年号
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西暦
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干支
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天皇
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将軍
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事 項
| 当 主 |
寛永12 |
1635 |
乙亥 |
明正 |
家光 |
津山 |
☆正.18 長継、美作一宮(中山神社)に社領10石を加増す〔美作中山神社文書〕。長継、美作総社に社領10石を加増す〔美作総社文書〕。長継、美作二宮(高野神社)へ社領10石を加増す〔美作高野神社文書〕。
☆正.26 長継、池田備中守長幸女と婚姻〔大系図〕。
☆正 長継、美作鶴山八幡宮の社領を30石加増す〔実録5〕。
☆11.14 将軍家光、使を遣して安芸広島城主浅野光晟・長継・年寄武蔵忍城主松平信綱等の病を問はしむ〔史料綜覧12〕。
☆12.29 長継、従四位下に昇る〔寛永、寛政〕。
☆是歳 長継、江戸市谷門石塁の修築を勤む〔大系図、寛政〕。 |
長継(26) |
旗本他 |
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寛永13 |
1636 |
丙子 |
明正 |
家光 |
津山 |
☆正.8 江戸城惣郭の石塁普請はじまる。長継は第三(細川忠利惣督)に属し、市ヶ谷枡形の石塁普請を担当す。慰労の上使松平伊豆守信綱〔江戸幕府日記、徳川3〕。
☆正.11 江戸城黒書院に於いて、前田利常・毛利秀就・細川忠利・池田光政・黒田忠之・鍋嶋勝茂・蜂須賀忠英・長継・生駒高俊、去る8日に上使(松平信綱)を遣われた御礼を申し上げる〔江戸幕府日記〕。
☆正.23 森河内正次(縫殿家)、死去す。法名「法源院殿前河州傑翁宗逸居士」〔可政〕。 |
長継(27) |
旗本他 |
☆10.8 旗本森左兵衛佐可政(左兵衛家)嫡男九一郎可久、御書院番に列す〔寛政〕。 |
寛永14 |
1637 |
丁丑 |
明正 |
家光 |
津山 |
☆10.朔 長継嫡男千助(のちの忠継)、江戸に於いて誕生す。母は池田長幸女〔大系図〕。
☆是歳 肥前島原に於いてキリシタン等蜂起する(島原の乱)によりて長継、暇を賜りて領国に至り、なお一揆鎮圧せざれば加勢すべき事を命ぜられる〔寛政〕。長継嫡男千助(後の忠継)、誕生す。母は池田備中守長幸女〔寛政〕。長継実弟で江戸証人の関式部長政、この年より朔望の出仕をゆるさる〔寛政〕。
☆是歳 趙州院殿(池田長幸室・忠政女)25回忌。池田長常名代伊木権兵衛、竜堂寺参拝。森家ではこの時より毎年30石ずつ寄附し、趙州院墓所も改葬す〔実録6〕。 |
長継(28) |
旗本他 |
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寛永15 |
1638 |
戊寅 |
明正 |
家光 |
津山 |
☆4.12 松倉長門守勝家、去る島原の乱の領国失政により所領を没収せられ、長継に預けられる〔江戸幕府日記、寛政、徳川3〕。
☆7.19 松倉勝家、切腹を命ぜられる〔寛政〕。 |
長継(29) |
旗本他 |
☆2.28 福岡藩士森勝右衛門成正(福岡家)、肥前国高来郡嶋原本丸に於いて討死す(52歳)。法名「自性院殿理叟玄眞居士」〔可政〕。
☆5.14 旗本森左兵衛佐可澄(左兵衛家)死す(54歳)。法名「正體院殿前筑州大守全心金剛居士」、牛込松源寺に葬られる〔寛政〕。
☆7.2 旗本森可澄(左兵衛家)嫡男九一郎可久、父の遺跡を継ぐ〔可政、寛政〕。 |
寛永16 |
1639 |
己卯 |
明正 |
家光 |
津山 |
☆6.3 故森重政(忠政長男)の元草履取で美作久米南郡中島村百姓の又左衛門、同郡北村の平井と公事に及び、長法寺河原にて一家断罪される〔実録5〕。 |
長継(30) |
旗本他 |
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寛永17 |
1640 |
庚辰 |
明正 |
家光 |
津山 |
☆12.29 長継、侍従に任ぜられる〔寛永、寛政〕。 |
長継(31) |
旗本他 |
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寛永18 |
1641 |
辛巳 |
明正 |
家光 |
津山藩 |
☆3.10 長継女子万(のち松平吉品室)江戸に於いて誕生す。母は池田長幸女〔大系図〕。
☆9.6 池田長常(母は忠政女趙州院)、死去(31歳)。法名「曹渓院殿」、墓所芝東禅寺〔実録6〕。 |
長継(32) |
旗本他 |
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寛永19 |
1642 |
壬午 |
明正 |
家光 |
津山 |
|
長継(33) |
旗本他 |
☆8.24 旗本森治郎兵衛重継(次郎家)、渡邊半之丞吉綱とともに駿河国田中城を松平伊賀守忠晴に引き渡すよう命ぜられる〔寛政〕。 |
寛永20 |
1643 |
癸未 |
明正 後光明
| 家光 |
津山 |
|
長継(34) |
旗本他 |
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寛永21
正保元
★12.16 改元 |
1644 |
甲申 |
後光明 |
家光 |
津山 |
|
長継(35) |
旗本他 |
☆3.16 旗本森治郎兵衛重継(次郎家)、本郷勝右衛門勝吉とともに三河国西尾城を井伊兵部少輔直之に引き渡すよう命ぜられる〔寛政〕。 |
正保2 |
1645 |
乙酉 |
後光明 |
家光 |
津山 |
☆正.23 長継三男兵蔵(後の長武)、誕生。母は池田長幸女〔大系図、寛政〕。
☆3.25 長継嫡男千助(忠継)、はじめて将軍家光に拝謁す〔大系図、寛政〕。
☆3 松平出羽守、津山へ立ち寄る
☆8 可成室妙向尼50回忌につき本願寺門跡より名代の使者として上原が、津山藩長継名代焼香として森宗兵衛三信(采女家)・湯川治兵衛正満、金山常照寺(元妙願寺)へ遣わされる〔実録3〕。 |
長継(36) |
旗本他 |
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正保3 |
1646 |
丙戌 |
後光明 |
家光 |
津山 |
|
長継(37) |
旗本他 |
|
正保4 |
1647 |
丁亥 |
後光明 |
家光 |
津山 |
☆3.21 家臣森左近正信、故有て退身し、京都に住す。妻岩(黒・忠政女)も共に退去す同様〔実録6、大系図〕。
☆6 長継女子苅、作州に於いて誕生。母は神保氏〔大系図〕。
☆6.10 長継女子鍋(松平康矩室)、作州に於いて誕生す。母は湯浅氏〔大系図〕。 |
長継(38) |
旗本他 |
☆12.25 旗本森治郎兵衛重継嫡男半兵衛正重(次郎家)、御書院番に列す〔寛政〕。 |
正保5
慶安元
★2.15
改元 |
1648 |
戊子 |
後光明 |
家光 |
津山 |
☆6.5 木下長嘯子(勝俊・可成女寶泉院−梅−の夫)、卒す〔実録3〕。
☆9.25 長継女子苅、早世す(2歳)。法名「凌峯院殿凉岳貞俊童女」、作州溪華院に葬る〔大系図〕。 |
長継(39) |
旗本他 |
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慶安2 |
1649 |
己丑 |
後光明 |
家光 |
津山 |
☆9.8 長継男子松之助(後の三日月藩初代對馬守長俊)、美作国津山に於いて誕生。母は湯浅氏[大系図、寛政]。 |
長継(40) |
旗本他 |
☆8.2 旗本森左兵衛可久(才兵衛家)、曾禰三十郎信由とともに丹波国篠山城を松平若狭守康信に引き渡すよう命ぜられる〔寛政〕。 |
慶安3 |
1650 |
庚寅 |
後光明 |
家光 |
津山 |
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長継(41) |
旗本他 |
|
慶安4 |
1651 |
辛卯 |
後光明 |
家光 家綱 |
津山 |
☆4.17 長継、上野寛永寺東照宮社殿落成につき、同宮へ銅燈籠1対を奉献す〔森長継銅燈籠銘文〕。
☆12.23 長継男子吉之助、江戸に於いて誕生す。母は苑田氏〔大系図〕。 |
長継(42) |
旗本他 |
☆是歳 旗本森左兵衛可久(左兵衛家)嫡男六兵衛長重誕生す。母は上田主殿介重秀女(長照院)〔可政〕。 |
慶安5
承応元
★9.18
改元 |
1652 |
壬辰 |
後光明 |
家綱 |
津山 |
☆2.16 森所左衛門正矩(縫殿家)長男平八郎(部屋住500石)、死去す(32歳)。法名「春山輝峯禅定門」、墓所津山景徳寺〔可政〕。
☆是歳 長継女子黒誕生。母は林氏〔大系図〕。
☆5 長継女子黒、早世す〔大系図〕。 |
長継(43) |
宮川 |
☆12.28 長継実弟関式部長政、従五位下但馬守に叙任す〔寛政〕。
☆12 長継、実弟の関但馬守長政に1万8700石を分知され、柳間に候す〔寛政〕。 |
関 長政(41) |
旗本他 |
|
承応2 |
1653 |
癸巳 |
後光明 |
家綱 |
津山 |
☆6.30 長継嫡男忠継、小笠原信濃守長次女と婚姻す〔大系図〕。 |
長継(44) |
宮川 |
|
長政(42) |
旗本他 |
☆8.29 旗本森左兵衛可澄(左兵衛家)室名護屋九右衛門女、卒す。法名「随心院殿妙秀日清禅定尼」〔可政〕。 |
承応3 |
1654 |
甲午 |
後光明 後西
| 家綱 |
津山 |
☆8.14 長継家老原豊前、池田光政へ洪水につき御蔵へも水入り申す旨申し越す〔池田光政日記〕。
☆8.18 長継、池田光政へ光政娘祝言の祝儀として使者を遣わす〔池田光政日記〕。
☆12.12 長継女子(鳥居忠常室)、江戸に於いて誕生す〔大系図〕。
☆12.26 長継嫡男忠継、従四位下に叙し、美作守に任ぜらる〔寛政〕。 |
長継(45) |
宮川 |
|
長政(43) |
旗本他 |
|
承応4
明暦元 |
1655 |
乙未 |
後西 |
家綱 |
津山 |
☆5.11 長継嫡男忠継、初めて帰国の暇を賜る[大系図]。
☆8.18 長継男子吉之助、早世す(5歳)。法名「影幻院殿江月宗秋大童子」、武州土器町瑠璃光寺に葬る[大系図]。
☆是歳 長継男子大吉、作州に於いて誕生す。母は湯浅氏[大系図]。 |
長継(46) |
宮川 |
|
長政(44) |
旗本他 |
|
明暦2 |
1656 |
丙申 |
後西 |
家綱 |
津山 |
☆2.28 長継三男兵蔵、はじめて将軍家綱に拝謁す[大系図、寛政]。
☆5.3 森家家臣各務四郎兵衛妻(名古屋因幡守女)、死去(76歳)。法名「大林院殿」〔実録6〕。 |
長継(47) |
宮川 |
|
長政(45) |
旗本他 |
|
明暦3 |
1657 |
丁酉 |
後西 |
家綱 |
津山 |
☆2.2 長継男子金太郎、作州に於いて誕生す。母は苑田氏〔大系図〕。
☆2.8 片上にいる長継家来多兵衛、岡山藩へ百石積みの舟10艘借りたき儀申し越す〔池田光政日記〕。
☆6.15 長継男子金太郎、早世す。法名「松月院殿」、作州溪花院に葬る〔大系図〕。
☆8.13 森所左衛門正方(縫殿家)子藤十郎、津山に於いて死す(18歳)。法名「秋?玄仲禅定門」、墓所津山景徳寺〔可政〕。
☆9.6 長継六男千菊(後の関備前守長治)、美作国に於いて誕生す。母は湯浅氏〔大系図、寛政〕。 |
長継(48) |
宮川 |
|
長政(46) |
旗本他 |
☆正.4 旗本森次郎兵衛重継(次郎家)死す(58歳)。法名「本凉院殿即堂淨範居士」、谷中南泉寺に葬られる〔可政、寛政〕。
☆5.19 旗本森重継嫡子半兵衛正重(次郎家)、父の遺跡を継ぎ1560石を知行し、300石を弟才兵衛正剰(才兵衛家初代)に分知す〔可政、寛政〕。 |
明暦4
万治元
★7.23
改元 |
1658 |
戊戌 |
後西 |
家綱 |
津山 |
☆5.18 本多能登守忠義室兼(忠政女)、江戸に於いて卒す。廣徳寺にて火葬す。法名「本智院殿性敬妙雲大姉」〔大系図〕。 |
長継(49) |
宮川 |
|
長政(47) |
旗本他 |
|
万治2 |
1659 |
己亥 |
後西 |
家綱 |
津山 |
☆4.11 江戸城本丸・二の丸石垣普請の助力により、関係せる長継家臣等、時服・白銀等を拝領す〔寛政〕。
☆8.12 森所左衛門正矩(縫殿家)、死去す(59歳)。法名「慈雲院殿鐵叟以閑居士」、墓所津山景徳寺〔可政〕。
☆是歳 長継、江戸城本丸・二の丸山里石垣普請を命ぜられる〔大系図〕。 |
長継(50) |
宮川 |
|
長政(48) |
旗本他 |
☆7.2 旗本森左兵衛可久(左兵衛家)死す(44歳)。法名「法卓玄空居士」、牛込松源寺に葬られる〔可政、寛政〕。
☆7.11 旗本森才兵衛正剰(才兵衛家)、御小姓組番士に列す〔寛政〕。
☆12.25 旗本森可久(才兵衛家)嫡男六兵衛長重、父の遺跡を継ぐ〔可政、寛政〕。 |
万治3 |
1660 |
庚子 |
後西 |
家綱 |
津山 |
☆是歳 長継女鍋、松平主馬康矩と縁組〔大系図〕。
☆9.28 長継女鍋、松平康矩に嫁す〔大系図〕。
☆11.26 長継、原喜右衛門へ知行150石を与える〔美作米井家文書〕。
☆12.28 長継三男兵蔵(長武)、従五位下伯耆守に叙任す〔寛政〕。
☆是歳 忠政側室於竹(香々美、山内源左衛門之豊女)、美作にて死去(89歳)。法名「清泰院殿栄巌寿永大姉」、墓所津山法源山宗永寺〔実録6〕。 |
長継(51) |
宮川 |
|
長政(49) |
旗本他 |
|
万治4
寛文元
★4.25
改元 |
1661 |
辛丑 |
後西 |
家綱 |
津山 |
☆正.朔 江戸に於いて長継嫡男忠継に男子千助が誕生す。母は小笠原長次女〔大系図〕。
☆正.25 津山藩士原小一郎(元和元年帰参)、死去す(94歳)。法名「道機居士」〔実録6〕。
☆3.7 長継男子大吉、早世す(7歳)。法名「良供院殿物外恵天臺児子」、作州涅槃寺に葬る〔大系図〕。 |
長継(52) |
宮川 |
|
長政(50) |
旗本他 |
|
寛文2 |
1662 |
壬寅 |
後西 |
家綱 |
津山 |
☆6.27 森忠継長男千助、早世す。法名「南照院殿凉山宗清大童子」、廣徳寺に葬る〔大系図〕。
☆9.6 長継、趙州院殿(忠政女・池田長幸室)菩提寺円明寺を建立す〔実録6〕。 |
長継(53) |
宮川 |
|
長政(51) |
旗本他 |
☆2.5 森半左衛門(半十郎家)長男半十郎、館林城主徳川綱吉の御小性組として仕え、200俵を賜る〔断家譜〕。
☆3.13 館林藩士森半十郎(半十郎家)、御小納戸となる〔断家譜〕。
☆3.25 福岡藩足軽頭森九兵衛正利(福岡家)、長崎に於いて病没す(56歳、一説に47歳)〔可政〕。 |
寛文3 |
1663 |
癸卯 |
後西 霊元
| 家綱 |
津山 |
☆正.19 長継女亀(一條兼輝簾中)、江戸に於いて生まれる。母は馬見塚氏〔大系図〕。
☆4.22 江戸に於いて森忠継の長女松誕生す。母は小笠原長次女〔大系図〕。
☆11.14 美作二宮(高野神社)社殿再建上棟。願主は長継〔美作高野神社文書〕。 |
長継(54) |
宮川 |
|
長政(52) |
旗本他 |
|
寛文4 |
1664 |
甲辰 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆正.20 池田備中守長幸再室四条殿(宮・忠政女)、京都に於いて卒す(67歳)。法名「大雲院殿聞桂壽林大姉」、墓所紫野大徳寺大光院〔実録6、大系図〕。
☆4.5 将軍家綱、全国の領主に判物・朱印状を発給して領地を安堵す。長継にも美作国一円宛行の判物が発給される〔寛文印知集〕。 |
長継(55) |
宮川 |
|
長政(53) |
旗本他 |
|
寛文5 |
1665 |
乙巳 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆7.7 高嶋又左衛門長親、罪ありて長継に預けられる〔寛政〕。
☆10.9 長継四男對馬長俊、はじめて将軍家綱に拝謁す〔寛政、大系図には9月9日とあり〕。 |
長継(56) |
宮川 |
|
長政(54) |
旗本他 |
|
寛文6 |
1666 |
丙午 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆8.26 鳥居左京亮忠恒室菊(忠政女)、江戸に於いて卒す(67歳)。法名「晃昌院殿月心宗照大姉」、墓所江戸下谷円満山広徳寺〔実録6、大系図〕。
☆是歳 長継女兼(森三隆妻)、江戸に於いて誕生す〔大系図〕。 |
長継(57) |
宮川 |
☆是歳 但馬守長政、備前守に改む[寛政]。 |
長政(55) |
旗本他 |
|
寛文7 |
1667 |
丁未 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆4.20 森所左衛門正方(縫殿家)女で鳥取藩士花房弥次兵衛妻、死去す(35歳)。法名「貞室妙儀禅定尼」[可政]。
☆是春 家臣塙伝三郎(270石)、加増の上、旗奉行となる[実録6]。
☆5.7 長継女千(毛利元次室)、作州に於いて誕生す。母は湯浅氏[大系図]。
☆是歳 長継女百、江戸に於いて誕生す。母は橋村氏[大系図]。 |
長継(58) |
宮川 |
|
長政(56) |
旗本他 |
☆8.27 旗本森半兵衛重正(次郎家)室(長崎弥左衛門元義女)、卒す。法名「法林恵性大姉」[可政]。
☆11.21 旗本森六兵衛長重(才兵衛家)、御書院番に列す[寛政]。 |
寛文8 |
1668 |
戊申 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆2.21 森忠継次男兵吉、江戸に於いて誕生す。母は小笠原長次女〔大系図〕。
☆4.13 長継女芳(保科正賢室)、江戸に於いて誕生す。母は馬見塚氏〔大系図〕。
☆4.27 森正矩(縫殿家)後室で高木右近義政(岡山藩士)女、死去す(65歳)。法名「定光院殿久縁宗陳大姉」、墓所津山景徳寺〔可政〕。
☆11 長継、美作千年寺に石灯籠両基を寄進す〔千年寺跡長継寄進石燈籠碑銘〕。
☆是歳 長継嫡男忠継、美作豊楽寺の客殿並びに庫裏を建立す〔豊楽寺由緒書〕。 |
長継(59) |
宮川 |
|
長政(57) |
旗本他 |
|
寛文9 |
1669 |
己酉 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆3.19 長継、美作龍雲寺(本源寺)に寺領200石を寄進す〔美作本源寺文書〕。長継、美作千年寺へ寺領50石を寄進す〔美作千年寺文書〕。
☆4.下旬 長継、美作千年寺に逆修五輪塔を建立す〔千年寺跡森長継逆修塔碑銘〕。
☆9.朔 松平康矩室鍋(長継女)、江戸に於いて卒す。法名「本光院殿寂源妙空大姉」、武州西久保天徳寺に葬る〔大系図〕。
☆9.26 池田備中守長幸、江戸に於いて卒す。法名「承国院殿」、墓所江戸東禅寺〔実録6〕。
☆10.6 長継女百、早世す。法名「常光院殿弧燈幼心童女」、瑠璃光寺に葬る〔大系図〕。
☆10.14 長継女大(松平−鷹司−信正室)、江戸に於いて誕生す。母は家女(山城の人)〔大系図〕。 |
長継(60) |
宮川 |
☆5.15 津山隠居長継六男千菊(長治)、長政の養子となる[寛政]。
☆6.朔 長政養子大蔵長治(長継子)、はじめて将軍家綱に拝謁す[大系図、寛政]。 |
長政(58) |
旗本他 |
☆10.25 旗本森重継(次郎家)室日下部氏(河内守正冬女)、卒す。法名「久慶院殿松室淨貞信女」[可政]。
☆I.18 旗本森才兵衛正剰(才兵衛家)、懈怠なき勤務を賞せられ将軍家綱より黄金2枚を拝領す[寛政]。 |
寛文10 |
1670 |
庚戌 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆6.9 長継、大津聖衆来迎寺の森可成墓所を改修し、且つ墓前に石燈籠を寄進す[来迎寺森可成墓所]。
☆是歳 長継六男萬吉(長基)誕生す。母は家女(京都の人)[大系図、寛政]。 |
長継(61) |
宮川 |
☆5 長政、美作豊楽寺に蔵す大般若経を修理せしむ〔豊楽寺由緒書〕。 |
長政(59) |
旗本他 |
|
寛文11 |
1671 |
辛亥 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆3 森武兵衛(1000石・武兵衛家)、津山藩仕置役に就任[可政]。
☆4.5 森忠継三男兵三郎(のちの長成)、江戸に於いて誕生す。母は小笠原長次女[伝記坤、大系図]。
☆11.23 伊勢神宮内宮・外宮焼失。森忠政奉納の鵜丸太刀・牛玉・鹿玉も焼失す[実録5]。
☆是歳 長継嫡男忠継に嫡男兵三郎(後の長成)誕生。母は小笠原信濃守長次女[寛政]。 |
長継(62) |
宮川 |
|
長政(60) |
旗本他 |
☆12.5 旗本森六兵衛長重(左兵衛家)妻酒井伊豫守忠興(書院番頭)女、死去す。法名「清鏡院殿法室貞圓大姉」[可政]。 |
寛文12 |
1672 |
壬子 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆11.26 長継女子、鳥居左京亮忠常と婚姻[大系図]。
☆12.22 長継子亀之助(後の和泉守長直)、江戸に於いて誕生す。母は橋村氏[森家系、大系図には11月とあり]。
☆12.28 森忠継次男兵吉、早世す。法名「雲奥院殿一源宗収大童子」、渋谷祥雲寺に葬る[大系図]。
☆是歳 長継子萬吉(長基)、家臣池村縫殿助の養子となる[大系図]。 |
長継(63) |
宮川 |
|
長政(61) |
旗本他 |
|
寛文13
延宝元
★9.21
改元 |
1673 |
癸丑 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆4.19 長継九男大助(後の関式部衆利)、作州に於いて誕生す。母は阿坂氏[大系図寛政]。
☆6.9 備前岡山城主松平(池田)光政、隠居に際して若狭正宗(忠政より木下勝俊→豊臣秀吉→徳川家康→池田輝政の手を経る)を将軍家綱に献上す[実録3]。 |
長継(64) |
宮川 |
|
長政(62) |
旗本他 |
|
延宝2 |
1674 |
甲寅 |
霊元 |
家綱 |
津山 |
☆2.28 長継嫡男忠継、津山に於いて卒す(38歳)。法名「霊光院殿義海仁功大居士」、津山本源寺に葬る〔史料稿本、大系図、寛政〕。
☆4.26 長継致仕し、三男長武、万右衛門(忠継子、のちの長成)の後見として家督を継ぐ。このとき兄忠継長男長成を長武嫡子とすべき旨を命ぜられる〔史料稿本、大系図、寛政〕。
☆5.26 長継、将軍家綱に鉈切長光の刀・芝霊石の墨跡を、御台所に松榮筆の松に雛鶴の屏風1双を献上す〔寛政〕。長武、襲封を将軍家綱に謝す。また、真太刀(真利)・時服20・黄金50枚を将軍家綱に献上す。このとき家臣四人も拝謁す〔大系図、寛政〕。
☆10.朔 妙願寺二代淨公室「捨」(忠政長男重政女子)、没す(64歳)。法名「清光院殿慈澤性潤大姉」、墓所津山神王山溪花院〔実録6、大系図〕。
☆12.27 長武、従四位下に昇る〔寛政〕。 |
長継(65)
長武(30) |
宮川藩 |
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長政(63) |
旗本他 |
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