年号 |
西暦 |
干支 |
天皇 |
内閣総理大臣
|
事 項 |
当主 |
昭和2 |
1927 |
丁卯 |
昭和 |
岩槻禮次郎
田中義一 |
☆10.10 森子爵家相続人可久氏の長男可基氏誕生〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長剛 |
昭和3 |
1928 |
戊辰 |
昭和 |
田中 |
☆8 赤穂尋常小学校移転につき校舎に使用の旧赤穂藩庁殿舎は赤穂神社に金50円で払い下げられる〔新義6〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長剛 |
昭和4 |
1929 |
己巳 |
昭和 |
田中
濱口雄幸 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長剛 |
昭和5 |
1930 |
庚午 |
昭和 |
濱口 |
☆3 新見関長剛子爵、没す〔華族〕。 |
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長剛 |
昭和6 |
1931 |
辛未 |
昭和 |
濱口
岩槻禮次郎
犬養 毅 |
|
赤穂 |
忠恕 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
− |
昭和7 |
1932 |
壬申 |
昭和 |
犬養
高橋是清
斉藤 實 |
☆3.27 三日月俊成子爵の子俊次氏死去〔華族〕。
☆8.1 赤穂忠恕子爵、隠居〔[華族〕。
☆8 赤穂大石神社、赤穂神社より旧赤穂城本丸御殿玄関(唐破風・天井・式台付)を購入し、大石邸長屋門南門長屋隅に移築す〔赤穂城本丸御殿玄関板書〕。
☆9.15 赤穂可久氏(忠恕子爵婿養子)、森子爵家を相続する〔華族〕。
☆9 旧赤穂藩庁(本丸御殿)玄関、棟梁山本福治(惟寿)によって修理される〔新義6〕。
☆是歳 赤穂城跡大手門反橋復元〔新義62〕。 |
赤穂 |
忠恕
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
− |
昭和8 |
1933 |
癸酉 |
昭和 |
斎藤 |
☆4 新見関家、前当主博直六男長博氏(長剛実弟)が相続す〔華族〕。 |
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和9 |
1934 |
庚戌 |
昭和 |
斎藤
岡田啓介 |
|
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和10 |
1935 |
乙亥 |
昭和 |
岡田 |
☆2.1 赤穂城跡大手門の高麗門と濠端の間に太鼓橋を架橋。大石神社総代司波尚太郎氏奉納〔歴史〕。 |
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和11 |
1936 |
丙子 |
昭和 |
岡田
廣田弘毅 |
|
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和12 |
1937 |
丁丑 |
昭和 |
廣田
林 銑十郎
近衛文麿 |
|
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和13 |
1938 |
戊寅 |
昭和 |
近衛 |
|
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和14 |
1939 |
己卯 |
昭和 |
近衛
平沼騏一郎
阿部信行 |
|
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和15 |
1940 |
庚辰 |
昭和 |
阿部
米内光政
近衛文麿 |
|
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和16 |
1941 |
辛巳 |
昭和 |
近衛
東條英機 |
|
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和17 |
1942 |
壬午 |
昭和 |
東條 |
|
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和18 |
1943 |
癸未 |
昭和 |
東條 |
|
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和19 |
1944 |
甲申 |
昭和 |
東條
小磯國昭 |
☆8 大石神社飯尾巌夫社司(旧赤穂藩士)、内閣辞令にて奏任官をもって待遇せらる〔歴史〕。
☆9 大石神社飯尾巌夫社司(旧赤穂藩士)、従七位に叙せらる〔歴史〕。 |
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和20 |
1945 |
乙酉 |
昭和 |
小磯
鈴木貫太郎
東久邇宮稔彦王
幣原喜重郎 |
☆1 新見関長博子爵の敏誕生〔華族〕。
☆6.29 三日月俊成子爵の長男俊守氏、フィリピンミンダナオ島にて戦死〔華族〕。
☆8 赤穂大石神社飯尾巌夫社司(旧赤穂藩士)、公職追放となり、大石邸址の樹木も盗伐され池の鯉も盗難に遭うなど神社境内荒廃す〔歴史〕。 |
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和21 |
1946 |
丙戌 |
昭和 |
幣原
吉田 茂 |
☆1 大石神社飯尾巌夫社司(旧赤穂藩士)、神社本庁設立準備委員に委嘱される〔歴史〕。
☆4 大石神社飯尾巌夫社司(旧赤穂藩士)、神社本庁より明階位を受け大石神社宮司となる〔歴史〕。
☆8 新見関長博子爵、没す〔華族〕。
☆11.14 赤穂隠居忠恕氏死去す〔華族〕。 |
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
長博 |
昭和22 |
1947 |
丁亥 |
昭和 |
吉田
片山 哲 |
|
赤穂 |
可久 |
三日月 |
俊成 |
新見 |
勝 |
昭和23 |
1948 |
戊子 |
昭和 |
片山
芦田 均
吉田 茂 |
☆7 赤穂藩主森家祖先7将を祀っている旧郷社赤穂神社、大石神社に合祀される。これにより「赤穂大石神社」となる〔新義60・歴史〕。 |
昭和24 |
1949 |
己丑 |
昭和 |
吉田 |
|
昭和25 |
1950 |
庚寅 |
昭和 |
吉田 |
☆是歳 赤穂城跡本丸天守台の忠魂碑(赤穂中学出身の大東亜戦争戦没者)を赤穂大石神社に移築、赤穂霊舎として鎮祭す〔歴史〕。 |
昭和26 |
1951 |
辛卯 |
昭和 |
吉田 |
|
昭和27 |
1952 |
壬辰 |
昭和 |
吉田 |
☆是歳 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、神社本庁より表彰を受ける〔歴史〕。 |
昭和28 |
1953 |
癸巳 |
昭和 |
吉田 |
☆是歳 赤穂城跡大手隅櫓・高麗門復元される〔新義62〕。 |
昭和29 |
1954 |
甲午 |
昭和 |
吉田
鳩山一郎 |
☆是歳 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、神社本庁より浄階位を授けられ、神職身分一級に昇進す〔歴史〕。 |
昭和30 |
1955 |
乙未 |
昭和 |
鳩山 |
|
昭和31 |
1956 |
丙申 |
昭和 |
鳩山
石橋湛山 |
☆2 赤穂城復興並びに義士尊像奉献奉賛会、建設終了の赤穂城大手門隅櫓・赤穂城大手城壁・赤穂城大手高麗門・隅櫓内陳列棚等一切を赤穂市長並びに市議会長宛に寄附採納を申し出る〔歴史〕。
☆9.16 三日月森俊成氏、死去。嫡孫利之氏相続す〔華族〕。 |
昭和32 |
1957 |
丁酉 |
昭和 |
石橋
岸 信介 |
|
昭和33 |
1958 |
戊戌 |
昭和 |
岸 |
☆是歳 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司長男精氏、明治神宮禰宜に任ぜられ、神職身分も二級となる〔歴史〕。 |
昭和34 |
1959 |
己亥 |
昭和 |
岸 |
☆8.15 三日月森俊成子爵夫人鑑子氏、没す〔華族〕。 |
昭和35 |
1960 |
庚子 |
昭和 |
岸
池田勇人 |
|
昭和36 |
1961 |
辛丑 |
昭和 |
池田 |
|
昭和37 |
1962 |
壬寅 |
昭和 |
池田 |
☆4 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司(旧赤穂藩士)の勤続奉仕50年・古稀・神社本庁表彰の祝賀会を大石神社儀式殿にて開催す〔歴史〕。
☆10.20 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司(旧赤穂藩士)病のため長男で明治神宮禰宜の精氏が大石神社禰宜を兼任。宮司の職務を代行す〔歴史〕。
☆11.2 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司(旧赤穂藩士)死去す〔歴史〕。
☆12 赤穂大石神社故飯尾巌夫宮司著『大石神社鎮座五十年記念誌』上梓〔歴史〕。 |
昭和38 |
1963 |
癸卯 |
昭和 |
池田 |
☆11.20 岐阜県兼山町の大龍山可成禅寺に所在する森家墓地町史跡に、「森長可画像」・「森長武・忠洪書状軸」、町文化財に指定される。同じく慈光山常照寺の妙向尼墓碑町史跡に、「妙向尼有髪・法体画像」二軸が町文化財に指定される。補陀落山大通寺所蔵「金山記全集大成」町文化財に指定される。
☆12.28 画家の長安雅山氏(元赤穂藩絵師長安周得孫)、東京杉並区の自宅で死去(89歳)〔赤16〕。
☆是歳 赤穂大石神社宮司職舎、改新築〔新義60〕。 |
昭和39 |
1964 |
甲辰 |
昭和 |
池田
佐藤栄作 |
|
昭和40 |
1965 |
乙巳 |
昭和 |
佐藤 |
|
昭和41 |
1966 |
丙午 |
昭和 |
佐藤 |
☆7.1 赤穂大石神社、神社本庁別表神社(旧官国幣社)に加列〔歴史〕。 |
昭和42 |
1967 |
丁未 |
昭和 |
佐藤 |
☆11.13 岐阜県兼山町の金山城跡、岐阜県史跡に指定される。森長可所用と伝えられる「金銅筒臑当」(兼山町歴史民俗資料館所蔵)、岐阜県有形文化財に指定される。 |
昭和43 |
1968 |
戊申 |
昭和 |
佐藤 |
|
昭和44 |
1969 |
己酉 |
昭和 |
佐藤 |
|
昭和45 |
1970 |
庚戌 |
昭和 |
佐藤 |
|
昭和46 |
1971 |
辛亥 |
昭和 |
佐藤 |
☆3 文部省告示により赤穂城跡全体が史跡に指定される〔全義5、歴史〕。 |
昭和47 |
1972 |
壬子 |
昭和 |
佐藤
田中角栄 |
|
昭和48 |
1973 |
癸丑 |
昭和 |
田中 |
|
昭和49 |
1974 |
甲寅 |
昭和 |
田中
三木武夫 |
☆是歳 赤穂大石神社宮司職舎、新築される〔新義60〕。 |
昭和50 |
1975 |
乙卯 |
昭和 |
三木 |
☆秋 兵庫県神社庁の庁舎(旧湊川神社宝物殿)を赤穂大石神社宝物殿の建物として使用すべく解体〔新義1〕。
☆11.5 赤穂大石神社義士宝物殿地鎮祭〔新義1〕。 |
昭和51 |
1976 |
丙辰 |
昭和 |
三木
福田赳夫 |
☆3末 赤穂大石神社義士宝物殿竣工〔新義1〕。
☆4.8 赤穂大石神社義士宝物殿開館〔新義1〕。
☆11.13 赤穂可久氏死去。可展氏が相続する〔華族〕。 |
昭和52 |
1977 |
丁巳 |
昭和 |
福田 |
|
昭和53 |
1978 |
戊午 |
昭和 |
福田
大平正芳 |
☆4.28 午前10時、赤穂大石神社に於いて大石邸長屋門復元工事地鎮祭執行す〔新義7〕。
☆5.8 大石邸長屋門に廊下続きで付属の茶室、大石神社儀式殿南庭まで移築り地鎮祭及び曳舞工事行われる[新義7]。旧赤穂藩庁玄関は儀式殿の一部に移築再建す〔新義7〕。
☆8.16 奈良県立美術館学芸員宮崎隆旨氏等、森可成所用甲冑撮影のため赤穂大石神社を訪問す〔新義8〕。
☆10.4 奈良県立美術館に於いて開催の特別展「戦国桃山名将よろい」展に森可成甲冑(兜大釘立)1領を出品す〔新義9〕。 |
昭和54 |
1979 |
己未 |
昭和 |
大平 |
☆10.5 赤穂花岳寺(赤穂家菩提寺)住職片山伯仙師隠退並後任住職片山一良(牧仙)和尚普山式〔新義13〕。 |
昭和55 |
1980 |
庚申 |
昭和 |
大平
伊東正義(臨時)
鈴木善幸 |
☆1.8 赤穂城本丸隅櫓台桝形石積み解体復元工事地鎮祭執行される[新義13]。
☆是歳 赤穂大石神社宮司職舎、一部改築〔新義60〕。 |
昭和56 |
1981 |
辛酉 |
昭和 |
鈴木 |
☆9 兵庫県立赤穂高等学校、赤穂城本丸跡から赤穂市東浜塩田跡地に移転す〔赤60〕。 |
昭和57 |
1982 |
壬戌 |
昭和 |
鈴木
中曽根康弘 |
☆是歳 兵庫県立赤穂高校の建物、赤穂城本丸跡から撤去される。 |
昭和58 |
1983 |
癸亥 |
昭和 |
中曽根 |
☆是歳 赤穂城跡本丸発掘調査を開始。予備調査としてトレンチを行う。 |
昭和59 |
1984 |
甲子 |
昭和 |
中曽根 |
☆7.2 赤穂城本丸跡発掘〔赤24〕。
☆是歳 兵庫県立赤穂高校移転。赤穂城跡本丸大池泉の全体と奥御殿の坪庭の池が検出される。赤穂城本丸跡天守台修復完成。 |
昭和60 |
1985 |
乙丑 |
昭和 |
中曽根 |
☆是歳 赤穂城本丸跡調査。池泉部を中心とする本丸南半分を発掘する[全義5]。赤穂城跡本丸大池泉の復元工事始まる。 |
昭和61 |
1986 |
丙寅 |
昭和 |
中曽根 |
☆7 財団法人赤穂市文化振興財団発足す。
☆8 この月より赤穂城本丸跡池泉工事始まる〔赤29〕。 |
昭和62 |
1987 |
丁卯 |
昭和 |
中曽根
竹下 登 |
☆12.14 整備中の赤穂城跡本丸一般公開〔赤31〕。 |
昭和63 |
1988 |
戊辰 |
昭和 |
竹下 |
☆1.11 赤穂花岳寺(赤穂家菩提寺)前住職の片山伯仙和尚遷化す。
☆7.10 赤穂城跡本丸にて発掘説明会が行われる〔赤32〕。
☆12.14 整備中の赤穂城跡本丸一般公開〔赤33〕。 |
昭和64
平成元 |
1989 |
己巳 |
昭和
今上 |
竹下
宇野宗佑
海部俊樹 |
☆1.7 昭和天皇崩御。
★1.8 改元。
☆12.14 発掘調査中の赤穂城跡本丸一般公開〔赤35〕。 |