----- クロースリィ
ジャーっと派手な音をたててフライパンから湯気が立つ。 野菜をしゃきっと炒めるにはやっぱり火力は強くないとね。食器乾燥機に反対して、ガスレンジを買い換えて良かった。つくづくそう思う。 元々嫌いじゃないこともあって、レパートリーはかなりの数になる。 だけどあの人がいたらこんなことしているだろうか、それは疑問だ。 「ちょっと出掛けてくるわ」 突然、彼がキッチンにひょこっと顔を覗かせた。 「コンビニ?」 「うん、コピーしなきゃなんないものあるから」 「じゃあ、ついでに牛乳買ってきてよ」 「オッケー」 ご自慢の我が息子は父親似で背が高い。中学を卒業する頃に抜かれてしまって以来、首が痛くてしょうがない。それから母親似のあの目。ネコみたいよね、とたれ目がちの妻は楽しそうに笑っていたっけ。 ほんと、笑っちゃうくらいに彼はあの人達を思い出させる。 お利口さんなのに寂しがりやなところも。 そして、そんな彼があの子を選んだのも。 「秋良、暇でしょ? ついてきて」 だいぶ目立ってきたお腹を俺の鼻先に突き出して、純は一言そう言った。 「…どこへ?」 「龍司さんのガッコ」 「はあ?」 徹夜の麻雀で、すっかり身も心も財布の中身もグロッキーになっていた俺は布団の中から純を見上げた。 「…なんで」 「忘れ物届けに行くの」 「一人で行けよ…」 また布団の国へ戻ろうとしたら、掛け布団をめくられて阻止された。目を細めて睨み付けたけど、そんな程度で屈するような女じゃないのは先刻承知の上だ。 「ああん、身重の体で道中、何かあったらどうしようー」 「あるワケないだろ、いい運動だ、頑張れ」 「てゆうか、ホントについてきてよっ。遠いんだもん、不安なんだもん」 珍しく弱気な口調だ。強気な態度はそのままだけど。 結局俺はこのハトコ殿に弱い。俺の彼女の『お義姉さん』という身分になってからは、ますます俺の立場は悪くなった。加えて妊婦の今はそれはもう最強と言ってもいい。まさにキング・オブ・妊婦。いや、クイーン・オブ・妊婦か。 まだタバコの煙の匂いと、じゃらじゃら響く牌の音が取り憑いた頭を押さえて、俺はしぶしぶ起きあがった。 「だいたい、忘れ物って何」 純は鞄から一枚のフロッピーディスクを取り出した。 「コレがないと、今度発表する論文が書けないんだって。今日からまた研究室に詰めるから」 「へぇー」 友達から借りた車を走らせながら、あくびをする。純が俺を引っ立てる本当の目的は『足』なのだと今更ながらに悟った。確かに、朝のラッシュは過ぎているけど、次の電車までの間が長い昼の時間帯で、何度か乗り換えを必要としなくちゃいけないのはしんどいかもしれない。しかも今日も溶けそうなほど暑いし。 「で、ソレは今どのくらい?」 「6ヶ月。もうね、動くんだよ」 「へぇー。ちょっと触らせて?」 信号待ちで止まったときに、助手席の純のお腹に手を伸ばした。 「秋良…、ソコは胃だから」 「……失礼」 いるのはここだよ、と純が俺の手を掴んでずずっと下の方へ導こうとする。うわっ、ウソだろ、マジで? そんなところにいるならもっと大きくなってからでいいです。端から見たらなんだかいかがわしいことしてるみたいじゃないか、冗談じゃない。慌てて手を引っ込めると純はなによと鼻を鳴らす。 「えーっと、名前はどうなったんだよ?」 慌ててアクセルを踏みながら話を逸らせる。 「三十郎にしたいんだけど、ダメだって」 「そりゃそうだろ。てか、女の子だったらどうすんだよ?」 「男の子だから」 「もう分かってんの?」 いいや、と純は首を振る。何なんだ、その自信は。 「龍司さんが、妥協して『椿』にしませんか、だって」 「へぇ、いいじゃん。俺も賛成」 まだ少し不満なのか口を尖らす純に俺は笑った。 「もし女の子でもそれなら問題ないだろ?」 「…何で龍司さんと同じこと言うのよ」 あたしは龍司さん似の男の子しか生まないもんね、と純は缶ジュースを一口飲んだ。 「なあ、純」 「なに?」 「幸せか?」 純は何を言い出すんだこの男はと言いたげに目を丸くした。 「分かりきったこと訊かないでよ」 「…そっか、そうだよな」 訊くまでもない。純を見てれば分かることだ。でも声に出して訊いてみたかった。理由は自分でもよく分からないけど。 大学に着いて駐車場に適当に車を止める。止めたはいいが、ばかでかくてどこに行ったら良いやら分からない。一口に学校といっても建物の配置は千差万別だ。ウチとは大違いだよなぁと純と辺りを見回す。 「すいませーん」 純はその辺を歩いていた学生を捕まえた。向こうはいきなり幸せオーラ全開の妊婦が話しかけてきて戸惑っているようだ。そりゃそうだろう。白地に水色のストライプのシャツワンピースに白くてつばの広い帽子という出で立ちは、避暑地の若奥様といった感じで場違いもいいとこだ。 さらに整った顔立ちから繰り出される、その格好にそぐわない艶やかな笑みが彼の戸惑いに拍車をかけている。ありがとうと純が礼を言ったときには彼の頬はぽーっと赤く染まっていた。 「秋良、わかったよ」 ニヤニヤしながら純はこっちに戻ってくる。自分で自覚してそれを利用してるんでなければ文句はないんだけど。俺は呆れたように目を細めた。 龍司さんの研究室があるという建物まではそう遠くなかった。建物自体が薬品の匂いを発しているみたいだ。ぷーんと漂う独特の匂いに純は顔をしかめた。 「龍司さん、よく平気だなぁ」 「現像液の匂いに比べりゃマシかな、俺は」 「ああ、アレもクサい」 廊下を歩いていると、不意に一室から白衣を着た女の子が出てくる。俺と純に気付くとその子はどなた? と言いたげに眉をひそめた。 「あの、蝦沢龍司の所属する研究室はどちらでしょうか?」 しおらしく純はその子に尋ねた。龍司さんの名前を出した途端、その子の表情が強張った。もう一度、どなたでしょうかと刺すような目線に、純は蝦沢の妻です、と微笑んだ。 「…この廊下の一番奥です」 純が身の上を明かしても表情は変わることなく、その子はその場から立ち去った。 龍司さんにはなにかあるんだろうか? 訝しげにその子の後ろ姿を見送っていると、純の呼ぶ声がして俺は慌てて振り返った。 「うわ、ありがとう。ホントに持ってきてくれたんだ」 龍司さんはぽかんと俺らを見つめながら椅子から立ち上がった。 「ドライブがてら、来たの。ここ広いね」 何がドライブだ。叩き起こして無理矢理連れてこさせたくせに。だけど、龍司さんはそんなのお見通しなんだろう。俺に向かって大変だったでしょう、と同情的な笑みを浮かべる。 そんな俺らの関係はなんなのだと言いたげに同室の人たちは遠巻きに見つめている。 「あ、僕の奥さんの純です。それから彼女のハトコの北野秋良君」 途端に小さなどよめきが起きる。コレがあの噂の、といった様子でみんなの目が見開いている。 「蝦沢さん、マジっすか、奥さんこんな可愛かったの?!」 「てっきり蝦沢さん落とすくらいだから年上の百戦錬磨の強面美人かと思ってた」 「ちなみに、そのお腹は…」 「出来ちゃった婚てホントだったんですね」 みんなが口々にまくし立てるけど、龍司さんはそれらを笑ってやり過ごしている。 まあ年上ってのを除いてほぼ当たっているのだから、ここは笑うしかないだろう。ていうか、俺も笑いたくなってきた。純ただ一人、状況を把握できずにみんなの顔をきょろきょろと見つめている。 「ま、取り敢えず座って休んで。いま多佳子(たかこ)が買い出しに行ったばかりだけど、すぐ戻ってくると思うから」 それって、さっきすれ違った女の子だろうか。そう思いながら辺りを見渡す。 俺には縁のない世界だ。遺伝子がどうのこうのなんて、高校の生物で習ったきり。エンドウ豆の優劣がうんたら、ということしか記憶にない。龍司さんは子供のこともあって就職しようとしたらしいけど、純が反対してこのまま助手としてここに残るらしい。 普通、逆じゃないのか? 全くもって純の考えることは分からない。 しばらくすると、俺の予想通り、コンビニ袋を下げて戻ってきたのはさっきの女の子だった。 「多佳子お帰り。ねえ、蝦沢さんの奥さんの純ちゃん!」 「ええ、知ってるわ。さっき会ったから」 彼女はコンビニ袋をテーブルの上に置くとにこりともせずにそう答えた。 ジュースとお菓子をつまみながら談笑していると、龍司さんが俺にそっと話しかける。 「純は?」 「さっきトイレに行きたいって言ってたけど?」 確かにそう言って席を立ったけど、けっこう経っている気がする。 「トイレで気分でも悪くなったかな。ちょっと様子見てくる」 龍司さんは何か思惑を巡らしたかと思うと席を立った。思わず俺も立ち上がった。 「どうしたの?」 キョトンとするみんなを後目に龍司さんはトイレだよ、と笑っただけだった。 静かでほんのりと薄暗い無機質な廊下を龍司さんと歩く。女子トイレはこの階にはなくて下の階に下りなければならないらしい。 「…俺、ついてってやりゃよかったかな」 「大丈夫だよ。案外けろっとした顔で出てくるところに出くわすかも」 「あの…、多佳子サンて人」 両手をジーパンの後ろポケットに突っ込みながら俺はおずおずと切りだした。 「なんかあったんですか」 龍司さんは目を見開いた。ああ、やっぱりなと思っていると、髪を撫でるようにして後頭部を掻きながら龍司さんは口元を緩めた。 「昔ね、つき合ってたことがあるんだ」 だからなのか、彼女が純に鋭い視線を投げたのは。 「でも突然別れ話を切りだされてね、何なんだと思ってたら、ある日彼女の手には婚約指輪が光ってた。家が旧家で許婚がいたんだってあとから聞いてね」 淡々と龍司さんは語る。 「でも彼女は幸せそうじゃなかったな。望んだ相手じゃないからなんだろう、今もまだずるずると婚約期間を引き延ばしてるみたいだし。そのうちに僕は純と結婚しちゃったからね」 「…龍司さんは、その時奪おうとか思わなかったんですか」 「奪うも何も、ことの顛末を知ったときには気持ちはすっかり冷めてしまったよ。そんな相手がいるならなぜ僕とつき合ってたんだろうってね。中高生の恋愛ならともかく、僕はそれなりに真剣だったから」 「…ああ」 俺は呟くように相づちを打った。純はこのことを知っていたんだろうか。 「純のことを気に食わないのは無理もないよ。元カノの立場からしてみれば」 そう言いながら龍司さんはうっすらと微笑んだ。そしてトイレのドアを控えめに叩く。 「純?」 耳を澄ますと中から微かに泣き声がする。龍司さんの顔つきが険しくなる。目が合って、俺は頷いた。 「開けるよ?」 龍司さんがドアを開ける。俺の目に飛び込んできたのは、一番奥で床に座り込んで真っ青な顔をして泣きじゃくる純の姿だった。 「秋良君、悪いけど救急車呼んでくれるかな」 そう言いながら龍司さんは純を抱え上げた。 「どうしよう、転んじゃったの、どうしよう」 純はずっとそればかりを繰り返していた。龍司さんは肩に顔を埋める純に頬を寄せて大丈夫だから、と言い聞かせていた。 俺まで転びそうになりながら、慌てて駆け出した。 ドアを開けるとみんな一斉にこちらに目をやる。尋常じゃない様子に部屋がしんと静まり返る。 「どうしたの?」 「純がトイレで転んだらしいんです。救急車呼ぶんで電話貸して下さい」 「あたしが呼んであげるわ」 みんな途端に蜘蛛の子を散らすように慌て出す。受話器を取る者、戻ってきた龍司さんに椅子を差し出す者、龍司さんに頼まれてスペアの白衣を取りに行く者。 白衣にくるまれても純の震えは止まらなかった。 ひっきりなしにどうしようとごめんなさいを繰り返す。 救急車が来るまで、そんな純を見守っているしかなかった。 やって来た救急車は純と龍司さんをさらうように、けたたましくサイレンを鳴らしながら走り去っていった。振り返ると多佳子サンが茫然としたように立っていた。 「あの、もしかしてなんかありましたか」 彼女はビクリと体を震わせた。 「何?」 「そう言えば純がトイレに立つ前にアナタも席外しましたよね」 声を落として言うと彼女は俺を睨み付けた。 「だから?」 「いいえ」 俺は彼女から顔を背けると駐車場へ向かった。 安易な想像だ。もしかしたら彼女が、だなんて。 いっそ純のいたずらであって欲しかった。ホントはしゃがみ込んだだけで、龍司さんに構って欲しかっただけだったんだとでもいうような。 純は、純の三十郎は無事なんだろうか? 受付で教えられた部屋のドアをノックする。そっと戸を開けて中へ入ると、ベッドの脇に座っていた龍司さんが振り返った。 「純は?」 「大事には至らなかったみたい。様子を見るためにこのまま一晩入院するけど、転んだことによる精神的なショックの方が大きいんだって」 そりゃそうだよな、俺だって動揺したくらいだ。当の本人なら尚更だろう。思わずほっとして体の力がくにゃりと抜けた。 「心配かけてごめんね。明日、純のお母さんが迎えに来るそうだから」 「あ、それだったら俺このまま残って連れて帰りますよ」 「でも徹マンだったんでしょ?」 龍司さんはにやりと笑った。 「なんで…あ、いやぁ、そうですけど」 「疲れてるだろ? 秋良君は帰りなよ」 そう言って龍司さんは目を細めた。 純は眠っていた。泣きはらした目が痛々しかった。眠りながら龍司さんの手をしっかりと掴んでいる。 控えめなノックの音が聞こえて俺と龍司さんはドアの方に目を向けた。するりと入ってきたのは多佳子サンだった。龍司さんの顔から笑みが消える。 「…あの、具合は?」 「大丈夫だよ。わざわざ来てくれたんだ、ありがとう」 「お礼なんか言わないで」 多佳子サンはドアの前で後ろ手にしながら言った。 「あたしが突き飛ばしたの」 「え?」 「あんまり幸せそうな顔してるからムカついたの。そんな子に寝取られたんだと思うと…」 「君から一方的に終わらせたんだよ?」 龍司さんは低い声で言った。 「僕に当たるのは構わない。でも純は関係ないでしょう」 「…どうしてその子なのよ」 「君ははなから僕を選ぶ気なんてなかったんだろう」 「だってしょうがないじゃない」 彼女は唇を噛んで俯いた。 「君にも選択権がないなら何で僕を本気にさせるような…」 そこまで言うと龍司さんは溜息をついた。 「つまり君は遊びだったんでしょう?」 彼女は心外だとでも言いたげにふっと顔を上げた。龍司さんは彼女を真っ直ぐ見据えた。 「理由は何であれ、君の言うことが本当なら今回のことを許す気はないよ。悪いけどもう帰ってくれないかな」 彼女は黙ったまま龍司さんを見つめていた。やや間があって、純の方を見つめたきりチラリともしない龍司さんから逃げるように去っていった。 二人のやりとりの間、俺は身を縮こませながら椅子に座っていた。二人の見えない壁に挟まれて押しつぶされそうだった。ぴりぴりとした空気がいたたまれず、俺の方が逃げ出したい気分だった。 ふと、純が『転んだ』としか言わなかったことに気がついた。多佳子サンの言っていたことが本当なのか、純の言っていたことが本当なのか。事実は分からない。二人がトイレで会話を交わしたのかどうかすらも。 きっと純のことだ。多佳子サンのことに触れてもきっと『転んだ』のだと言い張るんだろう、純はそういうヤツだ。 どういう意味でごめんなさいと言っていたのかも、何となく想像できる気がした。 「龍司さん、みんなは純のことを百戦錬磨なんて言うけど、全然そんなことないから。掃いて捨ててるように見えるだけで、いつも傷付いてばっかで、それでも求めることを止めようとしなくて、本当は…」 「秋良君、大丈夫。分かってるよ」 俺は純に代わって弁解するように呟いていた。穏やかな声で遮られて我に返る。龍司さんは純の手を包み込むようにそっと撫でながら言った。 「だからこそ、僕は純ちゃんを選んだんだよ」 ああ、そっか。 そうだよな。 そんなこと俺が今更言わなくてもこの人は純を見抜いているんだ。 だから純も自虐的な恋愛に終止符を打ったんだ。 「…秋良君、沙苗でほんとにいいの?」 はい? と顔を上げると、龍司さんは純を見つめたまま静かに言った。 「本人から知らされてると思うけど」 「…ああ、分かってます。いいんです」 「子供は無理なんだよ?」 それはつまり、事故とはいえ今こうして龍司さんが純の手を取るようなことを、俺が沙苗さんにしてやれる日は永遠に来ないってことだ。頭では理解しているけど、こうして言葉にされるとがつんと後頭部から一撃を食らったような気分だった。 「秋良君、長男なんでしょう? ご両親と揉めたって聞いたけど」 「揉めたのは彼女との結婚だけが理由じゃないですから」 「君の負担は大きいと思う。だけど、沙苗を幸せにしてあげて欲しいんだ」 俺ははい、としか答えることができなかった。 「きっと今まで生きていられることに精一杯で、ごく普通に幸せな家庭が築けるなんて露ほども思ってなかっただろうから」 その時初めて、一気にいろんなものが俺の肩に大きくのしかかってきたような気がした。気管がきゅうっと締め付けられるような感覚に襲われた。 俺は本当に彼女を幸せにすることが出来るんだろうか。 彼女の寿命はもう長くはないなんて。 俺が彼女を看取ることがもう既に決まっているなんて。 だけど、それでも俺は沙苗さんしか選べなかった。 そしてその選択は正しかったと思う。 「ただいまー」 美哉ちゃんからもらったんだというボーダーのマフラーを外しながら、息子殿はテーブルにコンビニ袋を置いた。どすんと重みがテーブルに響く。 「なんか牛乳以外の物も入っているのは気のせい?」 「ああ、気のせい」 椿はがさがさと袋を漁ると珍しく漫画雑誌を掴み出す。 「お皿出してー」 「でかいヤツ?」 椿が差し出した皿にざっと八宝菜を盛りつける。 「ほらね、やっぱ火力が違うと違うんだよ」 「まだ食ってないのに」 「何言ってんの、見た目からして違うでしょ」 ふーん、と彼はそっけない。冷蔵庫から缶ビールを二缶取り出すと、了解を得るようにニッと笑った。 ぷしゅっと音を立てると乾杯、と缶を打ち鳴らす。 「勉強はもうおしまいなの?」 「だってあとは結果待ちだもん。する事ないよ」 そう言いながら料理を口に黙々と運ぶ。 「なにも国立しか受けないなんて無謀なことしなくても」 「めんどくさいし、いいよ」 「別にいいのに。どこで何しようと」 その辺の話になると、彼は少し不機嫌になる。彼が予想外に勉強が出来てしまうのは、龍司さんの遺伝子以外にも純がすっ転んだことも要因に含まれてるんじゃないだろうか。急にそんなことを考える。 「なあ、椿」 「なに?」 「幸せか?」 椿はいきなり何を言い出すんだと言いたげに目を丸くした。 「分かりきったこと訊かないでよ」 あの時の純と同じ顔をして、目の前の彼はそう答えた。まさか同じ答えが返ってくるとは思わなくて面食らった。 「…そっか、そうだよな」 「へんなの」 苦笑いをした俺に、椿はぼそっと呟いた。 「ああ、やっぱガスレンジにしてよかったかもね」 - 終 - Copyright (C) 2003 Mutsu Kisaka All Rights Reserved. |