森家大系図 蘭丸の項(赤穂大石神社 所蔵) |
森家の系図。1冊。森家の系図のうち詳細なものの一つ。内容は清和天皇から幕末にまで及び、近代の御当主については後の加筆である。成立は幕末頃と考えられる。
「大系図」の成立は幕末頃と思われるが、編纂は「大系図」中森可行の項に「臣村上光博謹按」とあることから赤穂藩主が家臣に命じて編纂させたものと思われる。つまり藩撰による系図である。
表紙には「森家大系圖 赤穂神社事什物」と大書されている。赤穂神社は明治12年(1879)以後の名称であり、それ以前は三霊祠であるから、表紙はこれ明治になってからの加筆である事は間違いない。本史料冒頭には「森家系」とあり、同内容の系譜が赤穂花岳寺に所蔵されている(『兵庫県史 史料編近世一』所収)。従って本史料は「大系図」ではなく、「森家系」というのが原題であったと思われる。
「大系図」前半は「詳書于森家先代実録」という文言が出てくるので、赤穂藩森家編纂の家史「森家先代実録」以後の成立だろう。『寛政重修諸家譜』等既に知られている森家の家譜類では当主以外の子女の記載については詳細ではないが、「大系図」はこれについても詳細に記載されている。
ところで、赤穂藩森家藩撰の家譜に「森家譜」、「続家譜」がある。これは「森家先代実録」よりも成立が古い。「大系図」(または「森家系」)はこの2点の家譜との文言の一致もみられることから、本史料はこれら家譜及び「森家先代実録」を適宜抜粋し、更に後代を増補して作られた可能性がある。
また分家の播磨三日月(乃井野)藩森対馬守長俊の項には「系在別」の記載があり、家老森縫殿家(森家一族)の系譜についても「賛張(森縫殿)系末記」とあるので、本系図は当初、分家の系譜も網羅する予定であったと思われる。しかし、現存する「大系図」は赤穂藩主家の系譜のみしか記されていない。つまり「大系図」は未完成であった可能性が高い。さらに「大系図」の忠典・忠儀の一部、忠恕・可久の項は近代の加筆である。「大系図」最後の忠徳の項の安政5年以後については花岳寺所蔵「森家系」の方が詳細である。このことから本史料は「森家系」の草稿あるいは写と考えられるのである。
[所蔵]赤穂市 赤穂大石神社所蔵。
閲覧→大石神社宝物殿に展示
[刊本]佐藤誠校訂『森家大系図』(平成18年、森家史料調査会)、吉田幸一編『長嘯子新集 上巻 史料篇』(一部、1993年、古典文庫)
【参考文献】佐藤誠「森家大系図解題」(佐藤誠校訂『森家大系図』所収)
(Bkooishi-ten3/2005/9/18、2015/10/15改訂)