----- ファム・ファタールと羊の夢


   >>> 14



 都内某所に建物を構える東京運輸支局REA本部。 
 右腕を吊り、スーツの下にはギプスを付け、頬には幾つか擦り傷をつけるという痛々しい姿で、彼は上司のデスクの前に立っていた。
 本部長のデスクに座っているのはまだ若い女性。スッキリとした身のこなし、紅い口紅が目を引いた。彼は、彼女の優雅な手の動きをじっと見ていた。
「報告書には目を通しました。ご苦労様でした」
 無言で頭を下げる彼に、上司は身を乗り出した。
「真相はどうなの?」
「真相?」
 いたずらっぽく微笑むと、彼女は報告書にちらりと目をやった。
「仕事の早いあなたがこんなこと珍しいわ。何があなたを迷わせた?」
 彼は不愉快そうに目を細めた。
「……自分にもよく分かりません。実のところ、境目もよく分からなくなってきた」
「境目?」
「あなたはロボットが完全な自我を持つことは可能だと思いますか?」
 上司は微かに眉をひそめた。
「いいえ。そんなことはあり得ないわ」
「俺はその片鱗を見た」
 彼は報告書に添付されたネリネの写真に目を落とした。
「そのうち、俺達がやっていることはナンセンスと呼ばれる日が来るかもしれない」
「本気でそんなことを言ってるの?」
 彼は顔を上げると上司に向かってふっと笑みを漏らした。
「まだ仕事が残ってるので、これで失礼します」
 一礼をすると、彼は部屋を後にした。

 中庭が見える廊下まで来ると、彼は足を止めた。見慣れない紅い花が咲いているのに気がついた。ひょろりとした茎の先に、火花が散ったようにぱっと花弁が開いている。それが群となって咲き乱れていた。
 陽の光を受けてキラキラと輝くそれに、彼は見とれるように佇んでいた。彼岸に咲く花に似た鮮やかな赤だった。
「リュウザキさん」
 不意に声を掛けられ、彼は振り返った。部下の中でも人当たりの良さそうな笑みを浮かべる彼は、リュウザキに近づくと会釈をした。
「任務お疲れさまでした。かなり難航したそうですね」
「……ああ」
 リュウザキは曖昧に返事をして、中庭の花を指さした。
「あの花はいつからあった? 見たところ彼岸花みたいだが」
「ダイヤモンド・リリーですよ。似てますけど、もう彼岸花の咲く時期は過ぎてますからね。ほら、彼岸花と違って、根元に葉があるでしょう?」
 言われてみると確かに葉がついている。リュウザキは感心して部下を見た。
「詳しいな」
「実家が花屋なんですよ」
「なるほどな」
 道理で、と彼が納得していると、部下は眩しそうに花を見つめた。
「ネリネって名称の方が一般的ですけど、僕はダイヤモンド・リリーって呼びかたの方が響きが好きですね。ほら、ああやって日に当たるとダイヤモンドが輝いてるように見えるでしょう?」
「……今なんて言った」
「え? ネリネって言うんですよ」
 リュウザキが茫然としていることも気に留めず、彼は喋り続ける。
「まあ、ヒガンバナ科の花なんで似てるのも当然なんですけどね。ちなみにネリネの花言葉知ってます? 諸説ありますけどね『幸せな思い出』とか『また会う日を楽しみに』っていうんですよ」
 その時リュウザキは気付いた。
 なぜゴトウがキミコをネリネと名付けたのか。
 クラハシキミコは今から5年前に交通事故で脳死状態に陥ったまま、病院で眠り続けていた。ゴトウの言ったとおり、身内はいない。その当時つき合っていたゴトウが、彼女の面倒を見ていたらしい。そして一年ほど前、ゴトウは病院にも極秘で『ネリネ』を完成させた。順調に進んでいたゴトウの計画は、REAが嗅ぎつけなければそのまま完成していたのだろう。
 『ネリネ』が『キミコ』として復活するのを、ゴトウはどんなに待ちわびていたのだろうか。恐らく、キミコと再び出会う日をゴトウは『ネリネ』という花の名に託したに違いない。
 だがネリネはこの世から去り、ゴトウはリュウザキの言葉通り、死体損壊罪で逮捕されている。全てが幻だったかのように、何もかも海の藻屑となって消え去ってしまった。
「『また会う日を楽しみに』……か」
「ええ、なんだか前向きな感じがしていいですよね」
 部下はにっこりと微笑んだ。その笑みに釣られてリュウザキもうっすらと笑みを浮かべた。
「そうだな」
 また会う日を楽しみに。
 そんな淡い夢のような希望。それでも、いつかネリネはリュウザキの元へ再び現れそうな気がした。
 また会う日を楽しみに。
 柄にもないと思いつつも、リュウザキはその言葉を胸に畳むと、歩き始めた。


                                    - 終 -


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