----- ラブリー >>> 16 いやぁ疲れた疲れた、と荷物を下ろしながら親父は朗らかな顔で言った。そのわりに全然疲れてなさそうな様子で、で? と俺の顔を見つめる。 「で? とは?」 「留守中、なにか進展はあった?」 いったい何の進展だよ。俺は顔をしかめた。 美哉に気持ちを訊けば訊くほどこじれてる感じがする。焦ってばかりで気持ちが空回りしている気がして仕方がなかった。 ここ最近、べったりとのしかかっていて俺ばかりが依存している。そんな状態でいいのかと尋ねても、美哉はそれでいいとぎこちなく笑った。あんな顔して、それでいいと思ってるはずがないのは一目瞭然だ。本当はなにか言いたいことがあるんだろうに、肝心なことは言わずにただ静かに泣くだけ。何かを恐れているようにも見えた。 前は自分に無理をしてまで嘘をつくような奴じゃなかったのに。 なぜなんだろう? 糸は繋がってることを確認しておきながら、まるでそんな糸はもう存在してないような絶望的な目つきをする。抱きしめてみても苦しそうで、悲しそうで、こっちまで辛くなる。俺を求めているようでいて、かと思えば拒絶するように体を離す。 帰り際の美哉は、何かを吹っ切ろうとしているような感じだったし、目を合わせようとすることもなくよそよそしかった。 美哉の求めているモノは分からずじまいだ。こういうときに、本当に魔法の言葉でもあれば、効果は覿面(てきめん)なんだろう。 泣かせたいわけではないのに、泣かせてしまう。笑わせたいのに、上手くいかない。 なんて言ってやればいいんだろう? 「思ったんだけどさぁ。案外アルバムに写真があるんじゃないの? ほら、例のホニャララナントカさん」 「モリタタカコ?」 「そうそう、その人」 ご近所さんならスナップとかあるかもしれないし、とソファに寝転がる親父を横目で見つつ、そうかもね、と俺は答えた。 「あれ、もしかして解決?」 「いいや」 相変わらず、有馬由宇香にはつきまとわられてるし、両親とどういう関係だったのか分からないままだ。だけど、さっきの美哉のことに比べれば、そんなことはどうでもよかった。 「そういや久しく見てないんだよね」 何が? という顔をしたら、君の父上と母上だよ、と親父は手を頭の後ろに組みながら笑う。 「それに、そろそろ命日でしょ」 「…うん」 「虫干しがてら、引っぱり出してよ」 「虫なんていないよ」 それは言葉のあやです、と親父は目を細めた。 「いなくても、ほこりかぶってるっしょ」 「…近いうちに出すよ」 そう答えたけれど、本当に出すかどうかは微妙。たぶん出さないままだろう。今はそんなことよりも美哉のあの顔が頭から離れなかった。とにかく、何とかしたかった。せめて美哉の気分が晴れてくれれば。 キッチンの方へ行きかけて、俺は親父の方を振り返った。 「ねえ、魔法の言葉って何?」 「は?」 ソファの背もたれの向こうから間抜けな声がして、親父がひょこっと上半身を現す。親父は何のことを言ってるんだと言いたげにぽかんとしている。 「だから、この間言ってただろ」 頭をばりばりと掻いていると、親父は目を丸くしたまま、ああと答えた。 「まだ考えてたの?」 「悪い?」 親父はちゃんと起きあがり直して俺の方を向くと、悪いと一言のたまった。カチンと来たけど反論は出来ない。 「恋愛に関してとやかく言えた義理じゃないけどさ。君はとても両親の血を引いているとは思えない」 いや、引いてるからそうなのか、と天井の方に目を向けた後に親父は言い直した。 「どうせ美哉ちゃんとケンカでもしたんだろ」 腹立つくらいに鋭いところを突いてくる人だよな。俺は眉間にしわを寄せた。 「ケンカじゃないけど、言動がおかしい」 「だから、あれだよ。ホニャララナントカさん絡みでしょうが」 頬杖を突きながら、溜息混じりに親父は言った。 「美哉は関係ないよ」 「見ず知らずの女の子にずっと付きまとわられてるんでしょ?」 それは美哉も知ってるし、突っぱねても向こうが勝手に付きまとってくるんだからどうしようもない。俺だってこれ以上関わり合いになりたくないのに。 「不安に思わない彼女はいないよ。どうせ君のことだから、思ってることの半分も言わないままなんでしょう? 美哉ちゃんをおかしくさせてるのは自分」 「それは分かってるよ」 「分かってるならちゃんと言いなよ」 「だから、何を」 「気持ちを」 まじめな顔をしてそう言いきった親父を見た。口を開いたけど、すぐに言葉が出てこない。俺は息を飲んだ。 「気持ちって…」 「どっちから先に何を言ったかは知らないけど、まともに好きの一言も言ってないんでしょうが」 そういうことか。 目を見張る俺に、親父は呆れたようにソファに再び寝転がった。 「君はねぇ、身内相手だと言葉足りなさすぎ」 悪かったな。だけどそうさせる要因は、足りなくても充分すぎるくらい勘のいい親父のせいだ。小さい頃はどうして他人は物分かりが悪いんだろうと不思議でしょうがなかったけど、他人が悪いわけじゃない。親父が分かりすぎるのだ。 まだ言葉を知らなくて、母さんに自分の言いたいことの説明が上手くできなくて癇癪を起こしてしまったときも、親父なら上手く気持ちを汲み取ってくれた。 「そりゃ、美哉ちゃんは小さい頃から一緒にいるから、君のことは他の子に比べたらよく分かってる方だけどさ。とは言え恋愛となると話は別なんだからね」 晩飯の用意を始めながら、ソファの向こうから飛んでくる痛い言葉を聞く。 「で、今日のメニューは?」 「麻婆豆腐」 「またぁ?」 ブーイングは無視してフライパンを取り出す。 つまりは、そういうことか。 美哉には俺の気持ちは伝わってないってことか? まったくってことはないはずだ。 いや、実は違うんだろうか。 ごちゃごちゃと考えているうちに、炒めた挽肉へ豆腐を放り込んで、麻婆豆腐もごちゃごちゃと出来上がっていく。 「あれ、なんかこないだと味が違う」 親父が不満げに呟いた。 美哉の作り方を真似て作ったはずなのに、なぜか同じにはならなかった。 Copyright (C) 2003 Mutsu Kisaka All Rights Reserved. |