----- エクストラホット!


   >>> 7



 その頃、妃奈子は香世と一緒にお茶を飲んでいた。
 庭の方からおねーちゃーんと呼ぶ声がして、二人は顔を見合わせた。香世は小学生によくおやつを振る舞っていたので、その催促だろうかと飴の入った瓶を手に取って縁側の方へ向かう。妃奈子も小学生にはごく普通に接することが出来たので、早くも懐かれていた。
「どうしたの?」
 4、5人のちびっ子が、おやつの催促にしては切迫した表情で妃奈子を見上げる。妃奈子は縁側の縁にしゃがみ込んだ。
「おねーちゃん、来て!!」
「え?」
「なによ、あんたたち。妃奈子ちゃん連れてどうする気?」
「香世ちゃんにはナイショー!」
 妃奈子は腕を引っぱられて、慌ててサンダルに足を突っ込んだ。
「どこ行くの? え、うそ、そっちは…」
 道場の方へとぐいぐい引っぱられていくのに気がついて、途端に妃奈子は足を鈍らせる。それを彼らはなおも押しやった。
「カズにーちゃんが大変なの」
「勝った方がヒナちゃん取るって」
「決闘だって」
「けつばっとなんだって」
「ユキちゃんはすごく強いんだって」
 口々にまくし立てられ、妃奈子は混乱したが、ユキという名前にぴくりと反応した。
「え、ユキ?」
「そう」
 まさか、と妃奈子の胸がざわめいた。


◇ ◇ ◇


「…なあ、咲野。女はこんなことして奪うもんじゃないだろうが」
 先ほどからさかんに攻撃を仕掛ける佳寿をのらりくらりとかわしながら、幸は言った。
「逃げてんじゃねぇよ」
「避けてんだって」
「同じだろ!!」
 肩で息をしながら佳寿は歯を食いしばった。
「そんな殺意満タンの蹴りをそうそう食らってたまるかっての。お前、寸止めする気ないだろ?」
「卑怯者!」
「あー、よく言われるわ」
 言葉でも佳寿はいいように弄ばれている。次第に緊迫感をなくしていく様子に道場にいる連中は、一人、また一人と座り込み始めた。
「だいたいさぁ、なんで俺なの」
「ああ?」
「お前が俺に刃向かう理由がよく分からん」
 またするりと拳をかわされて、佳寿は舌打ちしながら幸を見上げた。
「及川は誰のモノでもないぞ」
「何言って…」
 唖然として動きを止めた佳寿に、幸はすかさず足を払った。一同があっと声を上げたときには佳寿は床に仰向けにひっくり返り、佳寿の顔面に向けてまっすぐ幸の拳が振り下ろされた。佳寿は思わず目をつぶったが、ひゅっと勢いのある空気の流れは鼻先で止まった。
 ぴたりと手を止めたまま、幸は静かに言った。
「俺を介すな。本人に言えっつーの」
 佳寿は恐る恐る目を開けた。目前に幸の顔があった。
「ほんと、マジで。いいかげんにしないと怒るよ?」
 幸はゆっくりと立ち上がる。水を打ったようにしんとするなか、一同は幸の動向を見守った。佳寿は茫然と床に横たわったまま、天井を見上げていた。
 その静けさをうち破るかのように、入り口の方からなにやら甲高い声と共にどたどたと向かってくる足音がして、一同から息が漏れる。
 やって来たのは小学生達に手を取られた妃奈子だった。躊躇しながらぐるりと部屋を見渡し、床に転がっている佳寿とその傍にいる幸を交互に見た。
「わあーっ、カズ兄ちゃんが死んじゃったーっ」
 悲鳴のような声が妃奈子の脇からあがる。その声に弾かれるように、妃奈子が部屋の中へ足を進めた。回りが固唾を呑んで見守るなか、まっすぐ幸の前まで来ると妃奈子は幸を両手で突き飛ばした。
「あっ…」
 先ほどよりもさらに驚きを含んだ声があがった。
 あっけないほど簡単に、幸は床にしりもちを付いた。幸自身も、何が起こったのか訳が分からない様子で妃奈子を見上げる。
 妃奈子はゆっくりと深呼吸をした。頬が紅潮し、咎めるような目で幸を見下ろす。
「なに、なにやってんの、もう。…信じらんない。サイテー」
 きゅっと両手を握りしめながら、妃奈子は小さな声でそう幸を罵った。
「…北高のユキちゃんが地に伏したぞ」
「あんな一撃で?」
 妃奈子は声の挙がった方へ顔を上げた。声の主たちは慌てて居住まいを正す。
「や、ていうかカズはぶっ倒れてるけど、その人、なんも手は出してないし」
「カズは寸止めにビビってひっくり返ってるだけだから」
「そうそう」
 口々に挙がる声に、妃奈子は自分がどういう場所にいるのかようやく気付いて、二、三歩後ずさりしたかと思うと一目散に道場を飛び出していった。
「だーから、俺こういうのやなんだってば」
 唐突にそう呟くと幸は立ち上がる。駿二が手にしていた上着を掴み、妃奈子の後を追って出入り口へ向かった。
 部屋には、佳寿の回りに群がる小学生達の声だけが響いていた。


「コラ、ちょっと待てって」
 幸の声を無視して、妃奈子は大股で中庭を横切る。幸は妃奈子に追いつくと腕を取った。
「別になにも起きちゃいないよ」
「人のこと、なんだと思ってるの」
 眉根を寄せて妃奈子は幸を睨んだ。
「人だと思ってますよ」
「そんな屁理屈言わないで!」
 掴まれた腕を振り払うと妃奈子は憤慨して声を荒げた。
「あー、はいはい」
 幸は困ったように頭を掻く。
「一応、俺は被害者なんだけど」
「そういう問題じゃないよ」
「分かってるって」
「何が?!」
 ぷっと頬を膨らませる妃奈子を見やりながら、幸は上着のポケットから封筒を取り出した。それを手渡す幸の表情が厳しくなる。
「別に人をモノ扱いする気もないし、アンタの気持ちを無視してガキに負けてやるほどお人好しでもない。あれで咲野が屈するようなら、ヤツの気持ちはその程度ってことだ」
 渡された封筒の差出人を見て、妃奈子はふっと顔を上げた。
「今日来たのは鞠子にそれを言付かったから。顔が見たいとさ」
「あ…、あの」
 一気に気が抜けた妃奈子はおずおずと幸を見つめた。
「考えても見ろよ、警察官が傷害起こしてどうすんの。それくらいは分かってる」
 目を細めると幸はタバコに火を付けた。ごもっとも、という顔つきで妃奈子が小さくううっと唸った。
「ごめんさない。…痛かった?」
「そうねえ、ケツに青あざが出来ちゃったかも」
 妃奈子は不安げに眉をひそめる。再びあっけらかんとした口調に戻って、んなわけないだろと笑うと、幸は妃奈子の頭にぽんと手を乗せた。
「ま、そういうコトですよ」
「保苑さん、また来る?」
 門の方へ歩き始める幸の背中に向かって、思わず妃奈子は問いかけた。立ち止まると幸は振り返った。問いには答えず、にやりと笑った。
「言っとくけど、アナタのせいだからね」
「え?」
 何のことか分からずぱちぱちと瞬きをする妃奈子に、幸は再びくるりと背を向けた。
「やーね、女の子賭けて勝負すんのなんて。生まれて初めてだよ」
 そのまま振り返ることなく、じゃあねと手をひらひら振って帰っていく幸を、妃奈子はその場に立ちつくしたまま見送った。
 きゅっと妃奈子の心臓が跳ね上がる。
 微かに、幸の耳が赤くなっていたように見えた。

 保苑さんのいじわる。

 頬を赤らめながら、妃奈子は心の中でそう呟いた。

                               - 終 -


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