赤穂藩重臣森衛守正賀が編纂した赤穂藩重臣森縫殿家の家史。乾坤2冊からなる。成立は文化8年(1811)11月。
森正賀は森可成の弟對馬守可政5男河内正次を祖とする赤穂藩重臣縫殿家の当主で、正賀と子の縫殿賛張も「森家先代実録」の編纂に携わっただけでなく、自らも自家の文書を参考として「先代実録」編纂の用に供した。
本史料は縫殿家の文書を集めて編纂されたもので、内容は祖の正次の時代の元和9年(1623)から、元禄10年(1697)の4代縫殿正典浪人までを記す。そのため、伝来の津山藩主から拝領の知行宛行状・森家一族よりの書状類などを多数収録する。数少ない津山藩の史料として貴重である。
成立の文化8年は春に「先代実録 補遺」が完成した時期であり、正賀自ら「先代実録」の編纂に参画していたこともあって、その影響が多い。正賀は対になる系譜として「森可政系図伝」も編纂している。「可政系図伝」の方が成立が少し早いが、もともと縫殿家には「対馬守可政略系」という系譜があった(「先代実録 巻第一」引用書目)。「系図伝」はそれを整理し直したもので、本史料はそれに付随して自家の記録として編纂したものといえよう。
本史料は縫殿家の末裔森正積氏(当時兵庫県赤穂郡尾崎村住)蔵本を明治21年(1888)東京帝国大学の重野安繹が採訪し、24年(1891)3月に謄写を完了した。
[所蔵]謄写本→東京大学史料編纂所架蔵
[閲覧の有無]可(要事前申請)。
[刊本]なし
【参考文献】岡山県史編纂委員会編『岡山県史 25巻津山藩文書』、「森家先代実録 巻第一」(新見本)。
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