----- エクストラホット!


   >>> 5



 佳寿は闘志に燃えていた。
 駿二はそれに気付いていたが、敢えて気付かない振りをしていた。だが、勝手に燃えているだけならまだしも、行動に移すとなるとそうもしていられない。形だけでも止めておかねば、と駿二は肩をいからせて歩く佳寿の後をついて行く。
「ねぇ、やめときなよ」
「しゅんは黙ってろ」
「刑事にケンカ売ってどうすんだよ」
「なんでついてくんだよ!」
「吹っ飛ばされたカズを回収する人間がいるだろ」
 佳寿は顔をしかめて駿二を見る。駿二は肩をすくめた。
「おい、エロじじい」
 運良くと言うべきか、悪くと言うべきか。幸は警察署の入り口で大きくのびをしているところで佳寿に捕まった。
「…エロじじい? 誰がだよ」
「アンタしかいねえっつーの…」
 幸は眩しそうに空を見上げて、薄い色のレンズのサングラスを取り出した。今日の幸の出で立ちは、ビジネススーツというにはずっとカジュアルなもので、こうしてサングラスを掛けるとモデルの街頭撮影のようだ。タバコに火を付ける幸から漂う妙なオーラに、佳寿と駿二は息を呑んだ。二人の頭に再び“瞬殺”という単語が浮かび上がる。道行く人が幸を見て刑事だとはまず思わないだろう。
 佳寿が慌てて頭の中の文字を追い出したときには、幸は二人に背を向けていた。
「…っておい! 人の話聞けよ!!」
「お前に言われるとは俺も落ちたな」
 さっさと歩き出し始める幸に佳寿は慌てて後を追う。その後ろを、ズボンのポケットに手を突っ込んで、溜息をつきながら駿二が続いた。
 カズは公務執行妨害って言葉知らないだろうな。
 駿二はそう思ったが、ここまで来たら教えてやるのもばかばかしい。
「あんまりオトナを弄ばないでくれるー? こう見えてもナイーブに出来てんのよ」
「…どこが」
 幸は駅前の商店街にある牛丼屋へと入っていく。大盛り卵にみそ汁、と店員に告げた後、お前らは? と二人を見る。
「ネギ抜きの並」
 駿二がさらりと答えると、佳寿も慌てたように答える。
「え…、あ、じゃあ大盛り」
 三人は並んでカウンターに座った。妙な沈黙の後に、運ばれてきた牛丼にショウガを山盛りに乗せながら、で、何の用? とようやく幸が促した。
「勝負しろ」
「何の?」
 かき込んだ牛丼を飲み込むと、意を決したように佳寿はまっすぐに幸を見た。
「及川を賭けて、俺と勝負しろ」
「ヤダね」
 即答した幸に、佳寿は得意げに薄ら笑いを浮かべる。
「逃げんのか?」
「アホぬかせ。冗談につき合ってられるか」
 ごちそーさん、と席を立ち、三人分の支払いを済ませると幸は出口へ向かった。二人は慌てて残りをかき込むと幸の後を追った。
 商店街を目的もなさそうに歩く幸の背後で、佳寿がきいきいと騒ぐ。
「オイ待て、冗談じゃねーぞ、コラ」
「なんだよ、飯食ったならさっさと帰れ」
「がーっ! 飯たかりに来たんじゃねぇっつの!」
「普通は腹膨れたら闘争心っつーのはなくなるんだけどな」
 幸は呆れたようにタバコに火をつけた。
「カズは普通じゃないから」
「なるほど」
 しゅんは黙ってろよと佳寿はわめいた。駿二は目を細める。
「カズ、奢って貰っておいて恥ずかしくないの?」
「う、お、奢って貰ったのは嬉しいけど、それとこれとは別! 俺が勝ったら及川は俺が貰う!」
 随分と都合がいいよなぁ、と幸と駿二は思ったが、そんなことに気付くような佳寿ではない。
「…そーいうの、俺嫌いなんだよ」
「負けんのが怖いのか」
「いや、そうじゃなくて」
「じゃあ勝負しろ」
「勝負ったって、何の勝負だよ。早食いか?」
 だったらさっきの牛丼で勝負はついたな、と幸は笑った。
「そんなんじゃねぇ」
「お前は分かんないだろうけど、そういうのって結局俺が責められるんだってば」
 いい加減うんざりしたように幸は溜息をつく。
「あー、おっちゃん。ちょっと待った」
 溜息をついたかと思うと、三人の脇を通り過ぎようとした男の腕を、突然幸はひょいと掴んだ。
「なんだよ、兄ちゃん」
 ぎろりと幸を睨み付ける中年の男に、佳寿と駿二は何事かと顔を強張らせる。
「今、あのばあちゃんから取ったモノ出して」
「はあ?」
 佳寿が間抜けな声を上げる。男は佳寿をちらりと見て、何のことだか分かんねぇな、と薄笑いを浮かべた。
「あ、そう。おっちゃん常連さんかな? 現行犯だから騒いでもムダっつーのは分かるよな。ちょっとあそこの派出所まで行こっか」
 手帳を見せながらにっこりと幸は笑った。だがその笑みは男のみならず、二人をも萎縮させた。
「咲野、土師。お前らあのばあちゃん連れてこい。財布すられてっから」
 え、と二人は顔を見合わせたが、早くしろと急かされて慌てて駆けだした。
「しゅん、おまえ気付いた?」
「全然。だって普通に僕らと話してたでしょ」
「…なんか、ホソノって怖えな」
 佳寿はぽつりと呟いた。 


◇ ◇ ◇


 すぐ傍にいるのに、それは叶わない。
 新学期が始まってすぐに、席替えがあった。佳寿は妃奈子の斜め後ろの席になった。嬉しさを隠しきれない佳寿は、席に着こうと椅子を引く妃奈子に笑いかけた。それに気付いた妃奈子は、他の人には分からないほど微かだが顔をしかめた。
 妃奈子だと制服を着ているだけでも特別に見える。駿二は完全に呆れ返って相手にもしてくれないが、構わなかった。あの日、幸に見せたような笑みを自分にも向けて欲しい。女子相手でも滅多に見せないんじゃないかというほどの、嬉しそうな表情。それが幸だけのものだと思うと、あらためて幸が妬ましい。
 上手くいけば、稽古に行く日だからという理由で妃奈子と一緒に帰ったり出来る。だがそれは叶わない。掃除当番だった佳寿を妃奈子が待っていてくれるはずもなく、放課後、道場までの道のりを佳寿は駿二と共にのろのろと歩いていた。
「いい加減、諦めたら」
「なんで。俺が諦めるのは及川に彼氏が出来たときだ」
 ふうん、と駿二は呟いた。
 佳寿にしてみれば、妃奈子は塔に閉じこめられたお姫様だ。悲しみに明け暮れながらも健気に助けを待っている。いわば、佳寿は魔王という名の幸から妃奈子を救う騎士なのだ。佳寿は拳を握りしめた。
「なっ?」
「『なっ?』って言われても」
 そこまで妄想できればたいしたもんだと思いながら、駿二は同意を求める佳寿に曖昧な笑みを浮かべた。
 確かにあの打ち上げでの、幸の意味深な笑みは、佳寿の言う“魔王”のように取れなくもない。佳寿を挑発しているようにも見えた。
 だが、あれは威嚇だ。
 つかず離れずの距離を保って、興味本位で近付く奴にはああして静かに牽制する。幸こそ、妃奈子を悪から守る騎士なのではないか。
 駿二は佳寿を見た。あ? と間の抜けた声を出して、佳寿は目をキラキラさせて子供っぽく笑う。その姿がドン・キホーテを思わせた。
 今の佳寿じゃ、魔王から及川は救えない。
 駿二は眉間にしわを寄せると、そう確信した。


◇ ◇ ◇


「背中にちくちく視線を感じて、なんかすごく怖いの」
 佐久間の部屋で、風呂上がりの妃奈子は髪をタオルで押さえながら呟いた。妃奈子の脇で、佐久間はペディキュアを塗っている。
「ここに住んでることあんまり知られたくないんだけど、すぐ広まっちゃいそう」
「そうねぇ、咲野は小さいときから歩く拡声器みたいな子だから。口止めしなきゃね」
 それを聞いて妃奈子はへの字に口を歪める。
「人の話を聞けっていつも先生に怒られてるんだよ。なんだか不安だなぁ」
「あたしは咲野の天敵だから任せといて。なんせアイツが幼稚園の頃から知ってるから、弱みはいろいろ握ってるのよ」
 そう言いながら佐久間はにやりと笑った。だが不意に妃奈子は俯いて、床の一点を見つめた。
「記憶も戻ったし、もう終わったのに、男の人が怖いって思うのは治らない。どうしてかな」
「酷い目に何度もあったんだもの。怖いと思って当然よ」
 思い詰めるような目つきで濡れた髪の水気を拭う妃奈子に、佐久間は不安を吹き消すように明るく言った。
「無理に相手しなくてもいいのよ。どうせあの年頃の子はロクな事考えてないんだから」
「でもせめて普通に出来たらなって」
「普通って?」
 佐久間は妃奈子の方に目線を向けた。
「…時々、手が震えたりしちゃうの。すごく恥ずかしいんだけど」
「…ああ」
 佐久間は思わず呟いた。軽く流そうと思ったが、想像以上に深刻なのだと気付いた。弦に対してもぎくしゃくしているが、年輩者の上に強面だから緊張している部分もあるのだろうと、深く考えずにいた。だが、同年代の子を相手に、手が震えるほど気を張りつめてしまうのは尋常ではない。
 例の事件の捜査中、上手くいけば訊き出せそうだが、コンタクトを取りづらい相手だと幸がぼやいていたのを思い出した。あの時はそんなことがあるわけないとタカをくくっていたが、今の妃奈子の言葉で納得できた。
 そんな状態で命を助けられれば、幸の存在が妃奈子にとって特別なのも分かる気がした。妃奈子にとっては、自分に危害を加えないと確信できる男性は幸しかいないのだ。
 署の連中のようなミーハーとはわけが違う。普段なら適当にあしらっているはずだから、幸もそれは充分心得ているようだった。
 なんにしても、時間が必要だと幸は言っていた。
「佐久間さん?」
 妃奈子に呼びかけられて、佐久間は顔を上げた。
「大丈夫よ。ずっと続きやしないわ」
 世の中の半分の人間に恐怖心を抱いてしまうのは、どういう気分だろう。妃奈子を見つめながら、佐久間は慰めるように笑みを浮かべた。


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