----- 汝の罪人を愛せよ >>> 10 両親は胡散臭げに名刺を見つめていたが、それでも妃奈子が事件に関して初めて自分からアクションを起こしたこともあって、思ったよりはあっさりと承諾した。事件以降、すっかりふさぎ込んでしまった娘が以前のように明るくなるなら、という期待も多少はあったのかもしれない。 ◇ ◇ ◇ 幸は所轄の刑事と共に資料を前に、聞き込み捜査への準備をしていた。加東と組んでいる、定年間近の前田がお茶を幸の前に置く。 「ああ、どうも」 前田は加東が席を外しているのを確認してから幸の横に座る。 「こないだはうちの加東がなんかやらかしたようで」 「あー…」 曖昧な返事を返すと前田は苦笑した。 「悪い子じゃないんだよ。ただ熱意が空回りするタイプというか。最初は妃奈子ちゃんにもマメに会いに行ったりしてたんだけどねぇ」 「…信頼を得ることが出来なかった、と?」 「まあ、そんなところだな」 幸は資料に目を通したまま、ふっと笑った。 「確かに、及川妃奈子はもともと人見知りするタイプが輪を掛けて人間不信になってるって感じですしね」 「保苑君はどうやって?」 加東と同じく不思議そうな顔をする前田に、幸は首の後ろをかりかりと掻きながら困惑したような笑みを浮かべた。 「それが俺自身よく分かんなくて。たまたま気に入られたっていうか…。彼女なりに何かあるんでしょうけど」 「ははぁ、じゃ動物や子供に好かれるタイプだろ?」 前田がにやにや笑いながら言った。幸はしばらく宙を見上げて、ああそう言えばと呟く。役得だな、と前田は言うと席を離れた。 役得ねぇ、と幸は資料に落としかけた目線を引き上げてぼんやりと思った。言われてみれば妃奈子の懐き方は動物や子供のそれと近いものがある。この間の妃奈子の必死に訴えかける眼差しが思い浮かんだ。 『本気で人を好きになったら、って』 つまりはまともに恋愛経験はないということだろう。妃奈子の言いたいことは分からないでもないが、あれでは卵から孵ったヒナが初めて見たものに懐くのと同じだ。せいぜい中高生の頃にありがちな、恋未満の”憧れ”というやつだろう。幸はそう結論づけた。 だいたい、俺が幾つだか知らないであんなこと言ったんじゃないのか? 一回りも離れてると知ればあっという間に覚めるのがオチだ。 何となくいらだちを覚えて幸は立ち上がった。そのまま部屋を出て廊下の自販機へ向かう。紙コップに入れられたコーヒーを取り出すと一口飲んでからタバコに火を付けた。 「保苑さん」 呼ばれて振り返るとそこには加東がいた。 「この間は済みませんでした。あれからこちらにはいらっしゃらないので…」 「別件の方に進展があってばたばたしてたんで」 目を合わせず淡々とタバコを吹かす幸を、加東は伺うように見上げる。 「どうしてこの事件に…」 一度ためらうように言葉を切ってから、再び加東は口を開く。 「どうしてなんですか。あなただったらもっと大きな事件が…」 「事件に大きいも小さいもナイでしょ」 「そうですけど。何も掛け持ちまでしてあなたがやる仕事だとは思えません」 幸は加東の方を振り向いた。 「噂で耳にしただけです。捜査一課でも群を抜いて優秀だって」 「そういうどうでもいいことには目ざといんだな」 皮肉を込めた幸の言葉にも怯むことなく加東は続けた。 「どうして捜査一課以前の経歴がないんですか?」 「ナイ? そんなことはないよ」 「いいえ、ありませんでした。何があったんですか」 「別に何も。ごくごく普通に任務をこなしてただけだ。毎日、決められたとおりに、ルーティンワークを繰り返してた。それだけだよ」 幸はコーヒーを飲み干すと歩き出す。加東はその後をついていく。 「そんな、所属は…」 「俺のことはどうでもいいじゃないか」 「彼女にこだわる理由はなんなんですか」 「理由?」 幸は立ち止まった。 「聞けばあなたは裏で手を回してこの件に…」 「それこそほんとにどうでもいいだろ」 吐き捨てるように幸は言うと部屋へ入っていった。加東は足を止めたまま、眉をひそめるようにその後ろ姿を見つめた。 ◇ ◇ ◇ 「皮肉なことだけど、あたしも幸君もやってることは同じなのよね」 「何が?」 「罪を犯した人について、裁いたりは出来ないの」 そう言うと鞠子はカプチーノを一口飲んで溜息をついた。 幸はハッと笑って窓の外を見る。 「ヤなこと言うよな」 コーヒーショップの二階からの景色は慌ただしく行き交う人の群ばかりだ。妃奈子が来たと連絡を受けて飛んで来たのはいいが、鞠子が患者について具体的なことを言うはずがなかった。どちらにしろまだ何も分からないままだと鞠子にへらっと笑われて、幸は一気に力が抜けてしまった。 「彼女は被害者だったんでしょう? なぜあんな風に罪の意識に苛まれる必要があるのかしらね」 「それが分かりゃこっちも苦労しませんて」 幸はタバコを取り出しかけたが、店が禁煙だったことを思い出して軽く舌打ちをした。 「記憶はないのに、漠然とした罪の意識だけが居座ってるみたいよね。それが何に対しての罪なのか分からないから、あんなに過剰になってる気がするんだけど」 「兄ちゃんを犠牲にしただけ、ってわけでもなさそうなんだけどな」 「そうなの?」 「いや…なんとなく」 そう言いながら幸は時計に目をやって深々と溜息をついた。 「悪い、そろそろ行かなきゃ」 「あら、そう言いつつ行きたくなさそうね」 幸は片方の眉をぴくりと上げる。 「深い意味はないわよ?」 ほんとかよ、と呟きながら幸は上着を手にした。 「使えない人と仕事するのはそれだけで疲れるってだけ」 「毒吐くってことは相当なのね」 「興味を持つのは事件だけにしてくれりゃ楽なんだけど」 「じゃあ今の相棒は女性か」 くすりと笑う鞠子に幸は立ち上がった。 「ああ、だからホントに悪気はないんだってば。いつものことでしょ?」 「そういうとこばっか冴えてるとダンナも大変だろうな」 「失礼ね、まだアツアツの新婚なんだから」 「ハイハイ、ダンナによろしく」 幸は苦笑しながら片手を挙げると店内の階段を駆け下りた。 Copyright (C) 2002 Mutsu Kisaka All Rights Reserved. |