛家)、進物のことを役す[寛政]。 |
延宝6 |
1678 |
戊午 |
霊元 | 家綱 | 津山 |
☆8.6 長継女冨、早世す。法名「真浄院殿南溪妙凉童女」、渋谷祥雲寺に葬る[大系図]。 |
長武(34) |
津山新田 |
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長俊(30) |
宮川 |
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長政(67) |
旗本他 |
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延宝7 |
1679 |
己未 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆11.23 隠居長継、美作本光寺へ寺領150石を寄進す〔美作本光寺文書〕。 |
長武(35) |
津山新田 |
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長俊(31) |
宮川 |
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長政(68) |
旗本他 |
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延宝8 |
1680 |
庚申 |
霊元 |
家綱
綱吉 |
津山 |
☆7.25 長武、将軍家御代替につき備前景光の太刀を献上す〔大系図〕。
☆是冬 京都阿弥陀寺面誉上人、江戸へ下り、来年6月2日に織田信長父子並びに討死衆の100回忌法要の旨を奉賀す。長武、神崎惣次郎をして焼香代白銀20枚を贈らしむ。阿弥陀寺へは名代焼香として今西伊兵衛を遣わしむ〔実録3〕。
☆12.25 津山藩士清水権左衛門、美作本光寺へ関長治寄進の祀堂料を退転なきように命ず〔美作本光寺文書〕。 |
長武(36) |
津山新田 |
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長俊(32) |
宮川 |
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長政(69) |
旗本他 |
☆8.7 永井信濃守尚長城地没収につき旗本森六兵衛長重(左兵衛家)、幕命により加藤兵助泰茂とともに目付として丹後国宮津に赴く[寛政]。
☆11 館林藩士森半十郎(半十郎家)、幕臣に取り立てられ江戸城西丸小十人組となる[断家譜]。 |
延宝9
天和元
★9.29 改元 |
1681 |
辛酉 |
霊元 |
綱吉 |
津山 |
☆4.14 長武、帰国の暇を賜り、将軍綱吉より濃州志津の刀・時服を拝領す[大系図、寛政]。
☆10.4 一條冬経簾中亀(長継女)、逝去す(19歳)。法名「妙巌院殿真性圓純大禅定尼」、山城国恵日山東福寺山内普門寺山上に葬る[大系図]。
☆11.12 森兵右衛門正致(縫殿家正方養子)嫡男門十郎(正典)、津山に於いて誕生す。母は於徳(縫殿家正方女)[可政]。 |
長武(37) |
津山新田 |
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長俊(33) |
宮川 |
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長政(70) |
旗本他 |
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天和2 |
1682 |
壬戌 |
霊元 |
綱吉 |
津山 |
☆12.26 森兵右衛門正致(縫殿家、正方養子)妻於徳(正方女)、死去す。法名「自明院殿性屋恵潤大姉」、墓所津山景徳寺[可政]。 |
長武(38) |
津山新田 |
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長俊(34) |
宮川 |
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長政(71) |
旗本他 |
☆9.13 旗本森六兵衛長重(左兵衛家)嫡子源六郎長知(長囿)、はじめて将軍綱吉に拝謁す[寛政]。 |
天和3 |
1683 |
癸亥 |
霊元 |
綱吉 |
津山 |
☆正.2 森所左衛門正方(縫殿家)養子兵右衛門正致(各務四郎右衛門利峯次男)、家督を継がずして津山に於いて死去す。法名「令正院殿一法玄春居士」、墓所津山景徳寺[可政]。
☆6.9 森忠継長女松、江戸に於いて死去(21歳)。法名「明性院殿清粛宗澄大姉」、渋谷祥雲寺に葬る[大系図]。
☆7.7 本源院殿(忠政)50年忌法事、津山龍雲寺(本源寺)・京都大徳寺にて執行。長継・長武・長成、名代を遣わす[実録6]。
☆7 忠政室知勝院50回忌過につき、この年より万燈会止む[実録6]。
☆9.2 家臣池村縫殿助、故有りて退身。よって養子主殿長基(萬吉・長継子)森氏に復姓し、1500石の合力を受ける。
☆是歳 長継女兼、作州へ下向す[大系図]。
☆12.13 長継女兼、重臣森采女三隆と婚姻[大系図]。 |
長武(39) |
津山新田 |
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長俊(35) |
宮川 |
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長政(72) |
旗本他 |
☆6.1 旗本森半十郎(半十郎家)、小普請となる[断家譜]。 |
天和4
貞享元
★2.21
改元 |
1684 |
甲子 |
霊元 |
綱吉 |
津山 |
☆4.26 長武、増上寺火番を勤む[大系図]。
☆9.21 長俊、領知の朱印を賜る[寛政]。
☆11.29 森淡路可信(武兵衛家)、死去(79歳)。法名「了山院殿義山道永居士」[可政]。 |
長武(40) |
津山新田 |
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長俊(36) |
宮川 |
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長政(73) |
旗本他 |
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貞享2 |
1685 |
乙丑 |
霊元 |
綱吉 |
津山 |
☆6.12 長継女大、松平(鷹司)近江守信正と婚姻〔大系図〕。 |
長武(41) |
津山新田 |
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長俊(37) |
宮川 |
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長政(74) |
旗本他 |
☆7 旗本森六兵衛長重(左兵衛家)次男縫之助(正清)、森才兵衛正剰(才兵衛家)死去に臨みて養子となる[寛政]。
☆7.26 旗本森才兵衛正剰(才兵衛家)死す(46歳)。法名「秋榮」、深川淨心寺の一乗院に葬られる[寛政]。
☆12.15 旗本森正剰(才兵衛家)嫡男源太左衛門正清、養父の遺跡を継ぎ、小普請となる[寛政]。 |
貞享3 |
1686 |
丙寅 |
霊元 |
綱吉 |
津山 |
☆2.12 松平兵部大輔吉品室万(長継女)、卒す。法名「松桂院殿元貞壽栄大姉」、谷中南泉寺に葬る[大系図]。
☆3.18 長継子大助(衆利)、家臣関市正衆之の養子となる[大系図]。
☆4.23 長武、増上寺火番を勤む[大系図]。
☆5.27 長武致仕し、長成が家督を継ぐ。長武には隠居料として2万俵を分かつ[史料稿本、大系図、寛政]。
☆7.朔 長成、家督御礼として将軍綱吉へ真太刀(大和包永代金5枚)・時服10・黄金50枚を献上す。また、御台所へは白銀50枚を献上す[大系図]
☆7.9 長成、襲封を謝す。このとき家老4人も拝謁す[大系図、寛政]。
☆12.26 長成、従四位下に叙し、美作守に任ぜらる[寛政]。 |
長武(42)
長成(16) |
津山新田 |
☆是歳 長俊の長男六松(後の長記)、美作国津山に於いて誕生す[寛政]。 |
長俊(38) |
宮川 |
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長政(75) |
旗本他 |
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貞享4 |
1687 |
丁卯 |
霊元
東山 |
綱吉 |
津山 |
☆4.28 長成、東山院即位につき家臣各務兵庫をして禁裏へ太刀・銀馬代20枚、本院・仙洞・女院へ銀10枚宛を献上す〔大系図〕。
☆10.17 森立斎(左近正信)妻岩(忠政女・はじめ黒)、京都に於いて没す(91歳)。法名「孤芳院殿梅岳永春禅定尼」、墓所東山建仁寺常光院〔実録6、大系図〕。 |
長成(17) |
津山新田 |
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長俊(39) |
宮川 |
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長政(76) |
旗本他 |
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貞享5
元禄元
★9.30
改元 |
1688 |
戊辰 |
東山 |
綱吉 |
津山 |
☆5.3 長成、はじめて領国に行く暇を賜る〔寛政〕。
☆7.晦 先に長継に預けられし高嶋又左衛門長親赦免〔寛政〕。
☆11.朔 長成、美作豊楽寺に寺領10石を安堵す〔美作豊楽寺文書〕。長成、美作木山寺に寺領70石を安堵す〔美作木山寺文書〕。長成美作一宮(中山神社)へ社領80石(70石と加増分10石)を安堵す〔美作中山神社文書〕。長成、美作総社へ社領80石(70石と加増分10石)を安堵す〔美作総社文書〕。長成、美作誕生寺へ寺領51石余を安堵す〔美作誕生寺文書〕。長成、美作本源寺へ寺領200石を安堵す〔美作本源寺文書〕。長成、美作二宮(高野神社)へ社領70石を安堵す〔美作高野神社文書〕。長成、美作万福寺へ寺領10石を安堵す〔美作万福寺文書〕。 |
長成(18) |
津山新田 |
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長俊(40) |
宮川 |
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長政(77) |
旗本他 |
☆3.9 旗本森半十郎(半十郎家)、没す。法名「禅空恵定」、浅草金竜寺に葬られる[断家譜]。
☆7.12 旗本森半十郎(半十郎家)男権之助正久、父の遺跡を継ぎ小普請大久保玄蕃頭忠兼組となる[断家譜]。 |
元禄2 |
1689 |
己巳 |
東山 |
綱吉 |
津山 |
☆4.26 長成、長門長府城主毛利甲斐守綱元女「元子」と婚姻す〔大系図〕。
☆6.5 森所左衛門正方(縫殿家)、死去す(65歳)。法名「英心院殿覚源道雄居士」、墓所津山景徳寺〔可政〕。
☆7.29 森縫殿正典(縫殿家)、祖父正方の遺跡を継ぐ〔可政〕。
☆11.朔 津山藩執政長尾隼人勝明、美作二宮(高野神社)の神前に於いて3年に1度の神楽の実行を守らせる〔美作岡田家文書〕。 |
長成(19) |
津山新田 |
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長俊(41) |
宮川 |
☆6.6 長政致仕し、養子大蔵長治家督を継ぐ[寛政]。
☆6.9 隠居長政、菊一文字の刀を将軍綱吉に献上す[寛政]。 |
長政(78)
長治(33) |
旗本他 |
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元禄3 |
1690 |
庚午 |
東山 |
綱吉 |
津山 |
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長成(20) |
津山新田 |
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長俊(42) |
宮川 |
☆12.26 津山隠居森長継女千、長政養女として毛利飛騨守元次と婚姻す[大系図、寛政]。 |
長治(34) |
旗本他 |
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元禄4 |
1691 |
辛未 |
東山 |
綱吉 |
津山 |
☆8.20 各務新右衛門利直妻於嶋(森縫殿家正方女)、津山に於いて死去す。法名「桂林院殿本光栄昌大姉」、墓所津山景徳寺[可政]。
☆G.13 家臣各務伊織利直嫡男松太郎(のちの越中守長生)、作州に於いて誕生す。母は森所左衛門正方女[大系図]。 |
長成(21) |
津山新田 |
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長俊(43) |
宮川 |
☆4.15 長治、はじめて領地に行く暇を賜る[寛政]。 |
長治(35) |
旗本他 |
☆8.14 旗本森半兵衛正重(次郎家)死す。法名「清凉院殿安舁祖禅居士」、浅草白雲山金龍寺に葬られる[可政、寛政]。
☆11.11 旗本森六兵衛長重(左兵衛家)女於貝、金田左平次と婚姻す(一説に左平次父惣八郎)[可政]。
☆12.5 旗本森正重嫡子半兵衛重正(次郎家)、父の遺跡を継ぎ小普請に入る[可政、寛政]。 |
元禄5 |
1692 |
壬申 |
東山 |
綱吉 |
津山 |
☆3.25 津山宗永寺に於いて清泰院殿(忠政側室山内氏・香々美)法事執行す〔実録6〕。
☆7.5 長成、田中太左衛門へ知行350石を与える〔津山郷土博物館文書〕。
☆7.17 京都阿弥陀寺に於いて森蘭丸長定・坊丸長隆・力丸長氏の位牌出来す〔実録3〕。
☆7.18 京都阿弥陀寺に於いて蘭丸・坊丸・力丸位牌新調につき法事あり。津山藩より京都奉行大洞十太兵衛をして法事料白銀3枚・香典銀1枚を献ず〔実録3〕。
☆7.20 京都阿弥陀寺面誉上人、津山藩各務兵庫正氏へ書を送り、蘭丸・坊丸・力丸位牌の出来と法事執行を報じ、且つ法事料等寄進の礼を述ぶ〔実録3〕。
☆9.17 京都阿弥陀寺面誉上人、江戸へ下り津山藩へ御礼として可成寄宿免除状等の重物を持参す〔実録3〕。
☆12.1 京都阿弥陀寺火災。蘭丸・坊丸・力丸御位牌は無事〔実録3〕。 |
長成(22) |
津山新田 |
☆正.28 津山隠居森長継女芳、森對馬守養女として保科兵部少輔賢と婚姻[大系図]。 |
長俊(44) |
宮川 |
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長治(36) |
旗本他 |
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元禄6 |
1693 |
癸酉 |
東山 |
綱吉 |
津山 |
☆5.16 長成、聖堂火番を勤む[大系図]。
☆7.24 旗本森六兵衛長重(可政分家)死す(43歳)。法名「道忠」、牛込松源寺に葬られる[寛政]。 |
長成(23) |
津山新田 |
☆是歳 森對馬守長俊の次男熊次郎(後の新見関但馬守長廣)、美作国に於いて誕生す。母は岡氏[寛政]。 |
長俊(45) |
宮川 |
☆8.6 毛利元次女千(森長継女・長政養女)、卒す(27歳)。法名「瑞雲院殿亨岩全祥大姉」、武州瑞聖寺に葬る[大系図]。 |
長治(37) |
旗本他 |
☆7.24 旗本森六兵衛長重(左兵衛家)死す(43歳)。法名「義峯道忠居士」、牛込松源寺に葬られる[可政、寛政]。
☆12.11 旗本森長重(左兵衛家)嫡男源六郎長囿、父の遺跡を継ぐ[寛政]。 |
元禄7 |
1694 |
甲戌 |
東山 |
綱吉 |
津山 |
☆8.21 長成、1500俵を叔父亀之助長直に分かつ。幕府これを許す[史料稿本、寛政]。
☆9.朔 長継男子帯刀長直、はじめて将軍綱吉に拝謁す[大系図、寛政]。
☆是歳 家臣森采女三隆の男子九一郎(後の志摩守長孝)、津山に於いて誕生す。母は長継女[寛政]。 |
長成(24) |
津山新田 |
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長俊(46) |
宮川 |
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長治(38) |
旗本他 |
|
元禄8 |
1695 |
乙亥 |
東山 |
綱吉 |
津山 |
☆4.23 長成、増上寺火番を勤む[大系図]。
☆8.1〜8.2 可成室妙向尼100回忌法事、津山妙願寺にて執行す。津山藩家老・役人等参列す[実録3]。
☆8.2 津山妙願寺に於いて可成室妙向尼100回忌の法事あり。長成・湯浅織部・焼香代塙善兵衛、長継名代飯尾角兵衛・焼香代江原孫一郎参列。これにつき長成、斎米60俵を妙願寺へ奉納す。また本願寺、名代今西平右衛門をして焼香白銀30枚を供えしむ[実録3]。 ☆10.4 長成、武州中野犬小屋12万3600坪普請御手伝を勤む。惣奉行家臣関式部衆利(大助、長継子)[大系図]。
☆10.14 幕府、長成・峯山邑主京極高之に助役を命じ、中野に犬小屋を造らしむ[柳営日次記、天享吾妻鑑、甘露叢、新編武蔵風土記稿、撰要永久録、実紀、護當代記、坂上池院日記、竹橋余筆、市街]。
☆11.13 幕府、中野御犬小屋竣工を以て、市街無主の犬を収容、飼育を命じ、特に吏を置てこれをを監せしむ[史料稿本]。
☆12.4 中野犬小屋普請成就[大系図]。
☆12.15 長成、武蔵中野村犬屋敷普請の勤により将軍綱吉より時服10領を賜り、関係した家臣等にも物を賜う[寛政]。 |
長成(25) |
津山新田 |
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長俊(47) |
宮川 |
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長治(39) |
旗本他 |
☆3.10 旗本森左兵衛可久(左兵衛家)室上田主殿介重秀女、卒す。法名「長照院殿一月宗圓大姉」[可政]。 |
元禄9 |
1696 |
丙子 |
東山 |
綱吉 |
津山 |
☆4.26 長継六男主殿長基、兄長武の養子となる[大系図、寛政]。
☆5.18 前津山藩主長武、卒す(52歳)。法名「圓明院殿碧雲鐵山大居士」、江戸東叡山圓覚院(のちの護国院)に葬られる[史料稿本、大系図、寛政]。
☆6.30 長武養子長基(長継子)、津山発足[大系図]。
☆7.17 長武養子長基(長継子)、江戸着[大系図]。
☆7.26 長武養子長基、不束の事ありしかば、長武名跡の沙汰に及ばざる旨の厳命を蒙る[寛政、大系図には21日とあり]。
☆12.9 長成、前藩主長武養子長基を預けられ、その分与せる2万俵も長成に返還される[寛政]。 |
長成(26) |
津山新田 |
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長俊(48) |
宮川 |
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長治(40) |
旗本他 |
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元禄10 |
1697 |
丁丑 |
丁丑 |
綱吉 |
津山
西江原 |
☆正.19 帯刀長直(長継子)の長男金五郎、江戸に於いて誕生す。母は鯰江氏〔続家譜1、大系図〕。
☆4 長継子関衆利、長成養子となる〔大系図〕。
☆6.20 長成没す(27歳)。法名「雄峯院殿賢仲義英大居士」、江戸渋谷祥雲寺に葬られる〔史料稿本、大系図、寛政〕。
☆7.4 長成養子関衆利、作州発足〔大系図〕。
☆8 家臣関式部衆利(長継九男)、長成養子として津山を発し江戸に赴く途中、伊勢桑名にて失心せしにより実父長継に預けられ、津山藩森家は無嗣断絶となる〔史料稿本、大系図、寛政〕。
☆8.2 長成の遺領を収め、祖父長継に新たに備中国後月・哲多・窪屋・浅口・小田郡のうちに2万石を賜る津山藩邸は収公せらる〔柳営日次記、御當代記、実紀、市街、史料稿本、大系図、寛政〕。長成御預の主殿長基(長武養子・長継子)、実父長継に御預となる〔大系図〕。
☆8.3 水野美作守勝種(備後福山城主)・松平若狭守直明(明石城主、6万石)、津山城請取を命ぜられる〔徳川諸家系譜4〕。 ☆8.26 帯刀長直、父長継の嗣子となる〔大系図、寛政〕。
☆8.29 小浜藩酒井靱負佐忠囿(在国元)江戸小日向屋敷へ老中奉書(発給:小笠原長重・土屋政直・戸田忠昌・阿部正武)到来。水野勝種代(病気)として役高7万石にて津山城請取の命下る。飛脚直ちに小浜へ向け出発〔津山城御請取記、徳川諸家系譜4〕。奏者番田村右京大夫建顕(陸奥一関3万石)、小浜藩江戸留守居役へ津山城請取に関する書付を遣わす〔津山城御請取記〕。
☆9.3 申刻、津山城請取を知らせる飛脚、若狭小浜へ到着〔津山城御請取記〕。夜亥刻、小浜藩江戸馬廻赤見源五右衛門・同使中小姓片岡次郎左衛門、津山城請取を命じた老中奉書を奉じて小浜着〔津山城御請取記上田本〕。同夜、小浜藩使者番糟屋助九郎・同供番小畑六左衛門、奉書の御請(9月4日付)並びに幕閣・松平直明への書状を持参して小浜発足す〔津山城御請取記〕。
☆9.4 酒井忠囿、作州へ召し連れる役人等を申し付ける〔津山城御請取記〕。
☆9.6 小浜藩重役、津山藩家老森采女三隆へ主君の津山城請取を報ず〔津山城御請取記〕。小浜藩、大目付河合治右衛門(元津山浪人)をして道中休憩宿泊等の手配の為小浜を発足せしむ〔津山城御請取記〕。酒井忠囿、城請取目付水谷弥之助勝阜・赤井平右衛門時尹へ人数・陣立等を報ず〔津山城御請取記〕。
☆9.10 小浜藩、御供の諸士以下へ明日大方仕度出来の旨を江戸へ報ずるため仕度を急がせる〔津山城御請取記〕。
☆9.11 小浜藩、津山御用の仕度大方出来の旨を江戸屋敷並びに阿部正武等へ報ず〔津山城御請取記〕。 ☆9.15 長直、長継の惣領となる〔大系図〕。
☆9.18 幕府より酒井忠囿へ津山城請取の為の扶持米を拝領す〔津山城御請取記〕。
☆9.19 小浜藩江戸馬廻團勘左衛門(400石)・同御供番石黒丹次郎、幕府より小浜藩へ扶持米拝領の証文を持参のため江戸発足〔津山城御請取記〕。城請取目付赤井時尹・仁賀保孫九郎誠信、江戸発足す〔津山城御請取記〕。
☆9.20 酒井忠囿、御供の家中へ来る30日小浜出馬を申し渡す〔津山城御請取記〕。
☆9.21 小浜藩普請奉行武宮伊兵衛、先に発った河合治右衛門と申し合わせるため小浜発足す〔津山城御請取記〕。
☆9.23 小浜藩持筒頭都筑五左衛門・同馬廻小沢勘七、明石藩と打合せのため小浜発足す〔津山城御請取記〕。小浜藩使者番橋山友左衛門、作州御陣所変更届けのため小浜発足す〔津山城御請取記〕。城請取上使田村建顕・目付水谷勝阜、江戸発足〔津山城御請取記〕。
☆9.24 江戸田村建顕より酒井忠囿へ津山城の請取場所を指示した書付、飛脚にて小浜へ到来す〔津山城御請取記〕。酒井忠囿、小浜城大書院に於いて御供の面々へ道中御条目並びに軍令等を発令す〔津山城御請取記〕。
☆9.25 御扶持米御礼の使者として小浜藩赤見源五右衛門江戸へ向け小浜発足す〔津山城御請取記〕。小浜藩一番手・二番手の宿割担当6人、小浜発足す〔津山城御請取記〕。江戸よりの指図につき酒井忠囿の小浜出馬は29日に変更となる〔津山城御請取記〕。
☆9.27 小浜藩使者番橋山友左衛門、遠州金谷宿にて津山請取上使田村建顕並びに目付へ作州の陣所変更を申し入れる。田村建顕、返答す〔津山城御請取記〕。
☆9.29 酒井忠囿、津山城請取のため小浜より出陣す〔津山城御請取記〕。
☆9.30 小浜藩使者番橋山友左衛門、大津へ着。酒井忠囿へ田村建顕の返書を持参す〔津山城御請取記〕。小浜藩江戸馬廻團勘左衛門(400石)・同御供番石黒丹次郎、小浜着〔津山城御請取記〕。
☆10.朔 明石に於いて小浜藩酒井伊織(家老)・都筑喜兵衛(番頭)・伴所左衛門・都筑茂右衛門(大目付)、明石藩家老間宮宮内左衛門と相談せしも言談無きにつき明石を発足す。酒井伊織、この首尾を家老三浦七兵衛にも報ず〔津山城御請取記〕。
☆10.3 酒井忠囿、明石着。浜の御茶屋に於いて松平直明、御黒印頂戴。この届として小浜藩山岸次郎太夫江戸に遣わされる。御茶屋に於いて松平直明、酒井忠囿を饗応す〔津山城御請取記〕。
☆10.4 小浜藩家老酒井伊織の人数、作州押入村の近在山西村・郷村等へ到着。伊織宿は山西村栄庵寺〔津山城御請取記〕。夜、酒井忠囿、播州橋崎にて止宿。建部内匠頭(播磨林田藩主)下げ重持参。忠囿相伴す〔津山城御請取記〕。
☆10.5 酒井忠囿、作州土居へ到着。夜、酒井忠囿、御供の諸士等へ油断無きよう命ず〔津山城御請取記〕。小浜藩家老三浦七兵衛の人数、作州山西村へ到着〔津山城御請取記〕。津山城請取目付赤井時尹(御使番)・仁賀保誠信(御小姓組)、津山へ到着。両人、小浜藩都筑五左衛門・小沢勘七並びに明石藩家中を呼び明日の城見分に家来分として供をするよう命ず〔津山城御請取記〕。
☆10.6 酒井忠囿、作州押入村へ着。本陣は大庄屋岸本利兵衛宅。忠囿、河合治右衛門をして赤井時尹・仁賀保誠信へ到着を知らせしむ〔津山城御請取記〕。小浜藩都筑五左衛門・小沢勘七、城請取目付赤井時尹・仁賀保誠信の供をして津山城を見分す〔津山城御請取記〕。両目付、津山城書院に於いて津山藩家老中へ開城以後の旧森家中の津山城下への滞在日限を宣告す〔津山城御請取記〕。
☆10.7 小浜藩小原平介・伴所左衛門・都筑茂左衛門、密かに押入村より遣わされ津山城下に於ける酒井忠囿の寄せ場を見分す〔津山城御請取記〕。小浜藩旗本宿割梶川武兵衛・八木清太夫津山城下へ参る〔津山城御請取記〕。
☆10.8 小浜藩先手宿割永田半七・添田六郎右衛門、津山城下へ参る〔津山城御請取記〕。小浜藩武宮伊兵衛、小浜藩の津山に於ける人数寄せ場に榜示し、都筑五左衛門・小沢勘七、道に杭を立てる〔津山城御請取記〕。小浜藩北条茂兵衛、津山城下に至り拝領の扶持米請取りを御代官衆手代中へ問い合わせる。米にて請取るよう指示あり〔津山城御請取記〕。松平直明、河邊村へ到着〔津山城御請取記〕。
☆10.9 小浜藩旗本宿割梶川・八木、宿割完了〔津山城御請取記〕。上使田村建顕・目付水谷勝阜、勝間田へ着〔津山城御請取記〕。小浜藩者頭中より役人中へ伺いあり、返答あり〔津山城御請取記〕。松平直明、津山着〔徳川諸家系譜4〕。
☆10.10 小浜藩先手宿割永田・添田も宿割完了〔津山城御請取記〕。酒井忠囿、河邊村にて松平直明同道の上、勝間田へ参る。上使田村建顕・目付水谷勝阜と対談す〔津山城御請取記〕。上使田村建顕、酒井忠囿へ明日の開城の次第の書付を渡す。忠囿、武久庄兵衛へ渡す。城請取目付も酒井忠囿へ明日の開城の次第の書付を渡す〔津山城御請取記〕。晩、小浜藩武久庄兵衛・小原平助及び松平直明家中、田村建顕の指図により津山家老長尾隼人勝明宅へ参り、開城の諸事を打ち合わせする〔津山城御請取記〕。丑上刻(11日)、小浜藩家老酒井伊織手勢、津山城請取に出発。三浦七兵衛手勢は寅上刻に出発〔津山城御請取記〕。
☆10.11 未明、小浜藩の軍勢、津山城に迫る。巳下刻、上使田村建顕・目付水谷勝阜より城を請取る旨の切紙が小浜藩勢に届く。小浜藩、北口御門より津山城入城。二ノ丸・三ノ丸を請取る。立合は仁賀保誠信〔津山城御請取記〕。松平直明は本丸接収〔津山城御請取記、徳川諸家系譜4〕、酒井忠囿、使者をして上使田村建顕・水谷勝阜へ請取りし旨の口上書を届けしむ〔津山城御請取記〕。午刻、松平直明より酒井忠囿へ本丸接収の知らせあり。忠囿、森対馬守長俊屋敷より仁賀保誠信同道にて本丸へ参る〔津山城御請取記〕。津山城本丸に於いて上使田村建顕、津山森家老中へ開城を申し渡す。家老中退出〔津山城御請取記〕。小浜藩、森家中退出後に火縄を消すように各城内番所へ下知す〔津山城御請取記〕。酒井忠囿・松平直明、津山城無事請取を連名にて江戸へ注進す〔津山城御請取記〕。酒井忠囿、小泉新内をして江戸へ在番の届を遣わしむ。また、在番の広島藩(松平−浅野−安藝守綱長)へ引渡を談ずるため役人方へ12日日付にて書状を遣わす(使者は江戸の平尾六右衛門、書状は小泉が江戸へ持参)〔津山城御請取記〕。小浜藩、城内所々番所の道具を取替え、津山役人へ引き渡す〔津山城御請取記〕。未刻、津山城下火災。警固の明石藩士、大手口より切手御門へ避難せんとせしに、切手御門警固の小浜藩士制止す。明石藩目付役片岡権左衛門断りを入れ、明石藩士2名を本丸へ通し、残る人数は切手御門より返せしむ〔津山城御請取記〕。
☆10.12 巳中刻、小浜藩小沢勘七、本丸へ使者に赴く途中、城内を見物していた目付水谷勝阜領内の百姓と称す者達を見かけ、鑑札不審に付き大手御門外へ追い出す〔津山城御請取記〕。小浜藩、大手北口御門改め。判鑑等請取る〔津山城御請取記〕。小浜藩・明石藩、目付の指図により津山城付の武具を請取る。小浜藩の担当は武藤小右衛門・冨岡杢右衛門、津山役人は曽我兵右衛門・守田喜八郎・奥田義右衛門外3名〔津山城御請取記〕。城請取目付赤井時尹・仁賀保誠信、小浜藩へ城内の管理につき書付を渡し、小浜藩士等城内を警衛す〔津山城御請取記〕。小浜藩(都筑喜内・河合治右衛門・都筑五左衛門)・明石藩、仁賀保誠信旅宿へ参り、目付並びに広島藩今井権之丞・竹本岡右衛門と城引渡につき相談す〔津山城御請取記〕。小浜藩士5名(林野市之進・江見多宮・寺田杢左衛門・青山久米之進・坂政之進)、帰国のため津山発足〔津山城御請取記〕。小浜藩家老酒井伊織・三浦七兵衛の宿割6人、津山発足す〔津山城御請取記〕。小浜藩小沢勘七、津山城付武具引渡の件につき仁賀保誠信宿所へ参上。その他諸事打合す〔津山城御請取記〕。申刻、北口御門へ下谷喜兵衛、入らんとせしを小浜藩士抑留し、目付仁賀保・赤井へ報告す。取り調べの結果、津山藩米蔵定番足軽にて城内居住の者と判明。相談の上、喜兵衛を城内に入れ明日朝5ツ前に北口御門への出頭を命ず。酒井忠囿、この時誰何しなかった番人を譴責す〔津山城御請取記〕。寅下刻、小浜藩武藤弥右衛門・小沢勘七、下谷喜兵衛宅へ参り妻子3人を門外へ追放す〔津山城御請取記〕。
☆10.13 酒井忠囿・松平直明、田村建顕・水谷勝阜・赤井時尹・仁賀保誠信同道にて津山城本丸見分。終了後、本陣である森長俊屋敷へ参る。その後退散〔津山城御請取記〕。津山城下に於いて公儀よりの扶持米拝領。小浜藩北条茂兵衛請取り、銀に換える〔津山城御請取記〕。小浜藩北条茂兵衛、扶持米代銀を小浜藩三浦孫助・武宮伊兵衛へ渡す〔津山城御請取記〕。小浜藩、押入村・津山宿の旅宿家主並びに肝煎の町人等へ代金を支払う〔津山城御請取記〕。城請取目付、小浜藩へ明日城引渡につき諸事書付を渡す〔津山城御請取記〕。小浜藩、下谷喜兵衛一件を上使田村、目付水谷へ報告するか目付仁賀保・赤井へ相談したところそれには及ばざるの旨返答あり〔津山城御請取記〕。夜亥刻、小浜藩武藤弥右衛門、二階町御門と西口御門を夜回りの所、下谷喜兵衛妻子を発見す。吟味の上目付中へ報告す〔津山城御請取記〕。
☆10.14 御代官衆手代木村条右衛門、小浜藩北条茂兵衛への請渡状を発給す〔津山城御請取記〕。松平直明、津山城を広島藩に引き渡す〔徳川諸家系譜4〕。6半時、酒井忠囿・松平直明、松平(浅野)綱長の軍勢(家老浅野伊織)へ引渡す。両収城使、老中へ注進す〔津山城御請取記〕。小浜藩、都筑五左衛門をして城請取目付赤井・仁賀保へ引渡を届けしむ〔津山城御請取記〕。小浜藩旗本並びに先勢とともに津山発足。酒井伊織は佐用に泊、三浦七兵衛は作州土居泊。午刻、酒井忠囿、津山発足。勝間田に止宿〔津山城御請取記〕。朝、小浜藩本陣旧森長俊屋敷広間に鉄炮1挺あり。小浜藩宮地瀬兵衛引き取り、小浜帰城後、和田孫次郎へ引き渡す〔作州津山城御請取之記〕。
☆10.18 酒井忠囿、摂津西宮泊まり〔作州津山城御請取之記〕。
☆10.21 小浜藩御先手、小浜着〔津山城御請取記〕。
☆10.22 酒井忠囿、小浜帰城〔津山城御請取記〕。
☆10.25 小浜藩、津山城請取の際の下谷喜兵衛一件につき津山城二階町番人4人、西口番人3人、北口番人5人を譴責、計12人遠慮す〔津山城御請取記〕。
☆10.26 家臣森采女三隆の嫡男九一郎(のちの志摩守長孝)、津山に於いて誕生す。母は長継女兼〔続家譜1、大系図〕。
☆11.15 幕府、津山城請取の松平直明の功を労う〔徳川諸家系譜4〕。
☆12.23 小浜藩で先に津山城請取に際して処罰を受けた番人12人、赦免す〔津山城御請取記〕。
☆12.18 長直、従五位下和泉守に叙任す〔寛政〕。
☆是歳 森縫殿正典(縫殿家)、作州国除により播州佐用郡久崎村に住居す〔可政〕。 |
長成(27)
長継(88) |
津山新田
三日月 |
☆8.2 森對馬守長俊、宗家領地収公により領地を播磨国佐用・揖西・宍粟郡のうちに移され、佐用郡乃井野(三日月)に陣屋を構える[史料稿本、大系図、寛政]。 |
長俊(49) |
宮川
新見 |
☆8.2 長治、宗家領地収公により領地を備中国阿賀・哲多・小田・浅口・後月郡のうちに移され、新見に住す[史料稿本、大系図、寛政]。
☆8.15 長治、将軍綱吉より領知の御朱印を拝領す[寛政]。 |
長治(41) |
旗本他 |
☆3.18 旗本森半兵衛重正(次郎家)、御書院番に列す。のち病につき小普請に入る[可政、寛政]。 |