-----  ラブリー


   >>> 14



「なんじゃ、このノートっ」
 教室で隣に座った田仲(たなか)が、俺のルーズリーフを覗き込んで叫んだ。
「こんな単語だけの羅列で何を分かれ言うんや。お前やっぱおかしいって!」
 見せてくれって頼んできたのはそっちなのに随分な言いようだ。俺が見て分かるんだからほっといてくれ。後ろに座ってたヤツが、ちなみにほかの講義じゃどうなってんだ? と言い出した。勝手にルーズリーフをぱらぱらとめくってぎゃーっと声を上げている。
「ダメじゃあ、お前のノートは参考にならん…。こんなんで試験大丈夫なんか?」
「頭に入ってりゃ大丈夫なんじゃないの」
「…入っとるん?」
「一応ね」
 仕方ないから昼休みの間に飯代と引き替えにさっきの講義の説明をしてやると、出席してたはずの奴らまでが教授が言ってた意味がやっと分かったわ、と慌ててノート広げて書き込み始めてる。
 おいおいおい、田仲はともかく、ほかの連中は一年余分に勉強してここに来てんじゃないのかよ。
「悪かったなぁ、悔しいけど北野みたいな頭の構造してねぇんだよ」
 パックの牛乳をずずっと飲みながら、そんなもんなのかなと連中を見渡す。
「北野って勉強すんのが苦痛に思ったこととか、なさそうだよな」
「ない」
 はぁっとテーブルの向かい側でいっせいに溜息が漏れる。
「で、あの子とはどうなん? うまくいっとるん?」
 いつまで引いとるつもりなんや、と田仲がニヤニヤしている。あの子って? と訊くと、いつもお前を追っかけとる子に決まっとるじゃんか、とじれったそうに言う。
「押すつもりもないけど」
「マジで言っとん? あんなカワイイ子振る気なんか?!」 
「そんなに言うなら譲るよ」
 うーわーっ、殴ってイイ?! と拳を握られて、俺は目を細めた。
「だって、彼女いるし、乗り換える気もさらさらないし」
 頬杖をついてそう言うと、証拠見せろと騒ぎ出した。まともな顔の写真ないんだよなと思いつつ携帯に保存してある画像を漁る。ダメだ、ホントにろくなのがない。田仲は俺から携帯を受け取ると神妙な顔をした。
「かわいいけど…なんで寄り目にしとるん?」
「ミニモニの真似だって。よく知らないんだけど」
 確か一人で『美哉ちゃんでっす』とか言いながら写してたような気がするけど。ほかも見ていい? と返事も待たずに、みんなでダンゴになって俺の携帯に頭を寄せているのを、ぼんやりと見つめる。
「なんか普通にかわいく写ってんのがないな…」
 悪かったな。俺のを取り上げて勝手に写して遊んでんだよ。
「けど、この子もけっこうかわいいじゃんか。チクショー」
 俺のに勝手に保存していく分には構わないけど、なんで親父のにまで写ってたんだろう。あれは本人が勝手に写したんじゃなさそうだ。アホっつらしてなかったし。ったく、親父も油断ならないよな。あんなの撮ったなら俺んとこに転送しとけっての。
 この間のピアス選別事件がなかったら、そういうものが親父の携帯にあるってことを知らないままでいたのかと思うと冷や汗ものだ。参考資料としてヒトミちゃんにコレを見せようって言いながら、親父が美哉の写真を印籠よろしく俺らの前につきだしたときには、携帯を逆向きに折り返してやろうかと思ったけど。それを見て長谷川ヒトミはさらにテンション高くなるし、なんで女の子ってのは人の恋路を盛り上げるってことになるとあんな張り切るんだろう。
「うわぁぁぁぁぁ、なんだこれーっ!!」
 突然あがった叫び声に我に返って、何事かと立ち上がるとテーブルを挟んだ真向かいに手を伸ばした。田仲にするっとかわされて、舌打ちをする。
「お前、なんでこんなんがあるんや?!」
 俺の方へ向けられた画面を見て、なんだと安堵の息を吐いた。
「なんだ、って…なんで長谷川ヒトミとのツーショットがあるんや。合成じゃないんじゃろ?」
「親父の仕事場で撮ったんだよ」
 正確には強引に撮らされたと言った方が近い。
「お父様って何者?!」
「大馬鹿者」
「…つまらんギャグ言うなや」
「カメラマンだよ」
 早く返せと手をぷらぷらと振ると、田仲はようやく俺に携帯を渡した。
「紹介してっ」
「やだ」
「自分はちゃっかり利用しといてそりゃないじゃろ」
 利用って。それは俺のセリフだっつーの。だいたい今までそんな恩恵に与ったことなんて一度もない。ていうか、どんな仕事したとか教えてもくれないから与りようもない。
 まあ、訊いたことなんて一度もないけど。
「それはやんごとない事情で仕方なくだから」
 満面の笑みの長谷川ヒトミとは対照的に、引きつってる俺を見れば一目瞭然だろうが。実は華やかな生活をおくってる? という問いに俺は笑った。華やかもなにも、そんなものがまるでない父子家庭なのに。
「なんか北野って謎だよなー。おもしれぇ」
「はあっ?」
 呆れながら田仲がへらへらと笑うのを見ていたら、麻生を思いだした。このあっけらかんとした笑顔は似ているかもしれない。違う点は、麻生はほっといても女が寄ってくるという恵まれた男なのに対して、田仲の場合は常に女を追い求めては玉砕しているらしいということだろうか。見た目は悪い方じゃないし、けっこう良いヤツだと思うから、きっと飢えてるオーラが漲ってるせいなんだろう。
 ほんと、こいつさえ良ければ有馬由宇香あたり、のしくっつけて押しつけたいところだ。ずっと見かけるたびにカワイイって連呼してるし、それなりに上手くいくんじゃないのか。あの女もいい加減に親の恨みはとっとと忘れて、好きにすればいいのに。
 びびびっと携帯が短く震えて、メールを着信したことを知らせる。美哉からだ。『おじさん出張で一人ならご飯食べに来る?』という内容に、すぐに『行く』と打って返事を出した。昔は抵抗があったけど、最近は素直に厚意に甘えることにしている。美哉に会えるのに拒む理由もないし。
 美千代姉ちゃんに会えたのに、なんでずっと拒んでたの? と美哉に訊かれたことがある。不思議なことにあの頃、美千代姉ちゃんのことが好きだと思っていても、会いたいとは思わなかった。頻繁に顔を合わせることで、美哉に気持ちを知られたくなかったというのもあるし、何より美千代姉ちゃんの見たくない部分を見てしまいそうなのが嫌だった。
 実際、彼氏と電話で話してるのを見てしまった日にはそれなりにへこんだもんだ。
「なあ、彼女って、高校の頃からつきあってんの?」
「え? ああ、うん」
「あんな顔をお前の携帯で撮って遊ぶくらいだから、けっこう長いんだろ?」
 どのくらいになんの、と訊かれて俺は答えに詰まった。
「“彼女”になったのは一年弱、かな」
「それ以前は?」
「十…四年? 違う、十三年か」
 一同はぎょっとしたように目を見開いた。家が近所だから、と付け足すと、田仲は幼なじみってやつ? と目を輝かせた。
「すげーっ、俺、そういうのちょっと憧れとるんじゃあー。しかもそんなカワイイ子ならなおええよのー」
「でもさ、一年弱って、そういう関係になる前にお互い他のやつとつき合ったりしてたのか?」
「いいや、俺は特につき合ったりはしてないけど…」
 美哉もないはずだよな。だけど俺が美千代姉ちゃんのことを想っていたとき、美哉にはそういう相手がいたんだろうか。
 美哉はいつから俺のことを好きだったんだろう? もしかしたら、俺が美千代姉ちゃんのことでへこんだりしてたのと同じように、美千代姉ちゃんと話す俺を見て、陰で美哉もへこんでたんだろうか。だとしたら俺はずっと美哉を傷つけてきたことになる。しかも美千代姉ちゃんが結婚するときに至っては、慰めて貰ってたくらいだ。
 上手いこと気持ちを隠していたのか、それとも誰か相手がいたから平気だったのか。どっちにしろ、美哉の方が一枚上手だったことに変わりはない。
 そして唯一答えを出せるのは、なにも知らないでいた俺がバカだったってことだ。


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