----- ONE


    



 椿の家の玄関であたしは追いつめられたようにドアを背にして立っていた。
「分かった。今、もう一回わがままを言うから」
 椿が熱に浮かされたような瞳であたしを見つめる。
「キスがしたい」
 椿の手があたしの頬を包む。そのままゆっくりとキスをしてきた。
 あたしは目を閉じた。
 こんな椿は見たことなくて、あたしはどうしていいか分からない。いつも意地の悪いことばかり言ってて、あたしのことは女扱いしたことがないくらいだったのに。
 お姉ちゃんのときもこんな風にしてたの? そう思ったら手で椿の体を押しのけていた。
「イヤ?」
 不安そうな、だけど優しい声が耳元でした。あたしは首を振る。椿はあたしの顔を覗き込むように見つめる。
「美哉?」
 椿を見た途端に、不覚にも涙がぼろっとこぼれ落ちた。
「あー…、美哉?」
 椿があたしから体を引いて、腫れ物に触るみたいにあたしの両肩にそっと手を置く。
 ああ、ごめん、椿、違うの。そうじゃない。イヤなんじゃない。そうじゃなくて、そうじゃなくて。
「ごめん…」
 椿は困ったように小さく言った。
 あたしは首を振った。
 そうじゃないの。
「悔しいだけ」
 お姉ちゃんに先越されたんだと思ったら、すごく悔しかった。今までお姉ちゃんにこんな気持ちを抱いたことはなかった。今日のあたしはヘンだ。
 椿の胸に頭をごつんと押し当てる。頭を包み込むようにそっと抱きしめられて、椿の頬が頭のてっぺんに押し当てられる感触がした。あたしは椿にしがみついた。椿はそれに答えるようにあたしを抱きしめ返す。
 椿は無言であたしの腕を掴んで、玄関から二階へと導いていく。椿の部屋に行くのは何年ぶりだろう? 昔は床に漫画雑誌とかサッカーボールとか転がっていたような気がするけど。
 椿がドアを開ける。しばらく来ない間に、椿の部屋は本だらけの部屋に変わっていた。
「イタっ」
 椿に腕を掴まれたまま、あちこちに積まれた本につまづいてバランスを崩しかける。「ひと山崩すごとに罰金。これでもジャンル分けして置いてあるんだからな」
 振り返って椿が低く呟いた。思わず椿の顔を見上げたら、椿はいたずらっぽくふふっと笑った。かと思ったら顔色が変わる。
「え?」
 なんだろうと思ったときには一番大きな山のはみ出た本の一角に右の腰がぶつかっていて、あたしは前のめりに倒れ込んだ。椿が体を支えてくれたけど本は見事に雪崩を起こして、まるで天の川みたいに二人の間に割り込んだ。
「おーまーえーはー」
 椿は呆れたようにあたしを睨む。椿をじっと見つめたまま、あたしは澄ました顔でさらに左側の山も手で押しやって崩した。椿は目を細める。あたしは吹き出した。
 次の瞬間には、崩れて遮られる物がなくなったベッドに、キスをしながらもつれるように倒れ込んでいた。
 強く抱きしめられて、めまいがしそうだった。途中、椿が我に返ったように顔を離す。お互いの顔がすごく近い。椿はごくっと息を飲むと呟いた。
「悔しいって何?」
 なんでもないと言いかけようとしたら、畳みかけるように隠し事はするなよと言われた。椿の胸元に置いていた手に力が入った。
「…お姉ちゃんとキスしたときも、こんな風だった?」
 椿は目を軽く見開いたけど、すぐに目を細めて笑った。
「いいや、全然」
 おでことおでこをこつんとぶつける。もっと距離が近くなった。
「こんなに何度もしたいとは思わなかった」
 そう言いながら椿はまた唇を塞いだ。あたしは椿の首に腕を回す。椿の手がまさぐるように何度もあたしの背中を上下した。そのうち、手が胸元まで伸びる。
「あ、ちょっ…」
「あれ」
 手を押しのけようとした時、椿が突然、小さく声を上げた。
「な、なに?」
「絶対、ないに等しいと思ってたのに」
「なにがよ」
 手は胸に置かれたままなのも忘れてあたしは椿を睨み付ける。
「がー、よせ、首絞めるな」
「ホントサイテーだわ…って、ちょ…っと、待って」
「待たない」
 椿の手が急に動く。怖いような、恥ずかしいような、気持いいような、いろんな感情がごっちゃになってあたしの頭を渦巻いた。椿の唇が近付いてくる。いつの間にか荒くなってるお互いの息が部屋に響く。今度はあたしから椿の頭を抱え込むようにしてキスをした。
 流されるままに服を脱がされて、胸元にキスをされる。ふいに椿が起きあがった。
「暑い」
 一言言うとTシャツを荒っぽく脱ぎ捨てた。その仕草が妙に男っぽくてどきどきする。細いからなよっちい体してるんだろうと思ってたのに意外と筋肉があってびっくりした。
 今までカッコイイなんてこれっぽっちも思わなかったのに、なんで今頃そういうこと考えちゃうんだろう。
 ああもう。心臓の音が椿にも聞こえちゃってるかもしれない。
 椿はあたしの上に跨るように座った姿勢のまま、あたしをじっと見下ろしていた。急に恥ずかしくなって、胸を手で隠す。
「思ってたより、ずっとちっちゃいな」
「え?」
 まじまじと見つめた後で椿はそう呟く。またムネのこと言ってるんだと思って睨み付けたら、薄暗がりの中で椿の顔が赤くなったように見えた。
「いや、肩幅とかさ、なんか、やっぱ美哉は女だったんだなって」
「なにそれ?」
 顔が火照る。椿はふふっと笑うとあたしに覆い被さってきた。

「ねえ、今更だけど」
「んっ…なに…」
 体中、触られたりキスされたりして頭がおかしくなりそうなときに、椿が急に顔を近づけて、あたしの耳元に鼻先をすりつけた。
「こんなことしても、よかった?」
「こんなこと、しながら、訊かないで…っ」
「てゆうか、ドコ?」
「え?」
 一瞬我に返った。椿は上目遣いであたしを見ている。
「そんなこと女の子に訊く?!」
「だって見当たらないって。もしかして、開いてないとか」
「ふざけんなっ! さっきまでそのあたりを触ってたじゃない」
「うっそ」
 訝しげな目を向けられて、あたしはしどろもどろに答えた。
「指が、入りかけてた、感じがした…、けど?」
「わかった。じゃあ、頑張る」
 椿はそう言ってキスをする。一体、何が分かって何を頑張るっていうんだろう。よく分かんないけど、椿の背中に腕を回す。ふいに今までとは別なものが当たる感触がして体がびくっと動く。きりきりと押し込まれる痛みで目をぎゅっとつぶった。
「な、んか…頑張るのはっ…、私っ、じゃないの?」
「そうかも。ごめん」
 手に力が入る。息が上手くできない。最後に椿が大きく息を吐いた。腰に当てていた手が背中に回って、ぎゅっと抱きしめられた。
 たぶん、今、一つになってるんだよね? そう訊いたら椿が耳元で笑った。
「動いてイイ?」
 とてもじゃないけど今の状態で精一杯だ。思わず背中に回していた手に力が入る。
「まだ、もうすこし、このまま」
 ごめん、大丈夫か? とあたしの顔色をうかがうように椿が顔を上げた。頬に掛かった髪を指でそっと掻き上げられた。そういう仕草一つでなんだか胸がいっぱいになった。
「痛くてよく分かんないけど、でも、このままでも気持いいような気がする」 
 そっか、と椿は嬉しそうに言った。
「でも全然ムードないよね」
「なんで?」
「だって、普通はさぁ、なんかこう、もっと悩ましげにっていうか、官能的にっていうか…なんか、ほら、独特の雰囲気があるじゃない」
 椿は髪をなでていた手を止めて、こつんと頭を叩く。
「それは映画の見すぎだろ」
「ええーっ」
「これでお互い初めてだってのがよく分かったじゃん」
「そうだけど、でも、なんだかなぁ」
「それとも」
 急に胸を触られて体がぴくっと動いた。椿がニヤッと笑う。
「誰かと予習しといた方がよかった?」
「そんなの、やだ」
「俺はこんな雰囲気でよかった。もう取り繕ってごまかしたりはしたくないし」
 椿が真摯な瞳であたしを見つめる。それなのに急に小さい頃のことを思い出してあたしは吹き出した。
「なんだよ」
「幼稚園の頃のお昼寝を思い出したの。ほら、よくこうして並んで寝てたよね」
「ふーん。こんな素っ裸で? こんなことして?」
 また椿の手がごそごそと体をなで回し始める。
「…もう」
 椿の手の動きを封じるようにぎゅっと抱きしめたら、同じくらい抱きしめられた。ゆっくりと椿が動き始める。
 なんだかものすごく幸せな気分になってきて、痛みを押しのけるようにだんだんと沸き上がってくる快感に身をゆだねた。


「どうしよう? ヘン? 大丈夫だよね?」
「さあ」
 園子が男って終わっちゃうとあっという間に冷たくなるって言ってたけど、ホントにそうだわ。椿はさっさと後始末すると、証拠隠滅するから早くベッドからどけとか言うし。
「しょうがないだろ、親父にバレてたまるか」
 それはそうだけど。
「いいじゃない、生理が来ちゃったって言えば?」
 そう言ったらものすごい形相で睨まれた。冗談だってば。
「ねえ、家に帰ってママにヘンって言われたらどうしよう?」
「言われるような態度取らなきゃいいだろ」
 さっきまでの椿はどこに行っちゃったんだろう? 心の中でさんざん悪態を付いていたらシーツをくるくる丸めていた椿が振り返った。じーっと見つめられて思わず体が固まる。心の中が筒抜けなのかと思って焦っていたら、体を引き寄せられてキスされた。
「ヘンじゃないよ」
 椿はくすっと笑う。顔が一気に熱くなった。
「ヘンなところを挙げるとすれば、美哉が俺にメロメロなことかな」
 シーツを片手に部屋を出ようとした椿を後ろからぐいっと引っぱる。またあちこちで本の雪崩が起きた。
「お前なあっ」
「…自分だって」
 文句を言いかける椿の口を背伸びをして塞いだ。椿の手が背中に回る。唇が離れた瞬間、あたしはにやりと笑った。
「あたしにメロメロなくせに」
「そうだよ」
 椿はそんなの当然だろ、と言わんばかりにあたしを見下ろした。
 ああもう、ムカつく。
 階段を下りながら椿の背後でうがーと唸っていたら、椿がまた振り返る。しょうがないヤツだなって顔であたしを見上げたかと思うと、幸せそうな笑みを浮かべて手を差し伸べた。つられてあたしも笑う。その手を握って、階段を下りる。
 まあ、いっか。
 椿が幸せであたしも幸せなら、それでいいや。
  
                                 - 終 - 

back    index    next


Copyright (C) 2002 Mutsu Kisaka All Rights Reserved.