赤穂藩士柴田家(50石)に伝来した文書。総数は29件43点。
柴田家は代々赤穂森家家中で、幕末期の当主谷右衛門が大目付・宗門奉行などを勤め、谷右衛門の子吉治郎は御側頭などを勤めている。谷右衛門は周と改名して明治初年は赤穂藩少参事を勤めている。
本文書は赤穂歴代藩主の宛行状や藩庁からの召状が主体を占める。特に宝永3年(1706)に赤穂城が森長直に与えられた際に永井家から森家に引き渡された「播磨国赤穂城附武具帳」(写)は赤穂森藩初期の史料として貴重である。
また、歴代の藩主とその一族から拝領した和歌・俳句などを巻子に表装した「森家歴代墨跡巻」や赤穂藩主森忠敬の「茶カフキ記録」など、赤穂藩主の文芸を知る史料もある。
本文書群の中には親戚の西川家から預けられて現在に至る文書(赤穂藩主より西川家宛宛行状)や、紀州藩士出嶋家関係の史料もある。出嶋家のものは何故、本文書群にあるのか不明である。
本文書群は大半が幕末期のものであるが、赤穂森藩を知る史料として貴重である。
[所蔵]東京都 柴田耕一郎氏
☆閲覧について→平成17年(2005)から森家史料調査会によって調査中が行われ仮目録を作成したが、未だに閲覧に供する段階ではない。しかし、所蔵者たる柴田氏がいずれは研究に利用して貰いたいとのご意志であるので、研究に供しながら保存すべく方法を講じている最中である。
[刊本]なし
【参考文献】森家史料調査会編『赤穂藩士 柴田家文書 仮目録』(平成18年、森家史料調査会)
(008/2006/09/02)