|コラム||森家史料
森家年譜 10【森子爵家(2家)・関子爵家U】
−昭和2(1927)〜平成元(1989)−
更新 2010/6/7

《年譜》
年号  西暦  干支   天皇
内閣総理大臣 
 事        項  当主
 昭和2  1927 丁卯   昭和 岩槻禮次郎
田中義一
☆10.10 森子爵家相続人可久氏の長男可基氏誕生〔華族〕。  赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 長剛
 昭和3  1928 戊辰  昭和  田中  ☆8 赤穂尋常小学校移転につき校舎に使用の旧赤穂藩庁殿舎は赤穂神社に金50円で払い下げられる〔新義6〕。  赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 長剛
昭和4 1929 己巳 昭和 田中
濱口雄幸
赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 長剛
昭和5 1930 庚午 昭和 濱口 ☆3 新見関長剛子爵、没す〔華族〕。 赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見 長剛
昭和6  1931  辛未  昭和  濱口
岩槻禮次郎
犬養 毅 
   赤穂 忠恕
三日月 俊成
新見
昭和7 1932 壬申 昭和 犬養
高橋是清
斉藤 實
☆3.27 三日月俊成子爵の子俊次氏死去〔華族〕。
☆8.1 赤穂忠恕子爵、隠居〔[華族〕。
☆8 赤穂大石神社、赤穂神社より旧赤穂城本丸御殿玄関(唐破風・天井・式台付)を購入し、大石邸長屋門南門長屋隅に移築す〔赤穂城本丸御殿玄関板書〕。
☆9.15 赤穂可久氏(忠恕子爵婿養子)、森子爵家を相続する〔華族〕。
☆9 旧赤穂藩庁(本丸御殿)玄関、棟梁山本福治(惟寿)によって修理される〔新義6〕。
☆是歳 赤穂城跡大手門反橋復元〔新義62〕。
赤穂 忠恕
可久
三日月 俊成
新見
昭和8 1933 癸酉 昭和 斎藤 ☆4 新見関家、前当主博直六男長博氏(長剛実弟)が相続す〔華族〕。 赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和9 1934 庚戌 昭和 斎藤
岡田啓介
赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和10 1935 乙亥 昭和 岡田 ☆2.1 赤穂城跡大手門の高麗門と濠端の間に太鼓橋を架橋。大石神社総代司波尚太郎氏奉納〔歴史〕。 赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和11 1936 丙子 昭和 岡田
廣田弘毅
赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和12 1937 丁丑 昭和 廣田
林 銑十郎
近衛文麿
赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和13 1938 戊寅 昭和 近衛 赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和14 1939 己卯 昭和 近衛
平沼騏一郎
阿部信行
赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和15 1940 庚辰 昭和 阿部
米内光政
近衛文麿
赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和16 1941 辛巳 昭和 近衛
東條英機
赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和17 1942 壬午 昭和 東條 赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和18 1943 癸未 昭和 東條 赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和19 1944 甲申 昭和 東條
小磯國昭
☆8 大石神社飯尾巌夫社司(旧赤穂藩士)、内閣辞令にて奏任官をもって待遇せらる〔歴史〕。
☆9 大石神社飯尾巌夫社司(旧赤穂藩士)、従七位に叙せらる〔歴史〕。
赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和20 1945 乙酉 昭和 小磯
鈴木貫太郎
東久邇宮稔彦王
幣原喜重郎
☆1 新見関長博子爵の敏誕生〔華族〕。
☆6.29 三日月俊成子爵の長男俊守氏、フィリピンミンダナオ島にて戦死〔華族〕。
☆8 赤穂大石神社飯尾巌夫社司(旧赤穂藩士)、公職追放となり、大石邸址の樹木も盗伐され池の鯉も盗難に遭うなど神社境内荒廃す〔歴史〕。
赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和21 1946 丙戌 昭和 幣原
吉田 茂
☆1 大石神社飯尾巌夫社司(旧赤穂藩士)、神社本庁設立準備委員に委嘱される〔歴史〕。
☆4 大石神社飯尾巌夫社司(旧赤穂藩士)、神社本庁より明階位を受け大石神社宮司となる〔歴史〕。
☆8 新見関長博子爵、没す〔華族〕。
☆11.14 赤穂隠居忠恕氏死去す〔華族〕。
赤穂 可久
三日月 俊成
新見 長博
昭和22 1947 丁亥 昭和 吉田
片山 哲
赤穂 可久
三日月 俊成
新見
昭和23 1948 戊子 昭和 片山
芦田 均
吉田 茂
☆7 赤穂藩主森家祖先7将を祀っている旧郷社赤穂神社、大石神社に合祀される。これにより「赤穂大石神社」となる〔新義60・歴史〕。
昭和24 1949 己丑 昭和 吉田
昭和25 1950 庚寅 昭和 吉田 ☆是歳 赤穂城跡本丸天守台の忠魂碑(赤穂中学出身の大東亜戦争戦没者)を赤穂大石神社に移築、赤穂霊舎として鎮祭す〔歴史〕。
昭和26 1951 辛卯 昭和 吉田
昭和27 1952 壬辰 昭和 吉田 ☆是歳 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、神社本庁より表彰を受ける〔歴史〕。
昭和28 1953 癸巳 昭和 吉田 ☆是歳 赤穂城跡大手隅櫓・高麗門復元される〔新義62〕。
昭和29 1954 甲午 昭和 吉田
鳩山一郎
☆是歳 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司、神社本庁より浄階位を授けられ、神職身分一級に昇進す〔歴史〕。
昭和30 1955 乙未 昭和 鳩山
昭和31 1956 丙申 昭和 鳩山
石橋湛山
☆2 赤穂城復興並びに義士尊像奉献奉賛会、建設終了の赤穂城大手門隅櫓・赤穂城大手城壁・赤穂城大手高麗門・隅櫓内陳列棚等一切を赤穂市長並びに市議会長宛に寄附採納を申し出る〔歴史〕。
☆9.16 三日月森俊成氏、死去。嫡孫利之氏相続す〔華族〕。
昭和32 1957 丁酉 昭和 石橋
岸 信介
昭和33 1958 戊戌 昭和 ☆是歳 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司長男精氏、明治神宮禰宜に任ぜられ、神職身分も二級となる〔歴史〕。
昭和34 1959 己亥 昭和 ☆8.15 三日月森俊成子爵夫人鑑子氏、没す〔華族〕。
昭和35 1960 庚子 昭和
池田勇人
昭和36 1961 辛丑 昭和 池田
昭和37 1962 壬寅 昭和 池田 ☆4 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司(旧赤穂藩士)の勤続奉仕50年・古稀・神社本庁表彰の祝賀会を大石神社儀式殿にて開催す〔歴史〕。
☆10.20 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司(旧赤穂藩士)病のため長男で明治神宮禰宜の精氏が大石神社禰宜を兼任。宮司の職務を代行す〔歴史〕。
☆11.2 赤穂大石神社飯尾巌夫宮司(旧赤穂藩士)死去す〔歴史〕。
☆12 赤穂大石神社故飯尾巌夫宮司著『大石神社鎮座五十年記念誌』上梓〔歴史〕。
昭和38 1963 癸卯 昭和 池田 ☆11.20 岐阜県兼山町の大龍山可成禅寺に所在する森家墓地町史跡に、「森長可画像」・「森長武・忠洪書状軸」、町文化財に指定される。同じく慈光山常照寺の妙向尼墓碑町史跡に、「妙向尼有髪・法体画像」二軸が町文化財に指定される。補陀落山大通寺所蔵「金山記全集大成」町文化財に指定される。
☆12.28 画家の長安雅山氏(元赤穂藩絵師長安周得孫)、東京杉並区の自宅で死去(89歳)〔赤16〕。
☆是歳 赤穂大石神社宮司職舎、改新築〔新義60〕。
昭和39 1964 甲辰 昭和 池田
佐藤栄作
昭和40 1965 乙巳 昭和 佐藤
昭和41 1966 丙午 昭和 佐藤 ☆7.1 赤穂大石神社、神社本庁別表神社(旧官国幣社)に加列〔歴史〕。
昭和42 1967 丁未 昭和 佐藤 ☆11.13 岐阜県兼山町の金山城跡、岐阜県史跡に指定される。森長可所用と伝えられる「金銅筒臑当」(兼山町歴史民俗資料館所蔵)、岐阜県有形文化財に指定される。
昭和43 1968 戊申 昭和 佐藤
昭和44 1969 己酉 昭和 佐藤
昭和45 1970 庚戌 昭和 佐藤
昭和46 1971 辛亥 昭和 佐藤 ☆3 文部省告示により赤穂城跡全体が史跡に指定される〔全義5、歴史〕。
昭和47 1972 壬子 昭和 佐藤
田中角栄
昭和48 1973 癸丑 昭和 田中
昭和49 1974 甲寅 昭和 田中
三木武夫
☆是歳 赤穂大石神社宮司職舎、新築される〔新義60〕。
昭和50 1975 乙卯 昭和 三木 ☆秋 兵庫県神社庁の庁舎(旧湊川神社宝物殿)を赤穂大石神社宝物殿の建物として使用すべく解体〔新義1〕。
☆11.5 赤穂大石神社義士宝物殿地鎮祭〔新義1〕。
昭和51 1976 丙辰 昭和 三木
福田赳夫
☆3末 赤穂大石神社義士宝物殿竣工〔新義1〕。
☆4.8 赤穂大石神社義士宝物殿開館〔新義1〕。
☆11.13 赤穂可久氏死去。可展氏が相続する〔華族〕。
昭和52 1977 丁巳 昭和 福田
昭和53 1978 戊午 昭和 福田
大平正芳
☆4.28 午前10時、赤穂大石神社に於いて大石邸長屋門復元工事地鎮祭執行す〔新義7〕。
☆5.8 大石邸長屋門に廊下続きで付属の茶室、大石神社儀式殿南庭まで移築り地鎮祭及び曳舞工事行われる[新義7]。旧赤穂藩庁玄関は儀式殿の一部に移築再建す〔新義7〕。
☆8.16 奈良県立美術館学芸員宮崎隆旨氏等、森可成所用甲冑撮影のため赤穂大石神社を訪問す〔新義8〕。
☆10.4 奈良県立美術館に於いて開催の特別展「戦国桃山名将よろい」展に森可成甲冑(兜大釘立)1領を出品す〔新義9〕。
昭和54 1979 己未 昭和 大平 ☆10.5 赤穂花岳寺(赤穂家菩提寺)住職片山伯仙師隠退並後任住職片山一良(牧仙)和尚普山式〔新義13〕。
昭和55 1980 庚申 昭和 大平
伊東正義(臨時)
鈴木善幸
☆1.8 赤穂城本丸隅櫓台桝形石積み解体復元工事地鎮祭執行される[新義13]。
☆是歳 赤穂大石神社宮司職舎、一部改築〔新義60〕。
昭和56 1981 辛酉 昭和 鈴木 ☆9 兵庫県立赤穂高等学校、赤穂城本丸跡から赤穂市東浜塩田跡地に移転す〔赤60〕。
昭和57 1982 壬戌 昭和 鈴木
中曽根康弘
☆是歳 兵庫県立赤穂高校の建物、赤穂城本丸跡から撤去される。
昭和58 1983 癸亥 昭和 中曽根 ☆是歳 赤穂城跡本丸発掘調査を開始。予備調査としてトレンチを行う。
昭和59 1984 甲子 昭和 中曽根 ☆7.2 赤穂城本丸跡発掘〔赤24〕。
☆是歳 兵庫県立赤穂高校移転。赤穂城跡本丸大池泉の全体と奥御殿の坪庭の池が検出される。赤穂城本丸跡天守台修復完成。
昭和60 1985 乙丑 昭和 中曽根 ☆是歳 赤穂城本丸跡調査。池泉部を中心とする本丸南半分を発掘する[全義5]。赤穂城跡本丸大池泉の復元工事始まる。
昭和61 1986 丙寅 昭和 中曽根 ☆7 財団法人赤穂市文化振興財団発足す。
☆8 この月より赤穂城本丸跡池泉工事始まる〔赤29〕。
昭和62 1987 丁卯 昭和 中曽根
竹下 登
☆12.14 整備中の赤穂城跡本丸一般公開〔赤31〕。
昭和63 1988 戊辰 昭和 竹下 ☆1.11 赤穂花岳寺(赤穂家菩提寺)前住職の片山伯仙和尚遷化す。
☆7.10 赤穂城跡本丸にて発掘説明会が行われる〔赤32〕。
☆12.14 整備中の赤穂城跡本丸一般公開〔赤33〕。
昭和64
平成元
1989 己巳 昭和
今上
竹下
宇野宗佑
海部俊樹
☆1.7 昭和天皇崩御。
★1.8 改元。
☆12.14 発掘調査中の赤穂城跡本丸一般公開〔赤35〕。