----- ファム・ファタールと羊の夢


   >>> 12



「ゴトウ……?」
「お目覚めのようですね」
 彼、ゴトウは身体を包む白衣のポケットに手を突っ込み、眼鏡の奥の目を細めて微笑んでいた。リュウザキの傍まで近づくと、彼は真っ直ぐリュウザキを見下ろした。
「僕は怒っているんですよ。分かりますか? 馬鹿なヤツらのせいで、危うく彼女がダメになってしまうところだった。だけど、それも元を正せばあなたのせいですよ」
「は、丁度いい。違法ロボットの不法所持でお前を連行する」
 苦痛に顔を歪めながら、リュウザキはゴトウを見つめた。ゴトウは吹き出した。
「その体で何を言ってるんですか。かなり怪我が酷そうですが、生憎、僕の専門は脳神経外科でね。……まあ、例え専門だったとしても、あなたに応急処置を施す気はさらさらありませんがね」
「ありがたいね。アンタみたいなヤツに体をいじられたら、何されるか分かったもんじゃない。脳みそを取っ替えられたりしたくはないからな」
 ゴトウはぴくりと眉をひそめると、リュウザキの脇腹を踏みつけた。リュウザキが微かに呻き声を上げる。ゴトウは大きく息を吐いた。
「あなたは状況を理解していないようだね。もう一度言いましょう。僕は怒っている」
「……らしいな。だが、自業自得だ」
 ゴトウは踏みつけていた足でリュウザキを蹴り上げた。
「僕は、不法所持がどうのということで怒っているんじゃありません。あなたが彼女に対してしたことに怒っているんです」
「……拉致監禁か? だが……、俺は、警告しただろう。証拠は挙がっていると。その時点で提出し……」
「あなたは回収した機械と寝る趣味があるんですか」
 言葉を遮るようにリュウザキの顔を踏みつけると、ゴトウは怒りで声を振るわせた。
「……ああ、そのことか。成り行きだ」
「ハッ、成り行き! 業務にかこつけて楽しんでるのはあなた方じゃないのか?」
「そうでもないがね。……まあ、彼女の体はホンモノってだけあって楽しませてもらったよ」
 ふと思い出して、リュウザキは足の隙間からゴトウを見上げてにやりと笑った。
「悪いな、お先に頂いちまった」
 ゴトウは目を見開いた。怒りにまかせて狂ったように何度もリュウザキを蹴り飛ばした。リュウザキは壁に打ち付けられるまま、その仕打ちに耐えた。しばらくして、ようやく怒りのピークが過ぎたのか、ゴトウはリュウザキから離れた。気を静めるように部屋をグルグルと歩き回っている。
「……アレは『誰』だ?」
 息も絶え絶えに、リュウザキが口を開いた。それを聞いてゴトウが立ち止まった。
「彼女は私のものだ。例えどんな姿に変わり果てようと」
「そういうことを、訊いてるんじゃない。アレはもともと人間だった、そうだろう?」
 リュウザキは口元を微かに歪めた。
「死体損壊罪だと、罪はさらに重くなるぞ」
「死体なんかじゃない!」
 ゴトウは叫んだ。
「彼女はずっと眠り続けてた。生命維持装置がある限り、彼女は死にはしない!」
 再びゴトウは部屋を歩き始める。靴の音が部屋に響く。
「……何がいけない? 人工臓器が許されるのに、なぜ僕の行ったことは許されないんだ?! 彼女を見ただろう? 人間そのものだ!」
「脳を機械に置き換えちまったら、人間じゃねぇよ」
 ゴトウは立ち止まった。
「人間か、機械か。俺達がそれを判断する最期の砦は何か知ってるか? 『脳』だ。アンタの行ったことは『治療』じゃない。第一、他人のお前がどこまで患者の人格を再現できると言うんだ?」
「そのリハビリは順調だった。あなたが邪魔しなければ、彼女は、完璧に『キミコ』そのものだったんだ」
「……キミコ?」
 リュウザキは訝しげに目を細めた。
「彼女は患者じゃない。僕の恋人だ。事故で脳死状態に陥るまでは僕たちは……」
「お前、自分の恋人の頭を弄くったのか?」
「もうすぐ、目覚めるはずだった」
 リュウザキの問いかけを無視してゴトウは独り言のように話し続けた。
「もうすぐ、彼女は僕に気付き、僕達は恋に落ちるはずだった。再び彼女との日々を過ごすために、僕は全てを捧げてきたんだ。幸い彼女には身内がいなかったから、全て僕の独断で行えた。彼女の性格や行動パターンを綿密にプログラムし、何度も修正をした上で移植した。移植後も何度もチェックを重ね、ようやく『キミコ』に近付いてきていた。僕の仕事は完璧だった」
「彼女の意志はどうなる?」
「意志……? 僕と同じに決まってるじゃないか」
「本当にそうか? 脳を取り払われちまったら、それはもうお前が言う『彼女』じゃなくなる。例え精密に再現したとしても、それはアンタの理想の姿だ。そんな偽物に置き換えられることを、彼女が望んだと思うのか?」
「あなたに何が分かると言うんだ!」
 ゴトウはつかつかとリュウザキに近付いた。
「あなたは彼女の何を知っていると言うんだ。彼女をぶち壊したあなたにそんなことを言う資格はない」
「少なくとも、『ネリネ』としての彼女なら、俺はアンタよりも知ってるだろうよ。彼女は俺にこうぶちまけた。アンタに頭を弄くられる日々は『本当の私ではなかった』とね」
 ゴトウは閉じた口元にくっと力を入れる。リュウザキはふっと息を漏らした。
「こうも言ったね。俺に『惚れてる』と」
 ゴトウは発狂したように叫び声を上げた。
「残念だったな。アンタはネリネの趣味じゃないらしい」
「違う! それは彼女に誤作動が起きたんだ!」
「プログラムにバグは付き物だ」
「そうだよ、バグだ! お陰で僕は本来なら必要のない修正パッチを当てなきゃならなかった」
「目は治ったのか?」
 ゴトウは怪訝な顔をした。
「目? そんなものは今はどうでもいい。最優先事項は、君だ」
「何をする気だ」
「お仕置きだよ。この上なくあなたの心を引き裂くようなね」
 そう言い捨てるとゴトウは荒々しく部屋を出た。 
 なんてこった。
 リュウザキは絶え間なく押し寄せる苦痛に顔をしかめながら、天井を仰ぎ見た。
 もはやゴトウにとって、ネリネの体に生じている不具合はどうでも良いことなのか。ネリネの体を汚した自分への復讐こそが最優先事項とは。
 ……この上なく俺の心を引き裂く?
 リュウザキはくすりと笑った。
 ありもしないような心をどう引き裂くというんだ。
 リュウザキは一人くすくすと笑い続け、そして溜息をついた。


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