森(もり)

【概説】
森(主税)
森(釆女)


森(主税)

初代 森(〜)

2代 森(〜)

3代 森 万治2年()〜元禄16年(1703)

補遺 
広島



森(釆女)

初代 森対馬守可政 ?〜元和9年(1623)

☆森可行次男、可成弟。母は大橋和泉守重信女〔森可政系図伝〕。
☆生誕年には永禄3年(1560)・4年(1561)の両説あり〔森可政系図伝〕。
☆九一郎、宗兵衛、内記、従五位下対馬守〔森可政系図伝〕。
☆天正10年(1582)、武蔵守長可と不和となり森家を退去。豊臣秀吉に仕える〔森可政系図伝〕。
☆朝鮮の役では釜山城攻略に参戦 〔森可政系図伝〕。
☆慶長5年(1600)、徳川家康に仕え、従五位下対馬守に叙任。3300石〔森可政系図伝〕。
☆慶長17年(1612)、森忠政の願いにより美作へ趣く。家督は嫡男重政・次男可澄に譲る。11月5日、忠政より5000石を拝領し、津山藩執政となる。美作倉敷城城代〔森可政系図伝〕。
☆元和5年(1619)6月9日、広島城請取につき武具の用意を忠政より命ぜられる〔森可政系図伝〕。
☆元和9年(1623)6月16日、京都に於いて没。法名「竹林院殿前對州大守普隠賢公大居士」、墓所京都東山建仁寺常光院〔森可政系図伝〕。
☆妻は蒲生氏郷家臣高木左吉政清女(慶長17年5月11日没、栄光院殿妙胤禅定尼)〔森可政系図伝〕。

2代 森釆女可春 文禄3年(1594)〜慶安4年(1651)

3代 森宗兵衛三信 ()〜()

4代 森釆女三隆 年()〜年(1703)

嫡子 森左膳可豊

5代 森左門長生

6代 森矢柄可直

(一時断絶)

7代 森宗兵衛三益

8代


初代 森 (〜)

2代 森 (〜)

3代 森  年()〜年()